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Popfarbe [Maerklin-Reisezugwagen]

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今回のメルクリンH0秋の新製品モデルにポップカラーの28,2cm客車モデルが告知されました。この塗装色は、それまでのKobaltblau、Chromoxidgrün、Purpurrotの1色塗装だった地味な塗装からKieselgrau(小石グレー)をベースに、5色のカラーを窓帯と裾まわりに施したツートーンのカラーリングが鮮やかに映り、人々からはポップな色合いからポップカラーと呼ばれるようになりました。しかし、この塗装はあくまでも試験塗装という位置付けで、結局は一部気動車や電車の塗装に残るのみとなり、客車は一部車両の塗装に終わり、その後は一般の塗装になりました。

しかし、この塗装の評価は決して悪いものではなく、今回メルクリンからリリース告知されたセットも含めて限定品ながら何度もリリースされています。

画像は1973年のメルクリンカタログの客車モデルのページですが、メルクリンが初めて27cm樹脂製客車モデルをリリースしたUIC-X客車と132形食堂車もポップカラーだったことがその証左でもあるでしょう。
この27cmモデルは、1972年に初めてリリースされ、翌年にはBR003とのスタートセット(3185)としてもこれらポップカラーの客車モデルがリリースされるほどでした。
また、24cm鉄板客車でも、1972年にいち早く132形食堂車モデルのみがポップカラーとしてリリース。220形機関車牽引のスタートセット(3122)でもポップカラーの食堂車が組み込まれています。(ちなみにポップカラーに塗装された132形食堂車は1両のみにとどまっています)

それほどまでこのポップカラーが与えた影響の背景はどこにあったのでしょうか。この1972年という年はミュンヘンオリンピックイヤーでもありました。当時の西ドイツはこのイベントに向けて高度経済成長を成し遂げた強い西ドイツを印象付けようとしたに他ならないでしょう。このミュンヘンオリンピックのグラフィックスのディレクターはバウハウスの流れを汲むウルム造形大学設立に貢献し、教鞭もとった西ドイツのトップグラフィックデザイナー、オトル・アイヒャー氏で、今も彼の緻密でシステマティック、そしてわかりやすく美しいグラフィックスのサインやポスターなど、今もなお語り継がれています。

一方DBでは、オリンピック開催地にあるミュンヘンのデザインセンターが主導してこのポップカラーを開発しました。そしてミュンヘンの420形電車には早速このカラーリングで登場。私がミュンヘンのデザインセンターでインターンシップした1991年でも、この塗装のオレンジ色と紺色の420形電車が走っていました。その420形電車はオリンピック電車と呼ばれていたこともポップカラーから連想できることだと思います。また、オリンピック開催期間中にOlympia-Expressいう名称のD-Zugが走りました。この時はコバルトブルーの110.3にポップカラーの客車という編成で、メルクリンH0でもこのセットが製品化されています。

さて、そうした期待を背負ってのポップカラーではありましたが、客車では3つの試験塗装バリエーションが計画されたようです。そのため、例えば1等座席客車がオレンジ、ブルー、グリーンなど塗装色が異なる車両も登場したようです。

また、1970年後半から80年代に入ってからもポップカラーの影響は強く残っていて、ルール地方のS-Bahnである新車X-Wagenや、シルバーリンゲからポップカラーへと塗装変更したCityBahnなど、すでに長距離客車ではタルキスカラーに変更されてからも生き続けています。

この試験塗装の終焉は、TEEやIC列車のTEEカラーの存在が大きかったように思います。このTEEカラーは西欧国際特急の標準色として登場して以来長く親しまれ、欧州共通塗装色として提唱されたオレンジに白帯のユーロペン塗装が計画された時もDBはそれに準じず、TEEカラーを貫いた経緯があります。1979年のダイヤ改正でICの2等車組成とEC列車登場で、このTEEカラーにポップカラーは相いれません。そこでタルキスカラーの登場となり、1等車、食堂車の紫赤色のTEEカラーに対して2等車のオーシャンブルーのタルキスカラーの組み合わせが新時代のInterCity/EuroCityとなった経緯が見て取れます。

しかしながら、このポップカラーは、今見ても存在感のある美しい色合いで実車は無くなってもモデルで再現できることは嬉しい限りです。

参考サイト:
Pop-Lackierung / Wikipedia
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