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田部井康修 写真展 [Photo]

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昨日午後、高崎市美術館で開催されている鉄道趣味界の大御所とも言える田部井康修氏の写真展を見に出掛けた。彼は高崎市の中心街で歯科医として開業している傍ら、鉄道写真や模型を趣味として長きに渡って鉄道雑誌を始めとする書籍出版物に高崎を中心とした鉄道の写真を発表されている。特に私が生まれる前の1950年代の伊香保電車(高崎ー渋川、前橋ー渋川、渋川ー伊香保)の路面電車の写真は貴重で、これら電車が写っている写真には必ずと言って良い程彼の名前がクレジットされているのである。

今回は、出掛ける前に美術館に連絡して田部井氏がいらっしゃるかどうか確認した上で出掛けたのである。実は私は幼少の頃から田部井氏のことは、近所に住まいがあった母から聞いていた。高級なカメラを持って鉄道写真を撮影しているということだけだったが、一昨年のドイツフェスティバルで初めてお会いしたのである。その時は忙しかったこともあって長い時間お話することは出来なかったが、今回は写真展の会場でゆっくりとお話することができた。
話は写真展の高崎界隈を走る路面電車の話(昔貴賓車だった車両だとか、朝晩付随車が単行の車体に引っ掛けて走ったとか...)やら、私が幼い頃祖父にねだって良く連れて行ってもらった高崎第1機関区横の踏切だとか...。

私が鉄道が好きになったきっかけとして記憶している、当時現役であった蒸気機関車の大きな動輪やシリンダを高崎駅ホームの上で間近に見た時の感動など、(話を合わせてくれたのかも知れないが)田部井氏も同じような経験をされていたと聞いて、益々身近で素晴らしい同好の方とお話が出来たと嬉しくなって帰路についたという訳である。

今回、田部井氏と沢山の話をした中で、もちろん模型の話も少なからず出来たのは嬉しかったのであるが、彼はメルクリンも少しはお持ちとのことで、その昔には東京宝町の喫茶室「01」にも出掛けたそうである。故篠原氏主催の「ドイツ映画を観る会」にも参加されたことがあったという。私はもちろんそのような会に参加できる年齢にも達していなかったが、お話が聞けたのはとても良かった。

写真は、1950年代を中心としたブローニー版や二眼レフカメラを主にお使いになっていたと聞いているが、三脚など一切使わず全て手持ちで撮影したプリントは、まるで最近撮影したと思われる程のシャープな仕上がりである。フィルムはコダックが中心だったとされるが、当時の生きた風景をそのまま切り取ったような写真の数々は、興味のある方々には是非見て頂きたい写真展である。

会期は7/8迄

参考サイト:高崎市美術館
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/art_museum/a/
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コメント 8

Bemo

 かつての国内のメルクリンの聖地として引用される『東京宝町の喫茶室「01」』ですが、銀座には週末によく行くのですが、現存しているのですか?
by Bemo (2009-06-14 22:55) 

Akira

喫茶室「01」は既にありません。店内には実物の01形動輪とメルクリンの01形が鎮座する喫茶店でした。動輪はその後神田の交通博物館に移されたのですが、その後さいたま市の新しい交通博物館には展示されていないので今はどこにあるのかわかりません。
喫茶室「01」は、私も数回しか行ったことがないのですが、KDBさんが良くご存知だと思います。コーヒーにハチミツが付いてくるのが珍しく印象に残っています。
by Akira (2009-06-14 23:07) 

KDB

今晩は。ご指名にあずかりましたKDBです。
「喫茶室01」は73年春から84年の夏まで、宝町のビル1階にありました。店主はかの篠原氏で、経営はご親戚の磯氏があたられていました。店の看板が01-127号機の第2動輪で、やはりドイツから輸入した短いレールと枕木(鉄枕木でした)の線路上に据えてありました(バラストは新幹線用だったそうです)。ここで、2週間に一度の「ドイツ鉄道映画を見る会」があり、篠原氏を中心に「鉄道ファン」「鉄道ジャーナル」「とれいん」各誌の編集者や、著名なマニア、写真家、作家各氏が集まり、本当に素晴らしいひと時を過ごしたもので、田部井様にも多分お会いしていると思います。また、76年に「日本メルクリン模型鉄道同好会」が結成され、その例会にも「喫茶室01」が使われていましたが、篠原氏の事情でこの会は一年後に解散(?)となりました。このあたり、以前に「めるふぁん」様の掲示板に詳細を書きましたので(2006年ころ)、私の名前で検索してみてください。残念なことに喫茶室は経営上の問題があったそうで84年に閉店し、動輪は交通博物館に寄贈され、中央ロビーのマレー機関車の後ろに並べられました(同じヘンシェルのよしみとか)。今はどうなったのか気になりますが、まさかスクラップにはなっていないでしょう。なお、この動輪はタイヤ部分が白く塗ってありましたが、これは工場出場時の塗装なのだそうで、運転すればすぐ禿げてしまうため、そのあと現場の機関区で赤く塗りなおしていると聞きました。
by KDB (2009-06-15 20:00) 

まおパパ

確かこの写真(写真集)は、Akiraさんや私の家の近所のラ・メーゾンで読んだ(観た)ことがあります。こんな貴重な写真を残されている方が、しかも歯科医さん!がいらっしゃるのかぁーと感心したものでした。

私が生まれたのは、前橋市の国領町というところで、R17沿いでした。幼少のころ、ここに軌道があって前橋-伊香保線(渋川線?)というチンチン電車が走っていたのだと父から聞いていました。高崎・前橋・渋川・伊香保と市電があったのに、残念でしたよね。
by まおパパ (2009-06-15 21:13) 

Akira

KDBさん、動輪のある喫茶室「01」の詳しい説明をあいがとうございます。BR01の動輪は田部井氏も現在どこにあるのかわからないとおっしゃっていました。ミステリーですねぇ。
by Akira (2009-06-15 21:15) 

Akira

まおパパさん、こんばんは。

田部井氏の歯科医院は慈光通りにあります。ロッテリアの向かいあたり?
あと渋川に個人の庭に伊香保電車を1両保存されている方がいらっしゃいます。群馬県はクルマなしの生活が困難なのでもう1度路面電車を実現させたいですよね。
by Akira (2009-06-15 21:42) 

Bemo

Akira さん、KDB さん、

 ご教授ありがとうございました。

 メルファンさんの掲示板の記事も大変興味深く読ませていただきました。

 喫茶室「01」の後は今何があるのでしょうか。

 群馬はにはすごい鉄道模型のコレクターがいそうですね。

by Bemo (2009-06-16 20:49) 

Akira

Bemoさん、こんばんは。

宝町の「01」は、ビルの1階でしたから無くなった後は別のお店になったのでしょうね。今はどうなったのか?

>群馬はにはすごい鉄道模型のコレクターがいそうですね。

鉄道模型のコレクター...?どなたかいらっしゃるのでしょうか?わかりませんねぇ。ただ、一昨年のドイツフェスティバルで感じたのは、群馬の人も模型好きは多い...と。
by Akira (2009-06-16 21:55) 

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