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CIWL Typ. YU/YT Schlafwagen in Japan [欧州鉄道]

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▲ 深い青色に向い獅子マークが輝かしいCIWLのマーク。その下にUIC表記(71 80 71-41 364-2)が見える。これの意味するのは、何とDB車籍のWLAB寝台車。

先日UIC-Typ. Uの寝台車について記したので、今回はCIWLの寝台車Typ. YU/YTについて記してみたい。YT形寝台車は、今年のL.S.モデルのH0モデル新製品にもラインナップされているので、ご存知の方も少なからずいらっしゃるであろう。

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▲ サボには、ORIENT・EXPRESSとPARIS(EST) - KONSTANTINOPLEの文字が記されている

そのYU/YT形寝台車に、私は1980年代初頭に、しかも日本で乗車していたのである。その時撮影したのが今回アップした画像である。当時、CIWLという文字も知らず、欧州からやってきた「ホテルオリエント急行」なるいわゆるSLホテルが琵琶湖の畔にあった総合レジャー施設「ホテル紅葉」の一角に出来たのである。一角と言っても、なんと流れるプールの上にレールを敷いた台座を作り、その上に蒸気機関車(ÖBB 52形)1両とその後ろにCIWL食堂車1両、そしてこの YU形とYT形寝台車8両を連結して、オリエント急行風なワゴン・リ客車編成のSLホテルであった。

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▲ 側廊下は、U形寝台車とさほど変わらないものの、照明が白熱灯であったり、絨毯が赤であったりと、その雰囲気はYT形に軍配があがろうか。

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▲ デッキ部分の配電盤

当時、まだ欧州が憧れの地で、ほとんど知識ゼロに近かった私は、矢も盾も溜まらず一人でこのSLホテル列車に泊りに行ったのである。とにかくワゴン・リの寝台車に泊ってみたかったというのが本心であった。ここに貼った画像は、その時に撮影した写真が何枚かプリントで残っていたのをスキャンしたものである。
初めて訪れた時は、食堂車でコース料理を食べれたし、まだ設置されて間もなかったためか、くたびれた感じもなかったが、2度目の時はちょっと残念な感じになっていた。

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▲ 2段ベットにはWLマークの入った赤い毛布が。リネン類やコップもWLマークが入っていたように思う。

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▲ 洗面台テーブルの上は、鏡面付きの棚。これはU形寝台車同様のつくり。棚に収まるコップはWLマーク付き。この時WLマーク付きコップがお土産で売られていたので買って帰ったがもう手元にはない。

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▲ 蓋がテーブルになる洗面台は、U形と同じ。

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▲ 室内扉上には上段ベットの照明類や空調スイッチ類、非常ブレーキレバー、側廊下上には荷物置きになるスペースが確保されている合理的なレイアウト。

このYT形寝台車、製造時期からしてDSGのU形と同時期に出来ており、外観はCIWLの紺碧と向い獅子がその威厳を放っているものの、内容はU形寝台車と大差ないように思う。画像の表記を見る限り、WLABなのでU形寝台車とほぼ同じ設備と言える。
この"YT"形と"Y"形との違いであるが、寝台個室数は同じ11室であるが、"Y"形が全室2段寝台(定員22名)に対し、"YT"形は7室が2段寝台、4室が3段寝台(定員26名)である。(YTの"T”は2等料金で利用可能な"Tourist"の略ではないか?)私が利用した時、2段だったような記憶があるが、3段寝台個室でも"U"形同様、2段寝台に変更可能な作りになっていると思われる。

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▲ 専務車掌室内のテーブル

今も一般的には、あの紺碧の車体に向い獅子マークさえあれば、それはオリエント急行で使われた寝台車なのだと思うかもしれないが、CIWL寝台車は様々な形式が存在している。YT形寝台車はVSOEなどで使われている超豪華なLx形とは設備的に全く異なり、格下の単なるWLAB寝台車である。(もっとも、YT形がドイツからオーストリア、バルカン方面へのD-Zug夜行に運用されていたとすれば、Orient-Expressに組成されていた可能性はあるが...)
当時のハナシとして聞いたのは、ホテルのオーナーがCIWL社から車両を譲り受けてもらおうと交渉したが最初は門前払いで、それでもめげずに粘り強く交渉し、ようやくこの客車を譲ってもらったのだとか。

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▲ 撮影場所が限られていてこのようなカットになってしまったのはご容赦いただきたい。オーストリア国鉄に所属していたドイツ製の52形機関車(52.2436)である。戦時形故ごついスタイルだが、日本に52形機関車が存在していたこと自体信じられないことである。

当時は趣味誌にも掲載され話題にもなった。しかし、SLホテルは結局単なるブームに終わったのはご承知の通りで、この折角のCIWL寝台車も私のような酔狂なお客ばかりなら良いが、採算に合ったとは言えなかっただろう。結局私がここを利用した時もその湿度の高さを感じたが、車両の下が湖畔のプールというのは車両にとって最悪の保存環境である。ましてや、乾燥環境の欧州客車である。老朽化に加え、腐食も進んでいたように思う。

結末は、ご存知の通り解体が決定し、その後不審火で一部焼失したと趣味誌に記されて怒りと共に酷く寂しい感情を持ったのを思い出す。YT形とは言え、腐ってもCIWLではないか。芸術的価値は今一歩とは思うが、欧州に居れば解体されず動態保存の対象になっていた可能性もある。当時は寂しい以上に悔しいという思いもあったように思う。プールの上に客車を置けば腐食が進むことぐらい容易に想像もつく。そしてオーナーが変わったのかも知れないが、簡単に解体処分を決めてしまう。この車両がLx形やプルマン車のような価値の高い車両でなかったのがせめてもの救いか。ただ、食堂車については、形式も分からない。寝台車よりも価値があったとも聞くが...。

更に奈良方面の学校の部活動室の一部としてこの車体が使われているという風の便りに聞くこともあったが、今はそれも無くなっているとか。あまりに残念な結末を迎えたこのホテルオリエント急行の客車群であったが、その一部でも残っていることが確認出来れば知りたいのである。

Spielkisteブログ関連ページ:
・ホテルオリエント急行の宿泊券
・1978年 ホテルオリエント急行への訪問

参考サイト:
WL Typ Y, YU, U und Artverwandte / Wagonslits Homepage Forum
http://www.wagonslits.de/phpbb2/album_cat.php?cat_id=18

紅葉パラダイスのオリエント急行/鉄道と趣味の関西通信
http://oimactaka.shumilog.com/2010/01/06/紅葉パラダイスのオリエント急行/

[EDIT: 2020-11-02]
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東西急行

Akira様、東西急行です。
鮮明なる写真資料有難う御座います。
恥を晒しまくった挙げ句貴重な機材を
無惨にも潰滅せしめた極悪施設として
際立っていましたが、某エッセイスト
の線の震えた絵でしか知らなかった私
をしては文字通り両目よりウロコぽろ
ぽろモンです。
by 東西急行 (2012-07-12 00:35) 

Berliner

鉄道車両を利用したホテルでうまくいっているところって見たことありません。数年すると塗装があせてきて、外見からして泊まりたくない感じになってしますよね。建物と違ってメンテナンスも手間と費用がかかるでしょうから無理もないですが。
ところでこのサボ、日本で複製したものですか。Mumchenと誤って綴られていますね。
by Berliner (2012-07-12 06:04) 

Akira

おはようございます、コメントをありがとうございます。

> 東西急行さん
酷い写真をスキャンしたのでお恥ずかしい限りです。特にエクステリアについては、プール上のため、通路幅が狭かったので満足な写真が撮影できず...。
私もその絵を見たことがあります。読んだ当時は面白いと思ったものです。

> Berlinerさん
やはり、様々な意味で列車ホテルは残念な試みでした。ブームであれば、それを目当てにお客様も利用し、運営側は建物コストを節約出来る一見美味しそうなビジネスモデルです。しかし、ブームであればという前提付きで、更に廃車体の再利用ですから老朽化も早いはず。そう上手くはいかないでしょう。サボについては、ご指摘で気がつきました。新しかったですし、きっとレプリカなのでしょうね。
by Akira (2012-07-12 06:27) 

klaviermusik-koba

うーん、興味深く拝見しました。これは貴重な写真です。話には聞いていましたが、当時は私もあまり興味は持ちませんでしたが。本当に鉄道を愛した人がやったとは思えない。当時バブルの勢いはこんなことをやる余裕があったのですね。
いい形で保存してくれれば今となれば大変な観光価値はあると思うのですが、長く保存するのにどれだけの費用と手間暇がかかるか 、考えなかったのでしょう。浅はかとしかいいようがありません。

サボについては私も始めにあれ?と思いました。綴りの間違いもウムラウトの書き落としも当時の優等列車ならあり得ないことです。思いもしなかったであろう遥かな異国の地で哀れな52型、今はどこでどうなっているのでしょうね〜 。当時はもうIstanbulだったわけですが、あえてKonstantinopleと呼ぶところがいかにも、ヨーロッパ人らしい発想
と言った感じがします。
by klaviermusik-koba (2012-07-12 18:56) 

KDB

今晩は。この52型とワゴンリー客車は1977年に設置され、事前の話では機関車はフランスの141Rという噂もありました。そうしたら52型でいささかがっかりしましたが、ユーゴ国内で実際に52型が牽引していたという理屈で、まあ、仕方なかったか。私も見に行ったことがあります。あまり良い場所ではなく、長く残せるかと気になった覚えがあります。案の定、90年代に解体されてしまったと聞きました。そのうち客車2両が奈良県内のどこかで台車をもがれ、ケバケバしいペンキを塗られて、グラウンドの更衣室にされているところが雑誌に出ておりました。およそ鉄道に関する日本人の民度なんて、こんなものだと発見者が嘆いていたようです。実際、そのようなところをヨーロッパの有識者が見たら、国際的な非難の的になったでしょう。嘆かわしいことですね。
by KDB (2012-07-12 21:21) 

東西急行

今晩は
冒頭写真のワゴンリ社章からは「欧州大急行会社」の部分が
削られており、UIC管理符丁と共にこの車輛の現役時を思い
起こさせてくれます。第Ⅳ画期のワゴンリをしては、小汚い
貧乏旅行者すらも貴重な客人でした。
BR52戦時型の適否については、手許の四半世紀出た冊子にも
記載が有ります。逆に141Rを腐らせたとなると外交問題?に
なり兼ねなかったとも思えます。
蛇足乍ら此の件と似通った例が有ると愚考しました所、一部
で未だ記憶に鮮明な「嵐山美術館=持ってけドロボー非常識
えせマニア大歓迎」が出て来ました。
鉄道に関する日本人の民度は今更嘆いても仕方有りません。
罐は残せても牽かせる箱を尽く捨ててしまった結果、真っ当
な復活編成を組めなくなった(展望車だけ残っていても二等、
食堂、寝台が皆無では)等腹の立つことばかりです。
陰鬱な事例ばかり申しましたが、斯様な無惨振りの中で独り
光明を放つ存在として「箱根ラリック美術館」を挙げておく
ことと致します。
by 東西急行 (2012-07-12 22:36) 

Akira

こんばんは、コメントをありがとうございます。

> kobaさん
おそらくCIWLとは言え、このYb形は当時はさほど珍しくもなかったのでしょうが、今となっては貴重な寝台車や食堂車でしょう。輸入する経費もそれなりに掛かってでしょうし、車両の価値も理解していなかったとは購入時の経緯を知っていれば、幾ら何でも解体処分にはしなかったのではないかと思える訳です。そう言う意味では本当に残念な処分でした。また時期については、購入時はまだバブルではなかったと思います。バブルの頃は既に老朽化が進み人気も無くなっていた時期だと思います。
サボについては、仰る通りウムラウトもないですね。レプリカをどこかで作ったのでしょう。ただ、リネン類やカップなどオリジナルだったので、利用時にその価値は感じました。

> KDBさん
このYb形寝台車のUIC表記から、西ドイツ車籍だったことがわかりました。実はミュンヘンの郊外にあるNeuaubingにDBの車両工場(Aw)がありまして、そこの一部がCIWLの管轄になっていた(つまり車両検査整備場)のを、そこの見学に行った時初めて確認しました。おそらくミュンヘンを経由する夜行列車の中にCIWLの寝台車両があったのだと思われます。おそらくイタリア方面かオーストリア方面への運用で使われていたのではないかと推察できます。(実際私が利用したことのあるローマ行き夜行列車のDBのU形寝台車ではCIWLの専務車掌が乗務していました)

それにしても、きっと今でもCIWL車体に付いていた向い獅子マークが10個ぐらいは国内にあるはずです。これだけでも貴重な逸品です。52形についても、国鉄時代の技術者は何も興味が湧かなかったのかと思います。解体するくらいだったら引き取って調べるくらい出来たのに...と思うのですが。それはCIWL客車についても同様で、交通博物館なりで引き取っても良かったのにと今更ながら思う訳です。

そういう意味でも箱根の博物館に鎮座しているプルマンが屋根付きの環境で大切に保管されているのは良かったです。
by Akira (2012-07-12 22:50) 

Akira

東西急行さん、こんばんは。

確かにマークの下半分には何も記されていないですね。このYb形はおそらくEp.IIIa時代にデビュー(カッセルのCredé社製?)し、ここに来たのはEp.IVですから、既にロールアウト時には欧州大急行会社ではなかったのかも知れませんね。仰る通り、使われ方としてはオリエント急行にしても出稼ぎ列車の寝台車程度で欧州のブルジョア御用達の時代ではなかったと思います。(こう書くとU形寝台車は優雅と表現できなくなりますが..)やはり、紺碧の車体と社章エンブレムが、その誇りをかろうじて保っているというところでしょうか。今や階級社会ではなく誇りも何もないのかも知れませんが、時代の生き証人の役割を果たすのには充分価値のある車両だったと思います。
by Akira (2012-07-12 23:03) 

電車@チェロ弾き

はじめまして。ネットでオリエント急行ホテルの検索をしていたら見つけました。

私も小学校低学年の1980年代後半にオリエント急行ホテルに宿泊しました。その直後、オリエント急行が日本に上陸して小学生ながら、その重厚さに圧倒されたものです。

オリエント急行ホテルに泊まり、日本に上陸したオリエント急行がきっかけで海外の鉄道に興味を持ちました。

大学受験では英語がネックでしたが海外の鉄道雑誌で長文読解をマスターし、高校時代の学力では絶望的と言われた大学に一浪ながら合格することもできました。

オリエント急行ホテルが解体されたのはその大学受験を決意したころでした。そして足回りをもがれ、更衣室にされた(それも数年後に解体されたと聞きました)寝台車2両が雑誌に掲載されて愕然としたのを覚えています。

Y型は他にフランスのジロンド県内に3892と3894の2両がライダーハウスとして利用されていました(1986年撮影の画像がネット上にあります)。また、1991年に元CIWL籍(ワゴンリの紋章が外され、積出港がルアーブルなのでおそらく現役末期はSNCF所有)と思われる客車3両が名古屋港に上陸しています。このうち1両がY型でした。(もう1両も以前存在したHP上で確認しましたが、大きな側扉が取り付けられていることからY型を事業用車化改造したものと推察されます)。この車両は金城埠頭にしばらく保管された後、なんと、行方不明をつかめませんでした。

時代が変わって維持管理できなくなってしまったのは仕方ないことなのかもしれませんが,せめて「このままじゃ解体するしかない」と世間に向けてシグナルを出せば、今頃、助かった車両があったかもしれませんね。残念です。

ラリック美術館のプルマン車は末永く残ってほしいところです。
by 電車@チェロ弾き (2014-08-31 21:37) 

Akira

電車@チェロ弾きさん、こんばんは。はじめまして、Spielkisteブログへようこそ。

コメント、情報をありがとうございます。
私もこのホテル紅葉が人生初見+初乗車のCIWL客車でした。1991年にこれとは別の元CIWL客車が日本に来ていたとは初めて知りました。欧州では、まだ放置や保管されていてレストアされずに残っているCIWL客車がそこそこ居るみたいですが、高温多湿の日本より欧州でレストアされて現地で保存されるほうが良いみたいです。唯一ラリックミュージアムのプルマン客車は幸運な1台だと思います。
今後ともよろしくお願い致します。
by Akira (2014-09-01 21:31) 

○○の猫

紅葉パラダイス閉園後に奈良の山中に遺棄されていたらしいです。7年ほど前に何処かの掲示板で画像を拾いました。大変無残な姿です。
https://twitter.com/tikz14684/status/843822722194923520
by ○○の猫 (2017-03-21 22:06) 

Akira

○○の猫さん、こんばんは。

レスが非常に遅れ申し訳ないです。
画像をありがとうございます。非常に無残ですね。屋根の形状や窓割りなどでかろうじてCIWLの姿を確認することはできます。しかし、ここも既に無くなってしまったとか。安易な保存もすべきではなく、将来に渡ってその価値を伝えることの難しさを痛感します。
by Akira (2017-07-16 19:47) 

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