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NICHIGEI & BAUHAUS 展 [デザイン]

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1919年にワイマールで開校した国立建築工芸学校「BAUHAUS」は、今年で100周年を迎え、先日、ドイツのデッサウでバウハウスミュージアムが開館したのを始め、当ブログでもMUJI銀座店のArchives: Bauhaus展を紹介したように、現在世界で、また日本でも例外なくバウハウス関連行事が行われています。

日本のバウハウスの繋がりは深く、その開校理念の1つに日本の江戸時代の伝統建築にある簡素で合理的な建築がその目標の1つに掲げられているほどです。14年間しか授業を行うことが出来なかったこの学校の教育は、今や世界のライフスタイルに影響を与え、日本の美術大学での教育にも、バウハウスの教育理念がその礎となっています。

そして具体的には、バウハウスには4名の日本人留学生がいて、そのうちの2名は山脇夫妻です。山脇巌氏は、帰国後日本大学藝術学部でのデザイン基礎教育の確立に尽力し、長年同校の教授職を勤め上げました。
今回の展示は、日芸で彼が遺した足跡とバウハウスの教育について振り返る展示内容でした。

彼が設計した江古田キャンパスの建築は既にありませんが、その時の自筆設計図、ドローイング、パースなどが展示されています。また、彼がドイツ留学時代に撮影したモノクロ写真、バウハウスの代表的作品として有名なコラージュ作品も、そのオリジナルを観ることが出来ました。ナチスが隆盛を誇ったハーケンクロイツの旗がなびくベルリンの街並みスナップなど、当時の社会の世相を垣間見ることもできます。

立体の作品は、マルセル・ブロイヤーの有名なワシリー・チェアと食卓用のパイプ椅子が2脚づつ、山脇道子夫人の製作したタペストリもありました。
バウハウスを世界に知らしめたBauhaus Bücher(バウハウス業書)も手には取れませんが展示されています。

山脇巌がどのようにしてバウハウスへの留学を果たしたか、そして彼の留学中の作品、そして帰国後の建築家、そして日芸でのデザイン教育について、日本とドイツで大きく異なる文化環境でどのようにそのスピリッツを受け継ぎ次世代に渡していったか...そうした彼の思いをこの展示では垣間見ることが出来ました。それが私に容易に理解できたのは、日芸と同じようにバウハウスの意志を受け継いだドイツのウルム造形大学を模範にした私の母校で学んだ教育が、ドイツの美術大学に留学して言葉の壁に阻まれることはあっても、その作品を生み出す理念、過程や結果について、日本で学んだ流儀をそのまま活かすことが出来、そこに何の違和感もなくドイツの大学で学び、卒業出来たことがその証左だと思えるからです。

山脇巌は日芸で特に基礎教育を重視し、その礎を築いたからこそ、そこで日本の美術大学での教育で学んだ私達がしっかりと受け継ぐことが出来た..ということを再確認できた一方で、社会でのデザインに対する考え方が、バウハウスを生んだドイツとは違うのだ..ということも残念ながら理解できたのがこの展示会での感想です。

*現在は、江古田校舎の芸術資料館のみの展示ですが、10/7からは、A&D ギャラリーでも展示が行われます。会期はいずれも10/25まで。

参考サイト:
NICHIGEI & BAUHAUS
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