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RIC-Weitstrecken-Schlafwagen / SZD Ep.IV [欧州鉄道]

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今回もカールスルーエ中央駅で撮影した車両をお見せしたい。プリントには、1991.7.25の日付があるので、もう22年前の丁度今頃、大学の定期試験も終わってホッとしていた頃であろうか。ドイツの夏は日没が遅いので夕食を午後7時頃に摂っても、食後に散歩が出来るほどである。駅近くのアパートに住んでいた私は、良く夕食後にカメラを片手に散歩がてらカールスルーエ中央駅に行ったので、その時のものと思われる。

午後7時を過ぎると、この駅にはIC/EC列車の他に国際夜行列車(D-Zug)もやってくる。それがフランス方面からだったり、スイス方面からだったりするのだが、画像はスイスからやってきたD359列車(Basel SBB - Berlin)。DBの寝台車や座席車に混じって最後尾に1両だけ珍しいソビエト国鉄(SZD)の寝台車が連結されていた。当時のソビエト国鉄は、私にとって未知の鉄道である。ドイツでも西側では中々お目にかかれない客車なので、こうして写真を撮ったのだと思う。

車両に近づくと、西ヨーロッパの車両とは明らかに異なる深い緑色にクリーム色の帯が入ったコルゲート付きのゴツい外板と、窓の内側には、それとは対照的な繊細なレースのカーテンが掛かっているのが見えて車両の内装に興味を持ったものの、ロシア人らしき専務車掌氏が睨みを効かせていて、それ以上何も出来なかったのを憶えている。ヨーロッパの寝台車乗務の専務車掌は各車両ごとに乗務しており、その車両の乗客のためにサーヴィスするのであるが、聞いた話では当時のSZD寝台車は、勤務が列車毎ではなく各車両毎に専属となっており、車両そのものが車掌に委ねられているらしく、社会主義の体制もあって乗客にとっては、サーヴィスと言えるようなものではないとか。(このあたりは利用しないと何とも言えないが..)

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もちろんこの寝台車は、色々な列車に連結されて長距離を渡り走るKurswagenであるが、サボを見ると、「Madrid - Berlin - Moskva」(もう少し駅名はあったかも?)と記されていて、スペインからモスクワまで約4000Km、どこまでも線路が続いている証しみたいな車両で、本当に長距離運用と感じたのである。道のりのまだ半分ぐらいか?(出発駅はスペインのマドリッドの他に、日によってスイスのジュネーヴC発やベルン発もある)
この年の12月25日、ソ連は崩壊しロシアとなることなど、私も含めて誰も知る由はなかったであろう。(このD359の運用はこの夏ダイヤで終了となっている)

後に仕事でロシアの寝台車のデザイン提案をしたことがあるが、車体断面はドイツの客車と全く異なり、外板がやたらに分厚い。冬期には-50度にもなる路線を走っても乗客が快適に過ごさなければならないからだそうだ。外観がゴツいのは当然なのであろう。今やモスクワ-ニースやモスクワ-パリのロシア国鉄(RZD)の寝台列車が走っているが、Kurswagenではなく立派な編成で、しかもコルゲートなどない西側と遜色ない外観になっている。ただ、走る場所は変わらないので寒冷対策はDBの車両とは違うのであろう。

さて、H0モデルは、TilligあたりのメーカーがSZDの寝台車をリリースしているが、それがソ連国内専用か、RIC仕様かはわからない。RIC仕様の寝台車なら1両ぐらいは入手して当時の国際D-Zugに連結させてみたい気もするが、まずメルクリンでは製品化されないだろうなぁ、と思う。

上の画像は、同じ車両を反対方向から撮影したもの。西陽が車両に反射しているのがわかる。おそらくここでも客車の解放や連結が行われていたらしく10分以上停車していた。のんびりとした夕日の中、このソ連寝台車を最後尾に付けながら、再びフランクフルト方面に向かって走り去って行くのを見送ってから帰路についた。

[EDIT] 2021-11-23
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Berliner

ソ連車両を繋いだD-Zug!、実現してみせてください! お願いします。
1990年に初めてヨーロッパを旅行したときにフランクフルト-ベルリンで夜行列車に乗りました。私が乗ったのはDBのLiegewagenでしたが、その編成にもこういう車両が繋がっていました。
そういえば当時のトーマスクックにMadrid-Moscowがありました。ということは、スペイン/フランス国境とソ連への越境で二度台車を取り替えていたってことなんですよね。すごい手間ですね。
今もCISからの車両、列車を見ますが、確かに車掌のガードがきつくて近寄れないですね・・。ロシアからの列車は、いまだに謎が多い。
1990年にその後ブダペストからナホトカまで乗ったときには、車内の設備もごつくて本当に面白かった。記録しておけばと後悔しきりです。
by Berliner (2013-07-12 18:59) 

Akira

こんばんは、Berlinerさん。

Berlinerさんが90年に利用された夜行列車とこの列車はおそらく同じ運用だったのではないでしょうか?2度の台車履き替えは、そうなのでしょう。私は初めて気づきました。90年にブタペストからナホトカ乗車とは凄いですね。また是非その時のお話をお聞かせください。
by Akira (2013-07-12 20:07) 

klaviermusik-koba

Kurswagenとしてヨーロッパ各地に来るのは私も見ましたが、ロシアは広軌ですから、台車は国境駅で交換するからいいとしても、車両限界の問題をどうしているのだろうと今でも不思議に思っています。たぶんヨーロッパ直通用には特別のヨーロッパに適合する専用車両があるのでしょう。ポーランド国内ではこの車両はいたるところで見られ、食堂車も見かけました。

ワルシャワーモスクワ間には一日数本の直通列車があります。当然軌間が違うので国境で台車交換をするのだと思います。ひと列車全体をクレーンで持ち上げ、台車だけを全部連結、機関車で牽引して交換する、というのはロシアのお家芸のようです。ソ連時代に何度か列車の旅行はして、だいぶん写真も撮りましたが、怖そうな雰囲気はあるものの、とくに注意されることは一度もありませんでした。ただ被写体が、この写真のような色のものばかりなのであまり面白みはないです。この時の写真もあるはずなのですが。。。
by klaviermusik-koba (2013-07-12 20:59) 

Akira

こんばんは、kobaさん。

ソ連国鉄の広軌と標準軌の車両限界ですが、確かに違うようで標準軌乗り入れ可の車両はRIC規格に準拠していると思われます。車両にRICの文字が入っていることでわかりますが、このタイプの客車は独特なので、RIC文字だけでは分かりにくいかも知れません。

確か国境付近の台車交換はBrest駅だったように思います。私も1度テレビで台車の交換風景を見たことがありますが、興味があるので是非1度体験したいものです。
by Akira (2013-07-12 21:15) 

カゲノ

こんにちは。
幣ブログにSACHSENMODELLE製の寝台車の記事を記載しましたのでよろしければ見てください。写真の車両とかなり近い形式かなぁと思います。
http://kageno53.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-3858.html
またブレスト駅の台車交換の映像もあったので連携してます。
by カゲノ (2013-07-13 03:41) 

KDB

今日は、KDBです。
このソ連ーロシア型寝台車、是非急行編成に1両位欲しいですね。私も東ベルリンに入った時、隣の線路に似た車両が混じった編成が止まっていたのを見ています(何分、恐怖のフリードリヒシュトラーセ駅で、写真は到底無理)。運用はモスクワからパリと記入がありました。やはり、ソ連国内運用の車両より、車両限界の関係で車体幅が狭くなっているようでしたが、背が高く目立ちました。郊外で01,03の列車を撮影していると、時刻表(といっても本物は資本主義者?には売ってもらえず、主要列車だけ記載のパンフレットで代用)にない列車が現れ、これが03の牽引するソ連客車ばかりの編成で、機関車の背丈とほぼ同じ高さの客車の屋根が続いていたのを思い出します。
by KDB (2013-07-13 08:35) 

Akira

おはようございます。コメントをありがとうございます。

> カゲノさん
モデルの画像を拝見いたしました。画像を見る限りこの客車に間違いなさそうですね。更に興味をそそられたのは取説の路線図です。当時はこの寝台車も含めて西側ヨーロッパ各国首都からベルリンにKurswagenとして集合し、おそらくベルリンで各地から来た寝台車を集めてモスクワ迄運用されていたと想像できます。

> KDBさん
やはりFriedlich Strasseは、恐怖ですよね。でも私も初めての東独の駅がこの駅だったので、その違いに怖いながらも興味津々だったのを憶えています。写真は撮れませんでしたが、撮っておきたかったです。今は、あのホームは面影もないですし、駅の外は見違えるように綺麗になりました。
by Akira (2013-07-13 09:35) 

Berliner

またお邪魔します。ロシアの広軌から標準軌に入ってくる車両の中には、このタイプではなく、ロシア国内を走っているものと同じもっと屋根の角張ったものもありますか。ドイツでは見たことありませんが、1990年にブダペストから乗った車両は、どうもそれだったようです。一番端の部屋で固いベッドが二段でした。洗面台はありませんでした。朝、国境で作業員が入ってきて床の穴からセンターピンを抜いて出て行きました。そういうタイプの車両は「東側」の国には入ってくるようです。ルーマニアの友人が最近撮った写真にそれが写っていました。彼がブカレストから乗った車両は、4人部屋のハードクラス寝台、いわゆる「クペー」だったそうです。車両限界はどうなっているのか気になります。以前はベルリンからロストフだとかサラトフなどへ行く車両があったのですが、連結器はどうなっていたんでしょう。謎が謎を呼びます。
by Berliner (2013-07-13 21:11) 

Akira

こんばんは、Berlinerさん。

おそらく標準軌で走れる車両は国内専用車よりも車両限界が小さいはずです。(ICE3ベースのサプサンはやや幅広です)それは、寝台車でもクシェットでも同じだとは思いますが、そのあたりは正直わかりません。連結器は、スクリュー式ではないのでしょうか?東欧圏は、まだまだナゾですね。
by Akira (2013-07-13 21:50) 

カゲノ

Berliner さんこんにちは。カゲノです。
>ロシア国内を走っているものと同じもっと屋根の角張ったものもありますか。
"SZD wagen"でググったらこんな模型写真が出てきました。
http://www.nexusboard.net/showthread.php?siteid=2408&threadid=320001

文章はわかりませんが、おそらくおっしゃられている国内用の車両かと思われます。
by カゲノ (2013-07-14 01:06) 

カゲノ

追加で
1994年頃のハンガリーの編成表で角張ったのと混在した編成図があります
http://users.atw.hu/diesirae/menetrend/nemzv94.htm
by カゲノ (2013-07-14 01:53) 

Akira

カゲノさん、フォローをありがとうございます。
by Akira (2013-07-14 09:17) 

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