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Großer Bahnhof für kleine Züge [Maerklin-Allgemein]

....「Großer Bahnhof für kleine Züge. Märklinmodelle 1935-1955」..このような表題の展示が現在ドイツのReutlingenにあるHeimat Museumで行われている。

Reutlingenは、日本人にはあまり知られていないドイツの小さな町である。場所はStuttgartから南に数十キロというところか。近くには大学で有名なTuebingenがある。
その小さな町の郷土博物館で行われているのが表題のメルクリンの展示である。テーマは1935年に初めて「00」と呼ばれる電気で動く机上鉄道模型を製品化したメルクリンモデルである。
「00」とは、当時鉄道模型の主流サイズの「0」の半分の縮尺である。これは、ある意味当時の鉄道模型に大きな変革をもたらしたものと捉えることができる。現在メルクリンを始め世界共通の縮尺規格となったH0であるが、それは、この時の「00」が元になっているのはKoll'sなどの価格本にも00/H0と記されていることからも理解できよう。(ちなみに「00」とは、ドイツ語読みで「ヌルヌル」となる。これは同音異義語で「トイレ」という意味にも解釈されるので、「H0」=「ハーヌル」となったのではないか?と想像できる)

1935年に発表されたメルクリンの「00」は、当初機関車全てに700の番号が付けられた。3線式ではあったが、直流で動作していたのである。そして手動式逆転機が付けられていた。1938年からは機関車番号が800となり、交流となった。(かの有名なスイスのクロコダイルモデルのCCS800も1947年に初めてリリースされた)更にトランスから遠隔操作で逆転が可能になったのである。(手動式逆転機レバーは機関車に付けられていた)
当時は、電気モーター駆動のモデルだけではなく、ゼンマイ駆動の機関車(S870)も存在していた。(おそらく廉価版モデルと位置づけられていたのかも知れない)
そのような、「00」から「H0」に至る1955年迄の黎明期のメルクリンモデルが一堂に揃った展示がReutlingenのミュージアムで行われているのであろう。

この文章を書きながら感じたのだが、H0に初めて道筋を付けたのがメルクリンの「00」であり、そのラインナップは、今の製品ラインナップに比べれば、本当に小さなものでしかない。しかし、そこにあるモデルと、その開発手順や商品コンセプトは今とさして変わらないのではないか...と気づかされたのである。確かに現在では、デジタル制御は当たり前で、CS2に代表されるように更に高機能化しているのは事実である。が、それは現在も脈々と続いているメルクリンの「00」から始まった開発の延長線上にあることが理解できるのである。

ユーザーは何を求めているのか、それが既に1935年の「00」の登場で、既に今あるメルクリンの商品開発の基礎となったのが、この展示でもしかしたら読み取れるのかも知れない。

いつも周りの眼を気にしながら最先端を走っているような錯覚に惑わされているどこかの国の工業製品にはない深さが、揺るぎない理念の元に作られている鉄道模型のメーカーによって成し遂げていることに気づかされそうな気がするのである。

展示の会期は2月22日迄。

参考サイト:Stadt Reutlingen
http://www.reutlingen.de/ceasy/modules/cms/main.php5?cPageId=56&view=publish&item=eventDate&id=2286
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コメント 5

KDB

今晩は、KDBです。
「00」とは、ドイツ語読みで「ヌルヌル」となる。これは同音異義語で「トイレ」という意味にも解釈されるーーーーこれは知りませんでした。確かに英語圏での16.5mmゲージの当初の名称は「OO(ダブルオー)」で、いつの間にか
「HO(エイチオー)」の名が登場していますが、これが理由かもしれませんね。「鉄道模型趣味」誌の山崎主筆が連載したゲージ名称の歴史話でも、「経過ははっきりしないが、戦前のうちに英国、米国を中心に、3.5mmスケール(1/87);HO、4mmスケール(1/76);OOの区分けが決定的になった」とありましたが、ドイツ等では暫くは全てOOと呼称していたらしく、HOの名称に対する抗議もあったという話も聞いたことがあります。結局、戦後はHOになってしまいましたが、現実には旧クロコダイルは明らかに1/76程度でしたし、SK800の品番だった流線型機関車(06と05の間の子)や、1985年に出た50年前の復刻版製品も1/87ではありませんでした。
なお、ご存知のように日本では1/80が採用され、これをHOと呼称する状況が続いていますが、これは本来はおかしいのです。Akiraさんには以前お伝えしましたが、この事についての妥協(?)点を探りたく、「とれいん」誌の2008年6月号に私の提案投稿文が掲載されています(82、83ページ)。ご興味がありましたらご笑覧ください。
ついでですが、9mmゲージは今日、「N」と称していますが、戦前の英国規格では「OOO(トレップルオー)」の名称があったはずです(ただし、本来は9.5mmゲージ)。
ゲージの話を始めると長くなるので、この辺でーーー。
by KDB (2009-01-06 20:54) 

Akira

こんばんは、KDBさん。

ゲージ論争は、他にも様々なサイトで行われているので、敢えてしませんが、昨日「00」についてKoll'sなどを読み返していたら、ゲージ論争自体がナンセンスに思えてきました。と、言うのは、「0」や「00」が出来た戦前から戦後しばらくは、鉄道模型にはゲージの幅についての規格はもちろん必要でしたが、スケールではほとんど作っていなかったと思われます。(スケールにすることができなかったとも言えましょうか)
要は、「00」は、狭い机の上で急カーブでもちゃんと走る鉄道模型であるのが命題であったのでは?と感じました。
「00」から「H0」に変わる頃、ようやく1/87というゲージ幅からくる縮尺が定着したのかなぁと思います。つまり「00」はフリースケールで「H0」は1/87スケールという概念になったのではと思いました。
日本では、おそらく「00」時代から一部趣味人が所有していたとは思いますが、まだまだ一般化されていませんでしたね。海外で「H0」が1/87スケールモデルとして定着した頃、日本でもその線路を使って同じ名前で違うスケールを呼称したのが始まりなら、やはり「ゲージ」と「スケール」の認識の違いというか、当時の方々の勘違いでしょう。それより問題なのは、どうして1/80スケールにしてしまったのか?私は理解に苦しみます。もう少し狭軌感のあるスケールにすべきだったのではと...。

反論が沢山来そうですからこのくらいにしましょう。
by Akira (2009-01-06 21:39) 

klaviermusik-koba

昔はメルクリンは直流であることはしりませんでした。そう、手動式の逆転機はかなり後までついていた気がします。すこしづつ、実感を意識しはじめた頃からこれはなくなりましたね。それからモーターの注油も以前はボディを外さなくても外から注油できました。さらにパンタ集電の切り替え装置。これは一番最後まで残っていたようです。

ただ、これは架線集電と両用しているユーザーにはいちいちボディを取り外して切り替えるのは結構面倒で、これだけは残して欲しかった気がします。さらに欲を言うなら、上下両方から集電できると有り難い、と思うこともあります。しばらく走らせなかった車両の集電不良を当初補うための処置として。パンタが一個の機関車などはそう思います。それと、2軸だけの動力車にはLGBのような補助集電の装置が必要かも、と思うこともあります。特にポイント通過の際、集電能力に限度を感じることもあります。(何しろ1軸はゴムタイアつきですから)

ただどういうものか、その点では日本のメーカーは直流にもかかわらず、最近はポイント通過、もしくは電源切り替えの際にも全く支障を来していないようで日本の技術は誠に侮りがたい、と思います。
by klaviermusik-koba (2009-01-07 13:58) 

KDB

Akira様、Koba様、今晩は。KDBです。
メルクリンが当初直流運転だったのは意外ですが、実際にそのような時期があったようです。手元の「Marklin Die kleinen Spurweiten OO/HO」によると、1912年頃から26mmゲージを「OO」と称してぜんまい仕掛けで発売しています(多分、1インチをゲージにした)。16.5mmは1935年から当初はTrix向けに発売されており、すぐMarklinブランドでも発売されましたが、このころから複巻界磁のモーターを使用し、界磁コイルに一枚づつセレン整流器をかませてあり、手元で電源の極性を変えて通電する界磁コイルを切り替え、逆転していました。これらが品番700台だったらしいです。その後、界磁コイルの切り替えにリレーを使用するようになり、おなじみの交流運転が確立して品番が800台になって、これが現在でもアナログ運転に生きているわけです。だから直流運転と言っても、マグネットモーターではありませんでした。なお、Trixブランドでは最初からリレー逆転だったようです。
振り返ると60年代初めの製品までは、逆転機に手動操作用のレバーが付いていましたね。1978年にキットで購入した品番3001のE63電気機関車にもまだ手動レバーがあって、びっくりしたことがあります。このころは架線もパンタグラフも丈夫で、パンタグラフ1個でも架線集電が好調でしたが、最近のmfxデコーダ付き機関車では、昔の架線でパンタグラフ2個を上げても走行が不安定ですね。確かに上下両方から集電したいところです。

by KDB (2009-01-07 20:35) 

Akira

Klaviermusik Kobaさん、KDBさん、こんにちは。

メルクリンH0の歴史を調べると、鉄道模型の歴史をトレースするのに改めて思い知らされます。「00」初期の直流3線式は、私も知らなかった事実ですが、これはもしかするとKDBさんが書かれている当時のTRIXと関係があるかも知れません。TRIXでは、今でも一部直流3線式が残っていますし、1935年の16.5mmゲージ「00」ではメルクリン製モデルがTRIX/Maerklinブランドで展開されていたことからも頷けられます。
手動逆転レバー付きモデルは持っていませんが、知人が持っている3000番のモデルを見たことがあります。
架線集電については、mfxでは集電が難しいのは技術的問題でしょうが、何とかしたいですね。以前、私も地上の集電シューとパンタグラフの両方から集電できるようにならないか技術担当者に聞いたことあります。何でも玩具安全基準との兼ね合いから製品化することは難しいのだとか。もちろん個人での改造ならできるのでしょうが...。
by Akira (2009-01-08 09:06) 

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