雷門地下鉄直営食堂のラベル [ラベル]
DBやFSのペーパータオルなど、写真アルバムに貼付したものが片付けで発掘され、当ブログでも紹介してきているのであるが、これらを整理した1985年頃、亡き祖父から貰った幾つかのラベル類を同様に写真用アルバムに貼付したものも出て来た。それらはビール瓶のエチケットであったり、マッチ箱のラベルと思われる小さな広告を丁寧に剥がしてあったものである。どうも私の妙な収集癖は、先祖からのDNAがそうさせたのかも知れないが、読込んでみると絵柄と共にそこに記されている情報が面白いのである。
その中から鉄道関係のものが2枚出て来たので紹介してみたい。
これは、東京地下鉄道の社章と浅草雷門ビル、そして地下鉄の絵が描かれている。雷門ビルは、ここには「地下鉄タワー高サ(40メートル)」と記されている。タイトル文字でもある「雷門地下鉄直営食堂」やビルの絵の説明から、このビルは東京地下鉄道直営の食堂であったことが窺える。このビルはどうやら全て食堂であったらしく、階によって異なるサービスが受けられるほどの大きいレストランでもあったようである。興味を惹くのは、2、3階の「禁酒食堂」というフロアである。今なら禁煙フロアなのかも知れない。時代の要請によって変わるのであろう。
ここは東京の中心地の一つであった浅草の(当時としては)高層ビルであることや最先端の交通機関であった地下鉄と一体となったレストランであったことからも、当時を生きた人には有名であったであろうことは容易に推測できる。
ビルの画像は以下アドレス。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3e/Tokyo_Underground_Railway_Building_circa_1930.JPG
この絵柄から、食堂の広告でありながらも地下鉄を意識したもので、ビルは地下鉄浅草駅と直結していることも窺える。
このラベルは、最初の画像のラベルと同じマッチ箱?に貼られていたものと推測できる。おそらく表裏にこれら2枚のラベルが貼られていたのであろう。
こちらも地下鉄食堂の営業時間が記されている。同時に絵柄が地下鉄路線図というのが直営らしい。グラフィックとしては、2枚とも1920年代らしい当時の先端をゆくモダンを感じる。雷門ビルの絵柄はバックの黄色はもちろん当時の地下鉄のシンボルカラーである山吹色。ベルリン地下鉄を参考にしたというのは、その工事方法だけでなく、軌道システムや車体色もそうである。
路線図を眺めてみると営業路線は今の東京メトロ銀座線、浅草 - 末広町間のみである。三越(現三越前?)迄工事中で、計画路線である新橋から渋谷方面ではなく、品川、馬込方面への計画されているところを見ると、当時は都営浅草線をトレースしているようである。
また、Wikipediaでは、浅草-上野間は1927年で、万世橋(仮)迄は1930年の開業と記されていることから、末広町迄の開通は、その間ということになろう。
調べてみると、現在の渋谷へと結んだ背景に様々な経緯があったようであるが、もし品川迄銀座線が結ばれていたら、また違った東京の姿になっていたかも知れない。
この路線図は「省電」と記された、今のJR山手線に当る路線図も一部記されている。この山手線は、現在のような環状線として運転されたのは1925年からとのことなので、このラベルの当時、環状線化されて数年後と思われる。東京の交通が発展途上で都市機能のインフラが次々と拡充してゆく時代であったのであろう。また、東海道本線(横浜方面)については、今とは異なり汐留発着が窺われる。
このような小さな広告2枚でも、そこから読取れる情報は様々で興味深い。
参考サイト:
東京地下鉄道 / Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/東京地下鉄道
東京地下鉄銀座線 / Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/東京地下鉄銀座線
昭和初期の絵はがき 地下鉄銀座線2 / 昭和からの贈り物
http://ohoshisama.info/syowakarano/03syouwaA/syouwaA36ginzaline.htm
[EDIT] 2017-05-09
その中から鉄道関係のものが2枚出て来たので紹介してみたい。
これは、東京地下鉄道の社章と浅草雷門ビル、そして地下鉄の絵が描かれている。雷門ビルは、ここには「地下鉄タワー高サ(40メートル)」と記されている。タイトル文字でもある「雷門地下鉄直営食堂」やビルの絵の説明から、このビルは東京地下鉄道直営の食堂であったことが窺える。このビルはどうやら全て食堂であったらしく、階によって異なるサービスが受けられるほどの大きいレストランでもあったようである。興味を惹くのは、2、3階の「禁酒食堂」というフロアである。今なら禁煙フロアなのかも知れない。時代の要請によって変わるのであろう。
ここは東京の中心地の一つであった浅草の(当時としては)高層ビルであることや最先端の交通機関であった地下鉄と一体となったレストランであったことからも、当時を生きた人には有名であったであろうことは容易に推測できる。
ビルの画像は以下アドレス。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3e/Tokyo_Underground_Railway_Building_circa_1930.JPG
この絵柄から、食堂の広告でありながらも地下鉄を意識したもので、ビルは地下鉄浅草駅と直結していることも窺える。
このラベルは、最初の画像のラベルと同じマッチ箱?に貼られていたものと推測できる。おそらく表裏にこれら2枚のラベルが貼られていたのであろう。
こちらも地下鉄食堂の営業時間が記されている。同時に絵柄が地下鉄路線図というのが直営らしい。グラフィックとしては、2枚とも1920年代らしい当時の先端をゆくモダンを感じる。雷門ビルの絵柄はバックの黄色はもちろん当時の地下鉄のシンボルカラーである山吹色。ベルリン地下鉄を参考にしたというのは、その工事方法だけでなく、軌道システムや車体色もそうである。
路線図を眺めてみると営業路線は今の東京メトロ銀座線、浅草 - 末広町間のみである。三越(現三越前?)迄工事中で、計画路線である新橋から渋谷方面ではなく、品川、馬込方面への計画されているところを見ると、当時は都営浅草線をトレースしているようである。
また、Wikipediaでは、浅草-上野間は1927年で、万世橋(仮)迄は1930年の開業と記されていることから、末広町迄の開通は、その間ということになろう。
調べてみると、現在の渋谷へと結んだ背景に様々な経緯があったようであるが、もし品川迄銀座線が結ばれていたら、また違った東京の姿になっていたかも知れない。
この路線図は「省電」と記された、今のJR山手線に当る路線図も一部記されている。この山手線は、現在のような環状線として運転されたのは1925年からとのことなので、このラベルの当時、環状線化されて数年後と思われる。東京の交通が発展途上で都市機能のインフラが次々と拡充してゆく時代であったのであろう。また、東海道本線(横浜方面)については、今とは異なり汐留発着が窺われる。
このような小さな広告2枚でも、そこから読取れる情報は様々で興味深い。
参考サイト:
東京地下鉄道 / Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/東京地下鉄道
東京地下鉄銀座線 / Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/東京地下鉄銀座線
昭和初期の絵はがき 地下鉄銀座線2 / 昭和からの贈り物
http://ohoshisama.info/syowakarano/03syouwaA/syouwaA36ginzaline.htm
[EDIT] 2017-05-09
このビルは建て替えられて今は新設された雷門改札のEV付き出口になっています。
by abe (2013-03-23 20:17)
abeさん、こんばんは。
今度浅草に行った時に確かめてみようと思っていたところです。以前ドイツから来た知人と浅草寺に行き、雷門から浅草地下鉄駅へ行く途中、古ぼけた入口から降りたところ、昭和にタイムスリップしたかのような地下街がありました。先日発売となった鉄道デザインEXにこの地下街の記事(鉄道遺産になれない遺産たち)があって興味深く読んだのですが、このあたりがちょうど雷門ビルなのかなぁと思っていたところです。でもEVは入口になかったので多分違うのでしょうね..。
by Akira (2013-03-23 20:40)
こんにちは
戦前の建築関係の資料が集まっているサイトに東京地下鉄道浅草駅の資料があったのでリンクを張っておきます。
http://tatemono.sblo.jp/article/67202487.html
by 300B (2013-05-22 17:46)
300Bさん、こんばんは。
興味深いサイトをご紹介頂きありがとうございます。さすが日本最初の地下鉄の浅草駅です。このビルの存在は、当時相当インパクトのある建物であったことが窺えます。図面も地階と6階の平面図に厨房があり、そこから各食堂階にリフトで運ぶシステムであったことが理解できます。興味を惹いたのが一階エントランスにチケット(食券?)売り場があること。考えてみれば、私も幼い頃親に連れられて行った百貨店の最上階の大食堂も食券だったことを思い出しました。(歳がバレますね)
by Akira (2013-05-22 21:53)