SSブログ

DR BR 01.5 / Ep.IV [欧州鉄道]

b001c.jpg

KDBさんから拝借した冷戦時代の旧東独国鉄の蒸気機関車画像から、今回は01.5形の画像です。
KDBさんが東独へ撮影に赴いた1970年代は、私が中学生から高校生に掛けての頃です。DBの車両には興味があっても旧東独は全く私の視野にありませんでした。当時は西ドイツすら夢の国という意識でしたから...。ましてや、戦後東独に残った01形機関車が、DR独特の姿を纏って活躍しているなど知る由もありませんでした。

b009c.jpg
b010c.jpg
b007c.jpg

おそらく上画像もザールフェルトで撮影されたものと思います。

bLeipzig 1977c.jpg

上画像は、Leipzig Hbfに到着した01形2種です。駅構内が今の姿になったのは最近ではありますが、当時の暗さを知っている私には、この画像から当時の空気感が思い出されます。

bHamburg 1973c.jpg

実は、メルクリンの01.5形モデルの告知に使われた「Interzonenzug」いわゆる東西連絡列車の牽引にもこの01.5形は使われていて、当時Hamburg-AltonaまでこのDRの機関車が乗り入れていたようです。この上画像は、Hamburg Hbfを出発するシーン。旧東独領内では、中々撮影も制限があり難しかったと思いますが、西ドイツのハンブルクであれば、気兼ねなく撮影もできたのではないかと思います。
01.5形とともに写っているV200も今や貴重な機関車です。非電化区間の多い北ドイツの牙城だったのでしょう。

1973年に撮影されたとのことです。ハンブルク中央駅は、当時InterCityが走っていた頃です。103.1形に牽引されたモダンなTEEやInterCityのそばで01.5形蒸気機関車の牽引する旧東独との連絡列車が混在する時代の光と影を感じます。

KDBさんより当ブログへの画像掲載許可を頂きました。心より御礼申し上げます。

Special Thanks: KDBさん

[EDIT: 2015-12-12]
タグ:BR01.5 Dr Ep.IV
nice!(5)  コメント(8)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 8

300B

こんばんは

KDBさん、貴重な写真をありがとうございます。

3枚目の写真、BR01.5とDR2階建て客車の組み合わせですが、煙の流れる方向から推進運転をしている様に見えます。BR01.5にプッシュプル運転の機能が備わっていた、のかな?
by 300B (2015-12-11 23:28) 

KDB

Akira様、3枚目の写真は、01-5が後補機として推進している列車です(ザールフェルトからゲラへ向かう路線)。先頭の本務機は110型ディーゼル機関車でした。2階建て客車はDDR独特の車で、一度乗車した時、誰でも考えるように2階席に座りましたが、首が斜面のガラスで圧迫される居住性の悪さと(座高が高いのが悪い?)、あまりにも汚れたガラス表面にがっかりした覚えがあります。最後のハンブルク中央駅は1973年の撮影です。このときはまだDDRに入国できませんでした。今考えると、蒸気機関車に限らず、V200型 や V200-1型(当時すでに 220型 及び 221型 でした)などをもっと撮影しておくべきでした。
by KDB (2015-12-12 13:24) 

300B

こんにちは

補足の説明を有難うございます。
後部補機との事で、納得です。

by 300B (2015-12-12 18:02) 

Akira

こんばんは、KDBさん。

補足説明をありがとうございます。文章は適宜修正しておきます。
by Akira (2015-12-12 21:32) 

klaviermusik-koba

これはなかなか興味深い映像ですね。
ダブルデッカーの客車はどうやら西に比べ、東の方が早く普及したようです。私の知る限り、西側では当時ダブルデッカーは見たことがありませんでした。ロシアやポーランドでも見たことない。ということは、この発想は東ドイツとかチェコあたりなのでしょうか。現在のRE全盛のダブルデッカー車も元はと言えば、社会主義国の発想が源ですかね。隣のV200牽引の列車はおそらくDBのD-zugあたりと察せられます。
by klaviermusik-koba (2015-12-13 18:15) 

Akira

こんばんは、Kobaさん。

確かに戦後は、DRの方が2階建て車両は積極的でした。なぜDRが2階建てに拘ったのかわかりませんが、運行本数が少ない分、多くの乗客を乗せなければならないのかな..とも思ったりします。

DBでは、戦後2階建て客車の全長の異なる試作が2種類製造されましたが、量産には至らなかったようです。以下DBの1950年代に開発された2階建て客車画像です。

http://www.bahninfo-forum.de/embed_images/3d9/b0b/0c2/1b8/e0e/d03/b57/766/c3d/899/6e_1200x920.jpg

しかし、発想そのものは東西ドイツに分かれる前の1930年代にハンブルクとリューベックを結ぶ私鉄のLBEで流線型の2階建て客車が走り始めたのが最初かも知れません。以下ご参照ください。(独文)

https://de.wikipedia.org/wiki/Doppelstock-Stromlinien-Wendezug_der_LBE#Inbetriebnahme_und_fahrplanm.C3.A4.C3.9Figer_Betrieb
by Akira (2015-12-13 20:18) 

klaviermusik-koba

ざっとですが独文の資料拝見して、ずいぶん昔からその構想はあったことに感嘆しましたが、多分ネックは2階部分の窓が現在のようにガラスを自由に曲げる技術がなかった(あるいは非常に困難)からかもしれません。それでも1950年?の試作車ではちゃんとカーブドグラスついているのは驚きです。2階部分の車体長をなるべく長く取るために連接構造を考えたのもすごいです。これを実用化、応用したのがのちの近鉄特急ですかね。
by klaviermusik-koba (2015-12-13 21:14) 

Akira

kobaさん、おはようございます。

ネックであろう上階の曲面ガラスですが、車体は曲面にしつつ、やはりガラスは無理のようで平面ガラス2枚を組み合わせているようですね。
LBE客車の連接構造は1930年代に実用化されているのは、確かに素晴らしいです。当時のドイツは負の面が強調されていますが、航空機にしろ、鉄道に知り、世界で最も進んだ技術があり、それを実用化されていましたね。Fliegender HamburgerのSVTやHWZも最先端の技術の集積でした。

話は逸れましたが、戦後DBが試作した2階建て客車ですが、TRIXからフルスケールで全長24,6mのモデルを製品化されています。以下、名古屋メルぽっぽクラブのサイトでインプレが見れます。
http://nagoya-maerklin.fan.coocan.jp/newcomer_34.htm
by Akira (2015-12-14 09:48) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0