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T23422 DB Apümh 121 / Ep.IV [Maerklin-Reisezugwagen]

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▲ トイレ(手ブレーキ)側

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▲ 荷物棚(非手ブレーキ)側

TRIXの1等開放室客車です。F-Zug時代からの1960年代製造の初期仕様である丸屋根で小型のエアコン通風孔がついた仕様です。
2007年から2009年までの2年間リリースされたモデルです。この時同時期にリリースされたメルクリンH0の同形式43865は、切妻屋根で大型のエアコン用空気孔である後の仕様です。当時はこのような微妙な作り分けを2社ブランドで同時リリースし、TEEフリークなファンの心を掴む戦略をしていたように思います。

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丸屋根仕様のTEE客車は独特な雰囲気を持っていて、TEEが無くなってICやECの運用に就いてからもどことなく当時のブルジョアな雰囲気を保っていたように感じました。(ただ、私がいた1980年代末にはほとんど見ることは叶いませんでした)

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台車は、MD33だと思いますが、2つの台車に片側1機づつ水平にレイアウトされた車軸発電機が装着されています。通常の車輪制動器のほか、電磁吸着ブレーキも装備されています。

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車体片側2箇所のサボの印刷は、TEE Rheinpfeilの他、号車番号(Wagen 17)、出発駅Dortmundから終着駅のMünchenと途中停車駅が記されています。1971年の運用を模型化した仕様となっているようです。

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車体中央のDBマークとその下の車両番号「61 80 18-80 101-8」が印刷されています。この番号は、1965年にエスリンゲンのMaschienenfabrik Esslingen社にてAp4üm-62(10 512)として落成。1966年9月にUIC表記化されています。その後1979年にApmz 121に変わり、2000年11月30日に廃車されています。この車両のプロトタイプは、2次車グループ(10 512 - 10 525)の1両として製造されたと考えられます。
塗装色は1965年からF-Zug Rheingold/RheinpfeilはTEE化され、またTEE Helvetiaも同年に客車化されているため、製造時からTEE色であるとも考えられます。

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RICラスターには、最高制限速度160Km/hの表記のほか、4カ国(西ドイツ、スイス、イタリア、オランダ」のTEE Rheongold運用で入線する国への入線が可能な仕様になっています。おそらく製造時からこの車両はF-Zug/TEE Rheingoldと、その兄弟列車であるF-Zug/TEE Rheinpfeilの運用専用に使われていたと考えられます。
また所属はMünchen連邦鉄道局で、München-Pasing駅が所属駅として印刷されています。

RICラスター左側の白地に記された極小の黒文字列は、流石にカメラを通しても判別不能でした。印刷データとしては正しく文字が記されているのかも知れません。この文字が判別できるレベルになれば大変な進歩だと思いますが、どのみちヒトの肉眼では判別できないレベルですからこれで十分といえば十分です。

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REV表記は、1969年3月6日にFrankfurt/Mの検査であることが記されています。

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妻部です。丸屋根の特徴が良く見えています。
同じTEE Rheinpfeil 1971の同形客車であるメルクリンモデル(43865)は、切妻屋根で仕様違いであることを記しましたが、サボの号車番号は同じ「Wagen 17」であることが気になります。流石に同じ号車番号の車両を1つの列車に組成しづらいというのはありますが、一方でこのような些細な文字列などほぼ見えないので気にしないというのもあります。あくまで趣味の世界の話なので気にしないのが一番かも知れません。
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