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Transrapid [欧州鉄道]

昨日、ドイツのEmslandにある磁気浮上鉄道Transrapidが衝突大破事故をおこしたというニュースを見た。日本でもトップニュースで伝える程である。残念でならないし、事故で亡くなった方には哀悼の意を表したい。ドイツでは以下のサイトでもこの事故を報じている。

http://www.welt.de/data/2006/09/22/1046403.html

1989年だったか、私もこの実験線でTransrapidを見学をした。ちょうどTransrapid 07が入線しその準備をしていたため走行体験は出来なかったが、Transrapid 06に乗車してそのインテリアを堪能した。Tranrapidのデザインは、JR西日本の500系新幹線のエクステリア、ICE3、ICE-T(D)などのデザインで知られるドイツのNeumeister氏である。 Transrapidの車内見学では、通訳の女性が同行したが、彼女も初めてこの車輌に乗ったらしい。車輌に入ってゆったりとしたソファ風の座席に座ると、開口一番「こんなすてきな電車なら乗りたいわ」と感嘆の言葉を発した。この言葉を私は忘れられない。専門家一行の我々とは明らかに違う視点でこのTranrapidを見ている彼女は、きっと一利用者としての感想を率直に述べたのだと思う。私もこのような仕事のできるデザイナーになりたいと正直思ったのである。

さて、このEmslandの実験線に来る前に私は一波乱あった。この時私は北ドイツのBremenの語学学校でドイツ語を勉強し、ちょうど南ドイツのPforzheimにある美術大学へ入学試験を受けに行った。そこで試験を受けた翌日がそのEmslandの実験線での見学だったのである。 この時は、語学学校で一緒だったある大学教授の先生に誘われて、このようなチャンスはないだろうと思い同行させて頂くことにした。 Pforzheimでの入学試験は、実技試験でデッサンとちょっとしたデザイン、そして面接試験があった。その面接試験は、一つの大きなテーブルに学長を始めとする教授陣がずらっと並び、その前で前もって送った作品集をみせながらの説明を行った。何分ぐらいの面接だっただろうか? 一通りの説明や質疑(もちろん私が質問される側である)が終わると、教授陣全員で私の前で採決するのだ。結果、一応全員一致で私の入学の許可はおりたのだが、質疑の中で私が満足にドイツ語を話すことができないと言うことで半年入学が遅れることになった。つまり、その半年間で満足なドイツ語をマスターしなければならないという条件がつけられたのである。試験は結局暗くなって終了することになった。 私は予定の列車に乗らなければ誘ってくれた大学教授のいるボンに間に合わない。結局大学のあるPforzheimからKarlsruhe Hbf迄タクシーを使って何とか予定のInterCityには間に合わせたのだが、この列車も遅れている。途中乗り換えのFrankfurt/M Hbfで接続出来なければ、もう後の列車がない。 結局私の乗ったICは遅れに遅れてFrankfurt/M Hbfで乗り換える予定の列車は、もう既に発った後であった。仕方なく、駅の側にある安宿を探して翌日の一番列車でBonnに行くことになった。試験の結果は、悪かったのか良かったのか、すっきりしなかったのを憶えている。 翌日早朝のまだ夜が明ける前に、私はそそくさと宿を発ち、駅からBonnへ向かうECに乗った。しばらくすると車掌がやってきて、私の持っている乗車券ではこの列車は乗れないという。しかし、確かにこの時刻のBonnへ行く列車を確かめて乗ったと主張したら、何と同時刻発車の2本のECがあり、その両方がBonn経由なのであった。車掌はそのことが分かると、「いいよ!」と言ってそのまま私をBonnまでの乗車を認めてくれた。このあたりの車掌の対応は臨機応変で人間的。サービスの何たるかが分かっていると感心した。ドイツの役人にはそれまでも、それからも色々な場面で融通の聞かない場面にでくわしたが、DBの車掌さんは概ね良い印象がある。それからはゆっくりと食堂車の人となって美しいライン川の左岸を朝日の輝く景色を堪能しながら朝食をとった。これほど美しいライン河の景色は見たことがなかったので、列車の遅れもまた良かったのかも知れない。 Bonnには定刻に到着。駅迄迎えに来てくれた大学教授のクルマでEmslandの実験線に向かったというわけである。


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