T23424 DB WRümh 131 / Ep.IV [Maerklin-Reisezugwagen]
▲ 厨房側
▲ 食堂側
WRümh 131形瘤付き食堂車です。これは、メルクリンのセットとは車体番号と車輪を除いて全く同じです。もちろん車輪はメルクリンのAC仕様に交換すれば、メルクリンとの違いは車体番号のみとなります。
車体番号は005です。この形式は、2回に分けて全体で5両製造された同形式車両のうち11 105/DSGとして登場した最後の車両となります。
▲ 厨房部分の廊下側。2階調理室への階段が見えます。
ここで不思議なのは、ドームカー(ADümh101)は1962年に第1陣の3両が落成し運用につき、その後1963年に残りの2両が落成しているのに対し、食堂車(WRümh131)は1962年に第1陣の2両が落成運用に就き、翌年3両の第2陣が落成しているのです。これら2形式は前にも述べましたが、常に食堂車の厨房/ビュフェ寄り(瘤側)とドームカーのバー寄りを連結させることで、バー/ビュフェが連続したサービス区域を形成し、さらに食堂車の厨房設備を共用することができました。(ドームカーのバー部には、ホッカータイプの座席3席分と3人がけソファ、さらに8席分のテーブル席があり、食堂車のビュフェ部には立ち席のみでどちらかといえば、配膳係が飲食物を出し入れする機能を重視しているといえましょうか。)それで、なぜドームカーのみ先(または食堂車が後)に製造されたのか謎になります。とはいえ、当初F-Zug「RHEINGOLD」は1日1往復のみであったので、ドームカーの1両は予備車であったと考えられます。全5両づつのドームカーと食堂車が揃った時点で、F-Zug「Rheinpfeil」も新型車両で運用に就いたと想像出来ます。
いずれにしてもTEEのサービスは、1等車利用の乗客に限ったものであるため、列車サービスとして当時の贅を尽くしたものであったに違いないと思われます。
最近、日本でもグランクラスやスーパーグリーン車など、航空機に対抗する新しいサービスが登場していますが、1等乗車運賃が存在するシステムである(ヨーロッパを含めた)ドイツの1等車の利用客を満足させるサービスは、JRの運賃体系とは根本的に質が異なるのではないかと思います。(私のようなブルジョアにもなれない人間には日本のシステムが現実的で良いのですが、そういう世界を覗いてみたいという気持ちはもちろんあります。)
車体中央には、それまでのDSG文字からTRANS EUROP EXPRESSに変わっています。それは、車体所有がDSGからDBに変更されたことによって改められたことによります。
車体番号は、車体中央「TEE」の文字列の下にUIC番号である「61 80 88 - 80 005 - 6」、そして形式番号の「WRümh 131」が記されています。この車体番号の実車は、1963年に西ベルリンのSpandauにあるO&K社で製造されました。
RICラスターと所属表記です。最高制限速度は160Km/hで、入線許可は西独、スイス、オランダの3カ国で、所属はミュンヘン連邦鉄道局、また所属駅はミュンヘン-パージング駅です。
REV表記は、1971年1月18日にフランクフルトで検査が行われた記述が確認できます。
サボは、サボケースと共に印刷されています。TEE Rheinpfeilの列車名とHoek van Holland - Münchenの文字がわかります。つまり始発駅からTEE Rheingoldと併結し、Duisburg HbfでDortmundからのTEE Rheinpfeil列車と連結、Mannheim HbfからBasel方面へのRheingoldと分割、TEE RheinpfeilとしてMünchen Hbfへ向かいます。
台車は、2つのボギーとも片側が単軸発電機、反対側に両軸発電機が備わっています。つまり1両に6つの発電機で電力供給が行われていることになります。パンタグラフのない131形食堂車では、必要不可欠なエネルギー供給源と考えられます。
瘤付き食堂車と呼ばれる2階建の厨房です。上階は調理場機能で下階は洗い場機能になっています。これは、全長26,4mの車体に可能な限りの座席数を配置できることと、調理場と洗い場を分離することで衛生面に配慮できること。また厨房を挟んで反対側の車端部には、簡単なバー機能を持つカウンターが設えてあります。131形食堂車は常に101形ドームカーと連結されて運用されていましたが、ドームカーのバー部分と食堂車のバー部分を隣り合わせで連結させることで、ある程度のキャパシティを持つバーにすることが可能になります。
貫通路部分を正面から観たところです。屋根の形状は2階建厨房の造形が影響しているためか、断面形状が一般の客車とやや異なり天井も中央部分が若干高くなっているように思われます。
この特徴的な食堂車は、ドームカーと共に当時のDBの技術の粋を集め世界的にも関心が持たれた車両です。しかし、それぞれ5両のみの製造に終わり、その後の食堂車は132形、135形ともに平屋の厨房と車体幅を若干狭くし全長を27,5mに伸ばした車体長になりました。おそらくコスト面や利用者のニーズなどによって各5両の製造で終了したのでしょうが、現役の運用を終えた今もドームカーは全5両、また食堂車も動態保存で一部残っています。
*当記事は、ADümh 101(T23423)モデルと共に2008-04-23にアップしたモデルの記事を分離し、新たに画像とテキストをリファインさせて本日付でアップしました。
ドイツでBuffetというのは、日本でいうビッフェというより配膳室というのが適切ではないかと思われます。
この食堂車のは2階にしたことで、西ドイツの食堂車のレイアウト的にはかなり異形です。
ICEの登場以降食堂車のレイアウトは変わっていますが、半室1等食堂車・全室一等食堂車とも車端側から、従業員用トイレ・皿洗室・調理室・配膳室・食堂という形になっていますが、この車両は従業員用トイレ・配膳室・調理室/皿洗室・食堂となっており、給仕する導線としては、調理室/皿洗室の横の通路で客と対面することになり、あまり良くなかったのは考えられます。
もう一つの特徴としては、熱源をプロパンガス(交友社 「世界の鉄道」3で確認)が使われている事でしょう。
by ねこあたま (2021-01-15 12:22)
あとAdeでこの車両とドームカーが出なかった理由を考えてみたのですが、1つには1編成1両の車両ではどうしても割高になる(35年前の共立工芸で1等車はの「キット」が¥23000でしたが、食堂車等は¥28000でした)、2つめに当時ですら室内灯標準でしたが、当時の技術では内装を作り込みながらのデザインは不可能だったのだろうと思われます。
by ねこあたま (2021-01-16 07:33)
こんにちは、ねこあたまさん、ここでのコメントは初めてでしょうか?ありがとうごございます。Spielkisteブログへようこそ。
さて、この131形食堂車のBuffetですが、手元の資料にあった図面に記されていたままを書きました。厨房の貫通ドアよりの一角にバーが備わっていて、椅子もないので、仰る通り配膳台として使われていたように思います。隣にドームカーが連結されるため、そのための食事提供に使われていたのではないかと想像します。
当時、DBではBÜFFETと車体外側に記された半室食堂車もありましたし、おそらく軽食提供できる車両がこうした呼び名になっていたのではないかと想像できます。
2階式厨房の131形から132形に変わったのは、コスト面のほか、ややこしい..というような文献の表現もあったので、動線に関わることかも知れません。
あと、厨房が車両中程にレイアウトされた最初の食堂車はICE1ではなく137形のBordRestaurantになります。
Adeは、フルスケールで素晴らしい車内装備で有名になりましたが、確かにこの131形と101形ドームカーは見た事ないですね。Rheingold '83の客車モデルはあったように思います。
by Akira (2021-01-16 16:28)