Schienenzeppelin 75周年記念講演会の記事 [欧州鉄道]
私がチェックしているブログの1つに、ホビダスブログの「編集長敬白」というものがある。
主に国内鉄道にまつわる記事が中心だが、たまにヨーロッパの鉄道についても興味深い記事がある。そして昨日の記事には驚いたと同時に、事前に知り得ていれば是非参加したかった講演会のことが書かれていたのである。これは、ドイツのSchienenzeppelin(レールツェッペリン)75周年を記念して日本の東京文化財研究所がベルリンのドイツ技術博物館学芸部門の鉄道に関する責任者でもあるアルフレッド・ゴットヴァルト(Alfred Gottwaldt)さんを招聘して行ったものという。以下ページ参照...。
http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2008/03/post_725.html
記事と写真を見ていると、とても興味深い講演だったと推測ができる。私も戦前の頂点を極めたドイツの鉄道高速化技術に対しては、とても興味があり生の声を聞ける機会などそうあるものではない。こういう機会ではドイツの鉄道技術に対する考え方が学べるものである。(私にとっては技術のディテールよりも考え方を知ることが大切なのである)
本当に知らなかったのが悔やんでならない....。(知り得ても参加できたかは定かではないが)
主に国内鉄道にまつわる記事が中心だが、たまにヨーロッパの鉄道についても興味深い記事がある。そして昨日の記事には驚いたと同時に、事前に知り得ていれば是非参加したかった講演会のことが書かれていたのである。これは、ドイツのSchienenzeppelin(レールツェッペリン)75周年を記念して日本の東京文化財研究所がベルリンのドイツ技術博物館学芸部門の鉄道に関する責任者でもあるアルフレッド・ゴットヴァルト(Alfred Gottwaldt)さんを招聘して行ったものという。以下ページ参照...。
http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2008/03/post_725.html
記事と写真を見ていると、とても興味深い講演だったと推測ができる。私も戦前の頂点を極めたドイツの鉄道高速化技術に対しては、とても興味があり生の声を聞ける機会などそうあるものではない。こういう機会ではドイツの鉄道技術に対する考え方が学べるものである。(私にとっては技術のディテールよりも考え方を知ることが大切なのである)
本当に知らなかったのが悔やんでならない....。(知り得ても参加できたかは定かではないが)
これは興味深い内容ですね。私も参加できるものならしたかった..
レールツェッペリン(#3077)が私の記念すべきメルクリン第一号だったと知れば
彼も喜んでくれたでしょうか?
by しげやん (2008-03-05 11:46)
しげやんさんのメルクリン第1号はレールツェッペリンでしたか。私が小(中?)学生の時だったか、新製品でお店にあったのを指をくわえて眺めていたのを思い出しますね〜。
モデルを持参すれば、講演者の方もきっと喜んだと思いますよぉ。
by Akira (2008-03-05 14:49)
Akiraさんこんばんわ メルクリンのシーネンツェッペリンの公演は聞けるものならほんと聞いてみたかったです。でもこういう報告がネット上で見られるのは嬉しい事ですね。ホビダスブログの「編集長敬白」は私も時折のぞいていますが、今日はまだでした。Akiraさんダンケです。メルクリンのシーネンツェッペリンで思い出すのは、日本橋の喫茶室「01」でドイツ映画を観る会というのをやっていて、終了後はメルクリンの運転会になるのですが、あるとき新製品のシーネンツェッペリンを篠原正瑛先生がお持ちになってプロペラが回りだした後動き出すのを「すごい技術だ」と賞賛されていたのを思い出します。篠原先生は金属製がお好きで、プラ製はお持ちにならないとの事でしたが、シーネンツェッペリンは別扱いだったそうです。もう30年以上前の話です。
by T-Zug (2008-03-05 19:11)
T-Zugさん、こんばんは。T-Zugさんはあの宝町の喫茶室「01」のしかもドイツ映画を見る会に参加されたのですか?世代的には私と同じか少し上の方と推測いたしますが、ちょっと驚きました。篠原先生は、直接的には存じておりませんが、彼なくして今のドイツの鉄道の日本での理解は考えられないことだと思います。
このブログの読者でもあるKDBさんも篠原先生をご存知なので、T-Zugさんともお知り合いかもですね。
by Akira (2008-03-05 19:48)
知らなかった。
自分も行きたかったです(行けたかどうかは別として)。
以前から、シーネンツェッペリンの前面形状が、0系新幹線に似てると思っていました。
0系の形状は、第二次大戦中の日本の爆撃機?をモデルにしたとされているようですが、
この講演の内容によれば、もしや?と思います。
by exp_amanogawa (2008-03-06 00:01)
私はC3yg、BC3ygと同年です。AkiraさんはBm234でしたでしょうか?KDBさんも「01」の映画会に参加されていれば、もしかしてお会いしているかもしれません。ちなみに私の当時の姿は「とれいん」№16 76年4月号にレオの坂本社長のとなりにギリギリ(確か社長の左のめがね)で写っていると思うのですが、本が行方不明なのではっきりいえません。本が出てきたら正確に報告します。(いらいなか!)
by T-Zug (2008-03-06 00:27)
一応日本では0系新幹線の先頭形状は当時最新のジェット旅客機であるダグラスDC8を参考にしていた、と言うのが一般的です。ちなみに小田急の3000形SE車はデ・ハビランドコメットと言うことになっています。
by T-Zug (2008-03-06 00:33)
>exp_amanogawaさん
編集長の話では島氏がドイツでこれを見て後の新幹線開発にも繋がった...という感じですね。
いずれにしても新幹線は当時のデザインの流行や未知の世界への挑戦ですから、航空機のデザインは大いに参考になったかと思います。
ドイツの鉄道デザインは日本のそれと意外に繋がっているようにも思います。日本オリジナルとされた新幹線のデザインもJR500系では、ドイツのデザインを採用していますし、今後も日独で影響を受けながら切磋琢磨してほしいとは思っています。(現実はそう簡単な話でもないのですが)
>T-Zugさん
私の生まれは....DBのTEE客車登場の翌年です。該当する車両があるのか?
レオの坂本社長...懐かしい名前ですね。残念ながら該当する「とれいん」誌は私の手元にもないです...。創刊号から暫くは購読していましたが...。
小田急の3000系SE車(オリジナル)のデザインは、今でも充分通用する優れたデザインだと思います。
by Akira (2008-03-06 15:39)
メルクリンは実際にプロペラのみまたは両用で動くレールツェッペリンを出してはくれないだろうかと...
by Bemo (2008-03-08 18:40)
う〜ん、これは技術的に可能ならやるのでしょうが、あの重量に対してモーターの力がどれほどあるのかということでしょうねぇ。
やはりコントロールするには、直接駆動が制御しやすいのではないのでしょうか?
by Akira (2008-03-08 19:26)
今晩はKDBです。
すみません、しばらく見ていなかったものでーー私の名前が出ているのに気がつきませんでした。T-Zugさんも「喫茶室01」の常連だったのですか?それなら間違いなくお会いしています。2週間に1度、土曜日の仕事が終わった後、映画を見るのが楽しみでした。「とれいん」の76年4月号は、たしか「メルクリンの魅力」という、特集記事があった号だったと思います。メルクリンが最大の普及をしていた頃ですね。篠原先生は無論、坂本さんにも随分お世話になりました。ただ、篠原先生は少々固いところがありまして、以前、別の掲示板に書きましたが、折角結成された「日本メルクリン模型鉄道同好会」が崩壊状態になってしまったりーーー思い出は色々です。
by KDB (2008-03-10 20:23)
先日行われた東京のオフ会にT-Zugさんは出席されたはずですので、私も出席出来ればお話ができたのにと悔やんでおります。
by Akira (2008-03-11 08:38)
Akiraさん、KDBさんこんばんはT-Zugです。
喫茶室01の~観る会は2/3位は行ったと思いますので、KDBさんとはお会いしてると思います。当時私は学生でしたので、皆さんとたいしたお話は出来なかったと思います。「01」がなくなってしばらくは丸天とかいろいろなお店で「01」でお会いした方々と顔を会わせる事もありましたが、この頃はそれもなくなってしまいました。KDBさんそのうちどこかでAkiraさんとお話しする機会があれば良いですね。
by T-Zug (2008-03-11 18:24)
いいですね。そう遠くないうちにと思っています。皆さんとの都合が合えば良いのですが..。
by Akira (2008-03-12 08:44)
宝町の喫茶店01懐かしいです。1962年から68年まで西Berlinに留学していました。そのとき食事の回数減らしてメルクリンの初歩的な車両、レール等集めました。帰国が長年押し入れで寝ていたメルクリンを最近引っ張りだして思い出に浸っています。ツエッペリンが成功しなかったのは、通過途中駅でホーム居る人を吹き飛ばしたからだと、篠原先生がおっしゃってました。
by 我嘆悟頓 (2011-05-13 22:38)
おはようございます、我嘆悟頓さん、Spielkisteへようこそ。
コメントをありがとうございます。
稚拙で我が儘な当ブログの読者の年齢層がとても幅広いことに正直驚いており、またとても嬉しく思います。
宝町の「動輪のある喫茶室01」があった頃、私はまだ中学生だったので、お店に(無理矢理)保護者同伴で数回訪れたことはありますが、篠原先生とお話が出来る機会はありませんでした。
我嘆悟頓さんは1962から6年間西Berlinに留学されたとか。留学された当初はあの東西の壁が出来てすぐの頃、もしかして米軍が航空機で大規模食料支援をしていた頃なのでしょうか?私がドイツ留学+就職したのは1988年からですから、壁がなくなる時です。この両方を知るものは今や貴重かも知れませんね。確か篠原先生もベルリンにいらっしゃったと聞いていますが...。
また我嘆悟頓さんが留学当時、音楽でミュンヘンに留学されていたメルクリンファンの方も当ブログにリンクさせて頂いています。
篠原氏が残した文献や彼が翻訳したメルクリンカタログは、今の私に大きな影響を与えております。それはその文面から彼のドイツの鉄道車両やメルクリンへの愛情が容易に理解出来るからです。
私も現在少しばかり翻訳の仕事にも携わっていますが、篠原氏の中身への深い理解があっての翻訳というものがあって彼の日本語力と共にその翻訳センスは今でも充分に通用するものです。
by Akira (2011-05-14 09:29)