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晩秋のドイツ旅行(11) [Reise]

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▲ 出発したVT612の車窓から見えるフランクフルト中央駅とICE

フランクフルト中央駅からこの旅の最後の乗車となったVT612で出発する。車窓に見える大きなドームと停車しているICEは、もはや私にとってのドイツそのものである。視界から離れ行くその光景は、淋しさが募る。
DBのヤードに留置されている様々な客車や機関車を眺めながら空港地下駅に向かう。しかしそこはすぐである。

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▲ 空港のハーゲンダッツ売店で調達したアイス。バニラアイスにチョコソース掛け

午前中と同じように地下ホームからエスカレータを乗継いで地上に上がるとそこは出発ロビーである。折角なのでLufthansaのWorld Shopに行き、LHマイルを使って子供に土産を調達する。
出国審査へと進む。手荷物審査を通り出国スタンプを貰って暫く進めば免税店街となる。ここで最後の最後となる土産用チョコなどを買い、いつものようにハーゲンダッツショップでアイスを食べる。ここのアイスショップは、最初利用した時は新しく賑わっていたが、今回はショップの設備もややくたびれた感じで私以外のお客はなく、閑古鳥の様相であった。

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搭乗口に向かって通路を歩いていたら、LHのラウンジ入口横に新しく「Leisure Zone」なる空間が設備されているのを発見する。どうやら空港の新しい試みのようでいくつかの異なる形状のシートがランダムにレイアウトされており、ちょっと時間もあったので試してみた。私が利用した足掛けのついているシートは、それまで歩き回っていたため、足の疲れを取るのに丁度良い。近くでは若者3人が思い思いの座り方でリラックスしながら雑談している。この試みが上手く機能するかは分からないが、こうして試してみることは大切で、例えそれが失敗に終わったとしても、その結果をデータとして次に繋げることが出来るので、意味のある試みである。私の印象は、搭乗口に画一的な椅子が並べられているだけではなく、その中でこのような空間があると空港設備の質的向上に繋がると感じた次第である。お陰で私の足の疲れも少し楽になった。

結局、あまりの居心地の良さに搭乗開始直前までこの場所から離れられなかったのであるが、その後搭乗口へ行くと帰国便が待機しているのが見える。帰国便はB767である。すぐに搭乗開始となり機上の人となる。機種は違うが、往路と同じように私の席は前席のない非常口横の座席である。往路のB787では、目の前がトイレのみであったが、B767では、トイレの他ギャレーとなっている。今回エコノミークラスでは8割程度の搭乗率であろうか。
隣に座ったのは大柄のドイツ人男性で、聞いてみると成田空港到着後羽田空港迄バスで移動し、その日のうちに庄内空港へ行くとのこと。結構大変である。会社が取った航空券なので自分ではどうしようもなかったらしい。

定刻にフランクフルト空港を出発するが、既に夜8時を回っているので外は照明のみしか見えない。離陸後安定した飛行で水平状態となりシートベルトサインが消える。今迄フランクフルト空港からの帰国は毎回昼間だったので、いつもなら離陸直後から暫くは街並や森を見ながら感傷にふけるのだが、今回はそれもない。

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暫くすると、CAから飲み物とおつまみが配られる。飲みものは、アルコールでも思ったが、ワインとビールぐらいしかないのでリンゴジュースにする。往路の便とは全く異なるサービスである。

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その後ボリュームたっぷりの夕食となり、今度は白ワインと泡入りの水をお願いする。食事が終わってコーヒーを飲んでいると今度はカップアイスも配られる。これなら空港でアイスを食べることもなかったかな?と思う。

食事が終わると機内も消灯となり、私は就寝態勢に入る。ドイツ時間で夜12時を廻っているので、眠りは浅いながらもウトウトする。目が醒めてトイレに行く。帰り際に隣のギャレーを覗くとおつまみや飲み物があるので、チョコレートとポテチ、水を貰って夜食とする。

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その後は寝たり起きたりが続いて、就寝と言うにはちょっと辛い状況が続く。仕方ないので、良さそうな映画がないかとプログラムを見てみると、前に映画館で予告編で見たアニメ作品「おおかみこどもの雨と雪」がある。細田監督の「サマーウォーズ」も好きだったので興味があった。考えてみれば「サマーウォーズ」も機内で観たのが最初だった。「おおかみこどもの雨と雪」の全編を鑑賞した。画面が小さかったのは仕方がないが、充分に見応えのある作品であった。

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満足して映画を見終わり、飛行現在地を確認すると、シベリアから日本列島に向かっている途中である。程なく食事の準備が始まる。夜食などを食べたせいか食欲があまりなく、お粥をチョイスした。この便の供食サービスは色々な意味で良く吟味されていると感じた。それにしてもお粥でもパンが出るのは何故であろうか?

食事が終わって暫くすると、最終着陸態勢となり無事定刻に成田空港に到着。隣のドイツ人と別れの挨拶をして暖かな空気を感じつつブリッジを渡って入国審査、荷物を受け取り荷物検査場では開けられもせず通過。機体から離れて出口まで30分掛からなかった。バスの便を見ると16:40発というのがあり、これに乗車できたので、乗換えのロスタイムもほとんどなく、スムースな移動が出来た。最寄りの駅から家迄はさすがにタクシーを使ったが、到着した時刻はほぼ出発した時刻と同じ。つまり丁度丸々1週間をフルに使ったドイツ旅行となった。

今回は、同じドイツが目的地ではあったものの、今迄の旅行とはそのプロセスも目的も違って、初めてのことが多かったが、それだけ得たものも多かったように思う。相変わらずトラブルや失敗もあったが、今となっては全てが良い思い出である。さて、次の旅行は?などと思いを馳せたいのであるが、現実は中々厳しいであろう。

今回の旅行では沢山の現地の知人友人に助けられ、目的を果たすことが出来た。彼らにはこの場を借りて深く感謝したい。
また、相変わらず拙い文章による旅行記であったが、もしかしたらお読み頂いている方にはお役に立てる情報もあったかも知れない...と、ほのかな期待もしつつ、これにて旅行記の終了としたい。
タグ:VT612 B767
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晩秋のドイツ旅行(10) [Reise]

11月3日。フランクフルトの朝は、前日からの雨が降り続いている。短いドイツ旅行もこの日が最終日である。帰国する予定の便は、フランクフルト空港発成田空港行きの便である。出発が20:45であるので、日中ゆっくりとフランクフルトで行動出来る。フランクフルトは、おそらく私が海外の空港で最も利用している空港であるが、フランクフルトの街そのものは2度程訪れただけで、街中の散策や買い物は、そのうちの1度だけである。それも随分昔のこと。今回は、フランクフルトのトラムやU-Bahn(地下鉄)を色々と体験してみたいと思っていたところに、旅行中フランクフルト在住の日本人Kさんから連絡を受け、案内していただける申し出を受けることにした。冷たい雨の中での撮影はテンションも中々上がらないが、現地の方とお会いし色々案内して頂けることで楽しみになってきた。

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相変わらずの早起きである私は、帰国便のチェックインをしようとネットに繋げた。ここのホテルは朝食、ネット利用も別料金である。ネットの利用料金は1時間と1日単位であり、2〜3時間使いたかった私には悩ましい。大手のホテルチェーンはそのあたりの管理が行き届いているが、宿泊したベルリンの安ホテルは、部屋以外については別の意味でサービスの良さを実感する。
帰国便のチェックインは無事終了し、朝食を取りに朝食部屋へと行く。ここの朝食ビュフェは、最近のドイツのホテルらしく豪華で種類も多く、満足した。朝食を食べながら、「もしかしたら、これが今回のドイツ旅行で最後の焼きたてパンか...。」と思うと名残惜しい。

この日の予定は、チェックアウトの後、手荷物以外は空港に預け、再びフランクフルトの市街地に戻って撮影をするというもの。家族に頼まれた買い残しの買い物も街中のデパートで行えば良いと考えた。午前中はそれで終わるであろう。問題は天候だけである。

雨の中大きな荷物を2つと手提げカバン1つを持ってホテルから出発する。駅迄の距離は100mぐらいか。駅の手前に地下道への入口があるので、そこまでヤッケのフードを被って冷たい雨の中をひたすら歩く。ここからは雨に濡れずに空港迄行ける。S-Bahnの1日券は、市街地ゾーンでは空港駅がゾーン外なので空港駅のゾーンを含めた1日券を買う。この切符1枚でU-Bahnもトラムもバスも乗れるので便利である。

中央駅の地下を通るS-Bahn(ET420形)に揺られて空港駅まで行く。このET420形電車に乗るのも今回が最後かも知れない。再び今回のドイツ旅行の出発地でもある空港地下駅に到着する。ここからは荷物をカートに乗せて動けるので楽である。ただ、今回気づいたのは、カート使用にEUR 2,-のデポジットが必要になったこと。スーパーのカートのように、行方不明になることがあったのであろうか?

地下駅からはエスカレータを上るだけで、そこは各空港会社のチェックインカウンターが集まるターミナル1のB出発ホールである。ただ、全日空のカウンターが中々見つけられなかった。カウンターを巡った挙げ句、案内で聞いて初めて見つけたほどである。この時間は私以外に荷物を預けに来るような乗客が居ない。カウンターには空港職員1名のみいて、すぐに荷物を預け、搭乗券も発券してもらえた。これでようやく沢山の荷物から開放され、気分も楽になった。

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▲ Friedensbrückeから旧市街を見る

再び地下駅に戻り再びフランクフルト中央駅で下車。トラムを撮影する為に事前にKさんに教えてもらったStresemanalle/Gartenstraßeで降り、Friedensbrückeを行き交うトラムを撮影する。トラムは橋の中央を走り、その両側が自動車道、そして1番端に歩道があるので、交通量が多いためクルマが被ってしまうこともあり撮影が難しい。それでも撮影時は小雨も上がり何本かのトラムを撮れた。

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▲ Bombardier社製のS-Units

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▲ Duewag/Siemens社製R-Units

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▲ 土曜日で運行中のEbbelwei-ExpressのK-Units。車内でアップルワインなど飲み物とブレッツェル1つが付いてEUR 7,-で乗車出来るらしい。今回は乗れなかったが次の機会は是非乗車してみたい。

今回、私が見ることが出来たのは3種のトラムで、Bombardier社製のS-Units、Duewag/Siemens社製R-Units、そしてDuwag社製のK-Unitsの3種である。もう1つ、Duewag社製のPtb-Unitsというのもあるが、この車両はU-Bahnで使われているので、U-Bahnに含めたい。

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▲ Bombardier社製のS-Units

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▲ 歴史的な建物とモダンな高層ビルが同居する市街地。Römer電停にて。

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▲ Kaufhofのテラスから市内を望む

ここの橋は中央駅からも近いので、トラムの線路に沿ってトラムの撮影をしながら駅迄歩く。そろそろお腹も空いて来たので中央駅からトラム4つ目の駅Römerで下車する。ここは昔来た場所なので憶えていた。いつもは沢山の観光客で賑わう場所であるが、雨足もだんだん強くなり傘なしでは歩けないほどである。それでも土曜日なので人通りは少なくない。雨宿りで軒下を借りたお店を覗いてみると、ホーロー製看板を売っているお店である。中に入ってみるとドイツのメーカーの看板が沢山置いてある。良く探してみるとSteiffやDB、メルクリンまである。ただし、それらを見る限りオリジナルではなくレプリカのようである。いつまでも雨宿りも出来ないので再び雨の中を歩く。ようやく百貨店のGaleria Kaufhofに辿り着く。この日は生憎のお天気ながら土曜日ということもあって百貨店の店内は沢山の買い物客である。最上階のレストランで簡単に腹ごしらえし、再び小雨になったテラスに出ると、フランクフルトの街を望むことができる。少しばかり買い残した頼まれ物を見つけて購入し、再び中央駅へと戻る。

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▲ 最新型のBombardier社製 "Flexity Swift " Typ. U5-25。

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▲ Typ. U5-25のインテリア

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▲ Siemens-Duewag/Wegmann社製 Typ. U2 Bf. Festhalle/Messeにて

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▲ 2つのホーム高に対応したPtb-Units。出入口ステップには赤白縞模様で注意を促している。

Kさんとの約束は中央駅前のトラム乗り場である。彼はこの街に長く住んでいて鉄道にも詳しいので私の望む被写体の場所に案内してくれた。最初はトラム。そしてそのトラムに乗って終点のSüdbahnhofで下車する。この駅は1873年開業の駅で歴史的な建物である。雨模様で暗かったため、駅舎の写真は撮れなかったのが残念である。

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▲ Bf. Festhalle/Messe

ここからU-Bahnに乗って、最新の駅Festhalle/Messeなどへも案内して頂き、新旧3種類の車両の撮影が出来た。考えてみれば、昔IAA(フランクフルトモーターショー)で訪れた時は、中央駅からPtb-Unitsに乗車したが、この車両は地下駅のホーム高と路面のホーム高の両方に対応していて、路面ホームではドア前床がステップに変身するのが興味深かった。この車両も淘汰される時期にあるようで、現在ではU-Bahnのホーム高が統一されステップの変換もないとのこと。

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▲ VGFのバス(ボルボ社製)はトラムやU-Bahn車両と同じ塗装で認識しやすい

塗装も、以前のベージュ地にオレンジ色の塗装は、VGF(VerkehrsGesellschaft Frankfurt am Main)のCIカラーである緑がかった青(正式にはSubaru-vista-blue)色になり、これはU-Bahnの他、トラムやバスも全て統一色となっている。ここのU-Bahn車両の印象は、内外装共トラムのイメージに近く、実際にもトラムと地下鉄の境界線が日本のそれよりも弱い気がする。それは利用者にとっても気軽に利用できる公共交通のイメージづくりに役立っているように思われる。

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効率良くトラムとU-Bahnの車両を撮影出来たのはKさんのお陰である。再び一緒に中央駅前に戻って彼とは分かれた。彼は貴重な時間を私の為に割いてくれて感謝である。この日は元々どんよりした暗い天気であったが、更に暗くなってきたので、そろそろ空港に行こうかと考え始める。駅構内でICEや近郊列車の撮影をしたり、それらを眺めているとザールブリュッケン行きのRE(VT612形)が停車しているのが見える。折角なので、最後の列車は最初に乗ったVT612形にしようと決め、これに乗り込む。今回の旅行で合計4回VT612形に乗車した。今回はこの車両の快適性を堪能できたことは、大きな収穫の1つである。今回最後のVT612形は、残念ながら1駅で降車しなければならなかったが...。

続く

参考サイト:
VerkehrsGesellschaft Frankfurt am Main:
http://www.vgf-ffm.de/de/home/
Ebbelwei-Expreß:
http://www.ebbelwei-express.com/

[EDIT] 2012-11-28
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晩秋のドイツ旅行(9) [Reise]

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まだ昼食の時間には早く、昼ご飯をここのフードコートで食べるのはやめてジュース1杯だけ飲んでALEXAを後にする。再びAlexanderplatz駅に戻り、今度は何故か折角ベルリンに来たのだからオノボリさんも良いかもしれないと考え、ブランデンブルグ門を目指した。ブランデンブルグ門はご存知の通りベルリンとドイツ統一の象徴である。

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▲ ベルリン最新型トラム、Bombardier製Flexity

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▲ 熊本市電でお馴染みの顔のADTranz製GT6N形

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▲ タトラ製トラムも見たが、後ろ半分しか撮れなかった。画像の右後方の青いパイプは温水暖房用? いずれもAlexanderplatz駅前にて

ALEXAから再びAlexanderhausの横を通ってAlexanderplatz駅へと進む。駅前には黄色いトラムが行き交っているので、ここでトラムの撮影を少しばかり行う。最新型のBombardier製Flexityから最も勢力の多い低床車のADTranz製GT6N形、更には旧東独時代からのタトラ製KT4D形迄様々な車両がいて楽しい。

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▲ 比較的落書きなどが少ないと感じたベルリンであるが、S-Bahn車内の窓は少なからず傷つけられている。残念。

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▲ Friedrichstrasse駅の上屋やホームは全く印象が変わった。

Alexanderplatzからは、再びS-Bahn(S5/S7)でHbf方面に戻る。二つ目の駅のFriedrichstraße駅でS-Bahn(S1)に乗換え、一つ目の駅がBrandenburger Tor駅である。
ドイツ統一前、東西ベルリン両側のS-Bahn終点となっていたFriedrichstraße駅は、まるで過去何もなかったようなモダンなドーム型駅になっている。もちろんS-Bahnはここが終点ではなく東方向に向けて走る。私がここを訪れた1988年には、この駅のコンコースが国境のパスポートコントロールがあったところである。その厳しい検査や旧東ベルリン側のホームに立って東側のS-Bahnに乗換えた時のまるで過去へのタイムスリップしたような感覚になったことは、そのインパクトが強かったせいか、今でも鮮明に記憶に残っている。

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乗換えたS-Bahnは地下を走る。次の停車駅のBrandenburger Torは、最近までUnter den Linden駅だったようで現在の駅名表の下にタイルで記されている。

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▲ ブランデンブルグ門を東側から正面を見る。これを目前にしてちょっと感慨深くなってしまった。

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▲ ブランデンブルグ門前の広場には、観光客相手の警備兵を模した2人がアメリカと東独の国旗を持って立っている。やはりここは観光地である。

Brandenburger Tor駅で下車し地上に出ると、目の前にブランデンブルグ門が見える。正面である東側からは初めてこの門を見る事ができた。門の前には大道芸人とそれを見物する観光客でごったがえしている。まさにここは観光地である。私がこの門を始めてみたのは門の裏側にあたる西ベルリンからで、しかも壁ごしにである。東側からは緩衝地帯になっていたので当時は見る事すらできなかったそうである。
今はその門をくぐって通る事ができる。これは壁が崩壊した90年代からは日常であるので、特に20代以下のベルリンッ子にしてみれば、当たり前の光景なのだが、長くここを訪れていなかった私には感慨深いのである。壁が開いたその日はカールスルーエで注文したテレビの配達を待っていた時である。結局映像でその感動を分かち合えず翌日の朝刊をスタンド迄買いに行ったことだけは憶えている。

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▲ 東側からブランデンブルグ門をくぐると、目前にベルリン天使、そして右手に連邦議会が見える。

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▲ 西側からみたブランデンブルグ門

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▲ 門の西側には、この門についての歴史が写真入りで紹介されている立て札がある。私が初めてこの門を見た時の状態である。

この門をくぐって気がついたことがある。統一前はこの門だけ残され、門の近くの建物は全て更地になっていたはずであるが、今は門の両側に立派な真新しい建物がある。門の東側正面から見て左側がアメリカ合衆国大使館、そして右側がフランス大使館である。英国とロシア大使館はどこにあるのかわからないが、やはりこのベルリンの中心には戦勝2カ国が睨みを効かせているようにも見えたのである。

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▲ Hotel Adlonのファサードと玄関。

アメリカ大使館の隣には、歴史的にも有名なHotel Adlonがある。ここも大戦で原形をとどめないほどに破壊されてしまったが、統一後は更地から見事に戦前からの姿に復元され、ケンピンスキー系列のベルリン最高級ホテルの1つとしての輝きを放っている。クーダム通りの超安ホテルも味わい深くて良いが、由緒正しいHotel Adlonにも是非一度は泊ってみたいものである。

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▲ ブランデンブルグ門の東側信号機もアンペルマンである。

ここでそろそろお腹も空いて来たのでお昼にしようと思った。いつだったかのNHKテレビのドイツ語講座の番組中ドイツで1番美味しいと言われるカリーヴルスト(焼いたソーセージにケチャップとカレーパウダーを振りかけたもの)がベルリンにあると聞いていたので、ベルリンでカリーヴルストを食べてみたかったのである。これはImbissと呼ばれる売店でドイツ中で食べる事ができるのだが、実は、前日から駅の側にある売店で何故かカリーヴルスト屋に限って人が並んでいるのに気づいていた。他のドイツの街ではあまり見かけない光景である。もしかしたら、ドイツ各地にあるご当地ソーセージは人気があるが、ここベルリンのご当地ソーセージはカリーヴルストなのかも知れない。そう思ったら、益々食べたくなってしまったのである。ブランデンブルグ門のそばにもカリーヴルストの売店があるが、ここはちょっと観光地っぽいので、なるべくならベルリンっ子が通うような売店で食べたい。そこで、目を付けたのがFriedrichstrasse駅の前だ。ここから地下を走るS-Bahnで戻れば良い。NürnbergのDB Museumには、戦前のFriedrichstraße駅前の繁華街の白黒写真が展示されていて、この写真と同じアングルを見たかったというのもある。

地下のFriedrichstraße駅ホームから地上に出てS-Bahnのガード下を歩くと人が長い列を作っている。カリーヴルストの売店である。これほど早く見つけられるとは思っていなかったが、どうも人気店のようで長蛇の列である。これは安いか旨いかのどちらかであろう。ここで並ぶことにした。売店と言ってもここは店内があり、立席ながらテーブルもある。並んだ時間は10分ぐらいだろうか。カリーヴルストは、パンかフライドポテトが付いており、ポテトはケチャップかマヨネーズを選ぶ事が出来る。これを並んでいるうちに自分の注文するのを決めておき、聞かれたらすぐさま注文する。頼んだのはフライドポテトにマヨネーズを付けたカリーヴルスト。ちゃんと陶器のお皿に紙を敷いてその上に載せてくれる。ポテトは厨房で1人前づつ揚げるので時間が掛かる。しかも2度揚げして提供出来るよう、1度揚げたポテトをストックしているのが見える。美味しいフライドポテトは2度揚げが良いとドイツ語学校の先生から教えてもらったことを思い出す。

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▲ ロケーションと長蛇の列を見て買い求めたカリーヴルストはアタリであった。

山盛りのフライドポテトつきで出されたカリーヴルストを受け取り、狭くて混んでいるテーブルを譲り合いながら場所を確保。熱々のカリーヴルストを頬張ると確かにウマい。今迄ドイツの色々な場所でカリーヴルストを食べたが、一番美味しいと感じた。さすがベルリンである。並んでまでして食べた甲斐があった。ふと周りを見回すと、私以外に観光客らしき人はいない。ビジネスマン風の人や子供連れの母親、老夫婦、いかにもセレブっぽい格好をした中年女性など、まさに老若男女、ベルリンの市民にはカリーヴルストが愛されているのだと感じたのである。確かにここまで美味しければ頷ける。立食で安価であるが、ベルリンに行ったら一度カリーヴルストを試してみるのはいかがだろうか。

カリーヴルストを完食すると、ケチャップとマヨネーズがお皿に残ってしまった。目の前のビジネスマン風の男性は見事に奇麗に食べ終わっている。ポテトとケチャップ/マヨネーズをバランス良く食べきるのは修行が必要のようである。すっかり満足してお店を出る。丁度お店の場所はS-Bahnのガード下にあたるので、ガードを通り過ぎて再びガードを見ると、丁度DB Museumに掲げられていた写真と同じ位置である。もちろん周りの建物は新しいビルに変わっているが、ガードそのものは全く同じで繁華街の雰囲気を近いと感じた。今や様々な店舗が並ぶ駅周辺であるが、統一前はこれほど賑やかではなかったはずである。当時の、閑散とした街中を憶えている私には、目の前に広がる賑やかな光景は統一を実感させるのに充分である。

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▲ 歩いているとトラビの列に遭遇。懐かしい。

ここで、家族への土産を買わなければと思った。最初はベルリンの有名デパートのKaDeWeにでも行こうかと考えていたが、今朝ホテルからHbfへ行くタクシーの中からクーダム通りにSteiffの看板を掲げたお店を見つけたことを思い出した。大体の感覚でZoo駅の次の駅であるSavignyplatzから歩けばすぐだろうと思い、再び高架を走るS-BahnでSavignyplatz駅、そこから徒歩でクーダム通りへと向かう。途中トラビの行列も居て、久しぶりの大量のトラビが見れて楽しい。予想は当り、Savignyplatz駅から5分程度でSteiff Galerieに到着した。

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▲ クーダム通りのSteiff Galerie

店内で家族の土産を物色して再びS-BahnのSavignyplatz駅へと向かう。この駅はドームがないので、S-Bahn車両の他、DB長距離路線を走るREやICEの写真を撮る事が出来る。Berlinの中心にある高架のS-Bahnの駅ホームはどこも素敵なデザインである。装飾が施された鋳物製支柱に木材で出来た天井が暖かみを出している。落書きも見当たらない。だんだんと私が乗車する列車の時刻が迫ってくるが、ここで最後の撮影を行いS-BahnでHbfへと向かった。もうそろそろ行かないとと思った時、前方からICEが見えて来た。最初はICE-Tかと思っていたら、ICE-TD x2である。最後に中々良い写真が撮れた。

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▲ Savignyplatz駅のホームもエスプリを感じさせる良い雰囲気である。

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▲ DR時代からのS-Bahn車両ET485形

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▲ 最後に思いもよらぬICE-TDが走って来た。


Hbfに着いてから、Gepäck Centerで荷物を引き取り、今度は高架ホームで列車を待つ。実質丸1日もなかったベルリン滞在であったが、様々な発見や感激、美しい街並を堪能出来たので満足した。何より以前数度訪れた時に抱いていた恐怖感が全くなく心からこの街を楽しめたことが何より良かった。
私の乗車するICE 693は定刻に到着した。再び大荷物を車内に2度に分けて載せ、何とかスーツケースとバッグの置き場所を確保。指定された座席に座った時には、既に列車は発車していた。列車は今回もほぼ満席状態である。長距離の座席指定の必要性は今回特に感じたのである。午後の日差しを浴びながらICE 693は西を目指す。以前のようなゆっくりとした走りではなく、ABSを駿足で走るICE1から車窓を眺めると、風力発電施設がいくつも見える。その1つにある風力発電機の数を数えたら20基程あった。そのどれもが、ゆっくりと動いている羽根が良く見える。列車が混んでいたこともあって、BordRestaurantのBistro迄コーヒーを買いに行ったぐらいで、あとはおとなしく車窓を見ているだけにした。
ICE 693はまずBraunschweig、Göttingenに行き、そこからDB最初のNBS区間を経由してFrankfurt/M Hbfに到着する。以下、FFM Hbfでの画像

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到着した午後7時44分には既にすっかり陽は落ちていたが、ドーム屋根の駅構内は明るいので、到着した列車の撮影をする。夕食は駅のフードコートにあるNORDSEEでそそくさと食べ、そして再び2つの大荷物とカバンを持って今日の宿へと歩く。多分このような状況に陥るのは予想していたので、駅の近くのホテルを予約しておいた。ベルリンの宿の倍以上の値段だがロケーションを考えれば致し方ない。外は雨が降っていたが、傘もさせず頭にヤッケのフードを被って何とかホテル迄辿り着いた。近くて良かったと思う。
半日ベルリンで歩き続けたせいか、疲れがあってか、シャワーを浴びてすぐベッドにつくや否や爆睡だったのは、いつものことである。

続く
タグ:S-Bahn BVG DB AG
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晩秋のドイツ旅行(8) [Reise]

今回のドイツの旅で幾つかの街を巡ってきたが、1番印象深かったのがこのベルリンである。もちろんベルリンはドイツの首都であり、ドイツ随一の大都会である。前にも記したことがあるかも知れないが、私は1988年から89年に掛けてドイツ語学校の遠足で数回ベルリンを訪れ、また個人旅行でも88年にベルリン経由でドレスデンへ鉄道旅行している。またドイツ統一直後の1991年、そしてドイツで求職活動をしていた1992年にも会社訪問でベルリンに出掛けている。しかし、統一前は街の中央に壁が高くそびえ、私が訪ねた統一後のベルリンは、直後ということもあって壁がなくなっても中心は巨大な工事現場、しかも地中深く掘っているような状態で、統一されたとは言え変貌中だったためベルリンが良くわからない...というのが私の印象であった。(もちろん、それは限られた時間と場所しか見ていないので、単なる私の印象でしかないが..)

今回のベルリン訪問は、そんな変貌したベルリンを確認したかった..と言うのは、結果としてそれが叶っただけで、実はもっと下心のある目的のためである。旅行の数週間前にDBの懸賞に応募したところ、参加賞でDBからベルリンの巨大鉄道模型レイアウト施設の入場券を貰ってしまった。その後この旅行計画を立てるにあたって訪問地にベルリンを加えたという訳である。

ベルリンの朝はやはり早かった。6時前に起床したので、徐々に時差ボケは解消されているが、早起きは身体にも良い。ホテルの部屋はクーダム通りの反対側に位置しているので、自動車騒音も少なく静かである。寝るためだけだったので正解だったと思う。1つだけ問題があったのは、やはりトイレである。フロントからは「今夜は共用トイレを使うのは貴方だけ」と言われていたので気兼ねはなかったが、そのトイレは廊下のドアと直結しているタイプで共用と言っても幾つも個室があるようなトイレのイメージとはかけ離れている。つまり廊下から「WC」と記されたドアを開けると、そこに便座があるというもの。そこまでは、まぁ良い。夜就寝前にトイレに行って用を足したところ、ドアの外から足音が聞こえ、その直後、突然照明が消えたのである。このトイレは窓もないので本当に暗闇になってしまった。慌てて廊下に出ると、トイレの照明スイッチがオフになっている。廊下を歩いていた人(従業員?)が気を利かせたのかも知れないが、中に私が居ることを気がつかなかったのである。これには参った。

問題と言えばそれぐらいで、ホテルには無線LANが構築され、フロントに申し出ればパスワードを貰える。つまり宿泊代には、このロケーションに加え、狭いながらも清潔なベッドに洗面台/シャワーと薄型液晶テレビ、朝食に無料の無線LANも付いていることを考えれば、トイレのことなど腹も立たない。かえってこの歴史的な建物の内装を楽しめたりとプラス面の方が多いように感じた次第である。ちなみに部屋内部に記されている標準宿泊価格には、EUR 140,-とある。おそらく、メッセなど繁忙期の価格なのだろうが、さすがにこの価格はあり得ないと思う。

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▲ クーダム通り沿いのホテルの朝食はビュフェ。

7時前になってフロントのあるフロアに朝食を取りにゆく。そこにはまだ先客はいないが、1人朝食ルームのおばさんが居て、「まだ全て揃っていないけど朝食は出来るからどうぞ」と誘われるままに窓際に1人座って朝食を取る。スタイルはビュフェである。各種パンにハム、ソーセージ、チーズ、シリアル、ヨーグルト、フルーツ迄一通り揃っている。もちろんジュースやコーヒー、紅茶などの飲み物も揃っているのは言うまでもない。ただ、ドイツの大抵のホテルでは、最初にコーヒーなどの注文を取りにくるが、ここは全てセルフサービスである。コーヒーはバリエーションなどなく、カップにコーヒーをポットから注ぎ、ミルクを入れて席に戻る。ジュースを飲めば朝食のクオリティは大体分かるのだが、ここは、お値段に見合ったレヴェルであったのは仕方あるまい。ただし、焼きたてのパンはさすがにドイツである。とても美味しい。考えてみれば、今回の旅行では4日目にして初めてのホテル宿泊なのである。私の歳ではあまり考えられないような貧乏旅行だが、それでこそ得られるものも沢山あることは経験済みである。

それでも朝食はしっかりと美味しく頂き、荷物をまとめて朝9時過ぎにはホテルを出発する。フロントで会計の時、いつもはクレジットカードを使うのだが、思わず現金で支払ってしまったほど安い宿であった。この日は、まずベルリン出発迄の荷物の置場を考える必要があった。ホテルに預けるという手もあるが、ここは駅から距離があるのでBerlin Hbfに預けるのが得策と考えた。フロントでタクシーを呼んでもらいHbf迄走ってもらう。乗車する列車の出発時刻は、15:34である。それ迄が私に残されたベルリン滞在の時間である。

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▲ ICE-T2の側面窓部。ICE-Tのように連続窓ではなく桟の部分は塗装されている。

Berlin Hbfは、昨晩地下ホームに到着し、案内されるままに対角線を走る地上ホームのS-Bahnに乗換えてホテルに向かっただけなので、夜ということもあってほとんど見ていない。まずスーツケースとカバンをコインロッカーに預けようと思ったが、さすがドイツの首都の中心駅である、荷物預かりセンター(Gepäck Center)がある。ここに荷物をまず預けた。手提げカバン1つとカメラだけの手軽になったので、まずは前日到着した地下ホームにゆく。次々に列車の入線と出発が続く中、停車しているICE-Tに気づいた。これはTz 1151"Elsterwerda"である。何げなく車体を見ると何か印象が違う。良く見ると窓が連続窓ではなく、普通の固定窓に連続窓に見えるよう窓の桟の部分を黒色塗装されている。確か前日乗車したICE-T "Erfurt"は1次車であるが、これはICE-T2と呼ばれる2次車である。車体のシルエットは変わらないが、製造コストの関係で連続窓ではなくなったようである。間近で見なければ分からないと言えばそれ迄だが、残念である。他にも前照灯がLEDに変わったりと進化はしている。

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▲ Berlin Hbfの内部。地下ホームから地上ホームの屋根までの巨大吹き抜けで圧倒される。

地下ホームから幾つものエスカレーターを使って地上(と言っても日本式3階だったか?)ホームに出る。このHbfが出来る前はLehrter Stadtbahnhofと呼ばれる駅であった。駅前は今も工事が進行中で、あと5年もすればまた違ったベルリンの姿に変わるのであろう。2008年にブルネル賞にも輝いたこの駅は、その巨大さもさることながら南北方向と東西方向の結節拠点の地の利を生かしたベルリンの建築事務所GMPによる建築が有名である。(GMPの作品は、新しいDBのプラットホーム屋根やMET客車のインテリアデザインの他、先頃発表された新東京国立競技場のコンペでも最終選考に残っている)ただ、前日に会ったベルリン在住のSさんの話では当初の計画通りにはゆかず、ホームの端に行くと屋根がなく悪天候時には濡れてしまうなど、後のコスト削減から来る問題が多々あるそうである。)

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▲ Berlin Hbfからはドイツ連邦議会議事堂が見える。

地上ホームの券売機でベルリンの1日券を購入して、S-Bahnに乗車する。私はジャーマンレイルパスを持ってはいたが、これがS-Bahnも有効かは不明で、かつこの日はU-Bahnやトラムにも乗るかもしれなかったのでEUR 6,-で1日券を購入したのだ。Hbfは、ぎりぎり旧西ベルリン側の駅であり、統一前はドーム型屋根を持つベルリンらしいS-Bahnの駅であった。地上ホームからはブランデンブルグ門に隣接する国会議事堂のガラスドームも見える。これからS-Bahnに乗ってAlexanderplatzへ向かう。電車がHbfを発車するとすぐにコントロールがやってきた。もしかしたらセーフかも知れないが、切符を購入しておいてホッとした瞬間であった。

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▲ BerlinのS-BahnもほとんどがET481/482形に変わってしまったが、塗装色は昔からベルリンの色である。

このS-Bahn路線は、西ベルリン時代から乗車経験があるが、当時とは車両も駅もすっかり新しくなり、まるで初めての街に来たような感覚である。初めて西ベルリンから東ベルリンに来た時のように高架を走るS-Bahnの窓から街並を眺める。Hbfを発車するとすぐ旧東ベルリン地区に入るのだが、窓から見える景色は、当時とは全く違う。ほとんどが真新しい建物か、工事中であるからだ。車窓から見えたMITROPA本社の建物もなくなったとS氏から聞いた。代わりに目立ったのが各国大使館の建物である。そのどれもが真新しい大きなビルで、掲揚されている国旗と共に各国の主張が渦巻いているようにも見える。

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▲ Alexanderplatz駅

Hbfから3つ先の駅がAlexanderplatz駅である。ここは、旧東独時代からテレビ塔のある繁華街の地区であり、今も沢山の人で賑わっているU-Bahnやトラムの結節点でもある。ここから歩いてすぐのところに新しく出来たショッピングモールALEXAがあり、目的の巨大鉄道模型レイアウト施設のLOXXがある。

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▲ 妙に新しいような古いようなモダンな建物が..気になった。

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▲ 建物の入口脇に貼付けてあるPETER BEHRENSの名前の記されたプレートを発見

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▲ Alexanderhausに入ってみる。モダンな空間が広がる。

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▲ エレベータのデザインもおそらくPeter Behrensのオリジナルであろう。

テレビ塔と反対側に出ると、黄色いトラムが忙しそうに走っている。撮影したかったが帰りにしようと先に進む。目の前には少し古めかしい、だがモダンな建物がある。建物沿いに暫く歩いてALEXAを目指すが、何げなく建物の入口脇に貼られているプレートに目を向けると、そこにはPeter Behrensの名前が刻まれているではないか。彼はベルリンの建築家、画家、デザイナー、タイポグラファーで、彼のAEG社のタービン工場の建築は有名である。彼はまた、AEG社の製品デザインも手がけているプロダクトデザイナーでもある。その彼の設計した建築がここにあるとは知らず驚いてしまった。この建物は1930年代初頭に完成し、第2次大戦時に破壊されてしまったとのことである。その後1952年に再建されたとのことである。1995年にはすっかりオリジナルのファサードでリニューアルされ美しく朝日に輝いている。このビルはオフィスビルのようで駅至近の絶好の立地である。旧東独地域は多くの歴史的建築物が壊され全く新しい建物に建て変わる中、おそらく歴史的遺産の1つとして化粧直しされ今でもその美しい姿を見せているのは本当に嬉しい。特に地上階部分は、誰でも自由に行き来出来るようになっており、当時の最新の彼によるデザインをみる事ができる。

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▲ ベルリンと言えばアンペルマン信号機

AlexanderhausからALEXAに向かう横断歩道には有名なアンペルマン歩行者用信号機を見つけた。ドイツ統一後は旧東独の全てを旧西独と同じレベルに引上げたのであるが、それは旧東独の市民の心を傷つけたとも言われている。それはそれまで共産主義と言えども培って来た彼らのほぼ全てを否定され、旧西独のそれを押し付けられたと感じたからに違いなかろう。確かに経済格差も大きかったし生活レベルの差もそれに等しかった。しかし文化的には少なからず優れたものもあったはずで、それらも含めて全否定された気持ちになった旧東独市民の心の内はいたたまれないであろう。その1つがアンペルマン信号機である。この愛らしい絵は、日本でも有名でベルリンにはアンペルマングッズの専門店もある。驚いたのは、この信号機が元々あったベルリンの東側だけでなく、今やクーダム通りなど旧西側にもアンペルマン信号機が設置されているのを発見したことである。まだ旧東西ドイツの心の統一が出来ていないと言われるのだが、この事実が少しでも旧東独市民の心を癒す効果となれば良いと思う。それにしても可愛いカタチである。

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▲ ショッピングモール"ALEXA"の内部

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▲ LOXXはALEXAの最上階にある

信号を渡ってすぐのところにALEXAの入口がある。ここも統一後建てられた真新しいショッピングモールである。沢山のショップを左右に見ながら先に進むと3階フロアにあるのがLOXXである。DBから送られてプリントアウトした入場券を渡して館内に入ると、中々壮大なH0レイアウトが目の前に広がる。このレイアウトのモチーフはベルリンである。システムは2線式でメルクリンではない。あまり私が解説しても始まらないので、以下に画像を貼っておく。

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▲ コントロールコーナー

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▲ メルクリンは歴代のカタログがショーケースに展示されていた

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▲ 飛行場区画。画像はUS大統領専用機

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正直なところ、このH0レイアウトを見てまた来たいとは思わなかった。その原因を考えてみると、どうも目の前にある情報量が多すぎて散漫になってしまうのではないか?と思えたのである。MiWuLaと比較するのもどうかと思うが、巨大さで言えばハンブルクの方が巨大である。しかし、順路が出来ていて様々なテーマのもと、はっきりとしたコンセプトを持つMiWuLaのレイアウトに対して、こちらは、ただ巨大なレイアウトがあるだけ..(それでも充分凄いのであるが..)という感じである。午前中であるが、人の入りも少なくMiWuLa以降ドイツで雨後の筍のように沢山出現した巨大H0レイアウトは、MiWuLa以外では集客出来ないのはわかる気がする。前日にS氏とLOXXについて話したところ、やはり同じような意見だったので少しは覚悟が出来ていたが、従業員300名を数えるMiWuLaの運営と計画は並大抵の努力では出来ないということも悟ったのである。だが、まずはそこを訪ねてみることが大事であり、その評価は実際に見た本人がすべきもので、ベルリンに来る機会があれば、1度行くのは良いかも知れない。

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▲ ALEXAのフードコート横バルコニーに出るとこんな光景が見れる

そんな訳で、予定した時間より早く見終わったので昼食の時間には少し早く、ALEXAの2階のバルコニーから線路が見えるのを見つけて、しばし撮影した。ここは中々の撮影ポイントだと思う。

続く
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晩秋のドイツ旅行(7) [Reise]


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駅に到着すると、まずは私の乗る出発番線を時刻表で確認しホームに上がる。実は、ここから私は息子と別れBerlinに向かうのである。彼は一人で再びザールブリュッケンに戻る。まだ列車は到着していないので、ホームにある編成表で目的地のベルリン行きの予約した車両の位置を確かめる。この列車は私が初めて乗る411形ICE-Tである。ICE-Tには登場直後にZürich HBからStuttgart Hbf迄乗車した経験があるが、それは5両編成の415形であったので、編成の車両数の他、供食設備が異なる。また、その時は家族での移動だったので、家族用個室で移動したために中々探検も出来ず、今回の移動は初めての路線ということもあって楽しみであったのだ。そこでザールブリュッケンで予約した時ラウンジ席を運良くゲットで来たことも、私の今回の行程が大きな期待に繋がったのは言う迄もない。

ところが...である。ホームで列車編成表を確認すると7両編成x2となっていて、何と私の指定された座席は、ちょうど2編成の連結側であったのだ。前にドイツ旅行したときもICE3で同じ思いをしただけに、ショックは小さくなかった。
落胆したまま、息子と荷物を引きずって乗車場所へと行く。暫くするとICE-Tがやってきた。Tz 1104編成の"Erfurt"で、連続窓が美しい初代のICE-Tである。さて乗り込もうとすると.....、1等車の表示が目の前にある....と言うことは、もしかするとDBお得意の編成逆順でやってきたのか。....つまり、進行方向先頭のラウンジに座れるということになる。どうやら私は本当に運が良かったようである。しかしである...それは再び荷物を引きずって反対側の先頭に行かなければならないということを意味する。それでも先頭車ラウンジ席である。荷物は重いが少なくとも私の足取りは軽い。

合計3つの荷物を息子に手伝ってもらいながら車内に載せ、私も乗車した。息子の荷物はリュックサック1つである。ベルリンに到着してから先のことは考えたくもないが、何とかなるだろう...。
私の座席は正面に向かって左窓側1列目で、私にとって最高のシート位置である。既にラウンジは満席状態で私のスーツケースは、出入口部分に置くことになる。ICE-T(D)はICE3のラウンジとは違い座席数も少ない。そのため、ラウンジ全体の空間が狭い印象を受けるのだが、私の前方はガラスの仕切窓を通して広い運転席と前面窓で開けている。発車間際迄は仕切窓にスモークが掛かっていたが、乗務員が乗ったところでスモークは外され全面眺望が可能となった。

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▲ 予定が裏目に出て運良く全面眺望かぶりつき座席となったラウンジ席

ICE 1606は定刻に出発した。最初は、ニュルンベルク郊外のErlangenに停車、そして30分ほど走ると今度はBamberg、そしてLichtenfelsに停車となる。数年前のニュルンベルク玩具見本市の時、Bambergに宿を取って、ここからニュルンベルクのメッセまで通ったが、その時はメッセの入場券ではICEに乗車出来なかったので、期間中毎日REで往復したのが思い出される。

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▲ 車窓には残雪が見えてきた。

Lichtenfelsからは、だんだんと山間の路線となる。私がドイツに到着する数日前に初雪の便りがドイツから届いていたが、沿線には雪が残っているのが見え始めた。この時の雪がまだ残っているのであろう。
次の停車駅であるSaalfeld (Saale)駅は、旧東独地域であるが、この区間に当時の国境駅や、留置線など東西ドイツ直通列車の検査施設があったはずであるが、それを見つけることが出来なかった。ただ、旧東独地域には、旧西側より明らかに歴史的な建物が多く、少なからずの建物がリニューアルされていて美しい佇まいを見せている。一方で朽ち果てた建物も多く残っていたのは致し方ないのであろう。

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▲ ICE-Tは山間の路線を北に向けてひた走る

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▲ 2等車はほぼ満席

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▲ 鏡面ハーフミラーのFISは、いつみても美しい表現

山間の路線を縫うように走るICE-Tは、速度100Km/hぐらいで走る。スピードは遅いが、晩秋の車窓は黄金の秋の燃えるような黄色から既に初冬という趣ではあったが、それでも心癒されるの景色である。2017年には、Bamberg - Erfurt間のNBSが開通する予定で、その後はここの駅にはICEの多くが運行されなくなってしまうとのことで、ニュルンベルクとライプツィヒを結ぶ路線はほとんど全てNBS経由になるのであろう。確かに山間を縫うように走る現在の路線を経由していると、その必要性は感じる。
折角なので食堂車へ行くついでに車内探検を試みる。南ドイツとベルリンは戦前からの大幹線ではあるのだが、NBSがある訳ではなくこの列車もベルリン迄の所要時間は4時間弱と長時間旅行となる。少なくともこのICE 1606の2等車は全てほぼ満席状態である。

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▲ なかなかの賑わいのBordBistro

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▲ 食堂部分もほぼ満席

食堂車は中央に厨房があり、2等車側にはBistroが設備されている。ここも飲み物などを買う人で多くの乗客がおり、厨房を挟んで反対側の食堂部分もほぼ全てのテーブルが埋まっている。1つ空席を見つけたのでそこに腰を下ろす。考えてみれば初めてのICE-Tの食堂車である。モックアップで初めて食堂車のインテリアを見た時は、座席車と比べて北アメリカの50年代のDinerを彷彿とさせるような印象があったが、改めて利用してみると木目のテーブルに赤いシートも悪くはない。テーブルランプもモダンで素敵な形をしている。テーブルクロスがされていないのは、コストと今風を意識しているようにも見えるが、これは致し方ないのだろう。テーブルが木目なのが幸いしてカフェ利用ならかえって良いかも知れない。

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▲ テーブルランプとお品書き

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▲ 出て来たのは大きくて暖かいチョコレートケーキ

テーブルにあるお品書きをみると、食事も中々多彩であるが、昼ご飯は食べてしまったので、ケーキセットを選ぶ。好きなコーヒー/紅茶類と2種類から選べるケーキのセットで6,- EURは列車食堂と考えれば、良心的な部類だと思う。そこで、カップチーノとチョコレートケーキを注文する。木目の壁の食堂車から見る車窓は、また格別である。程なく、注文したケーキセットがテーブルの上に並べられる。ケーキを1口食べてみると、なんと暖かいではないか。暖めてからサーブするケーキとは知らなかったが、結構イケる。ただ、このケーキは大きい。

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▲ Jena Paradies駅の手前では前方右側に太いパイプが走っている。ベルリン市内でも同じような光景を見たので、これが何か分からず不思議に思えた。

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▲ Jena Paradies駅から見えた歴史的な建物。まるで古城のようなつくりであるが、規模は小さいし、駅前にこのような建物があるのはちょっと不思議な感じである。

最後はちょっと苦しくなったが、至福の中ケーキを無事完食し再びラウンジ席に戻る。列車はJena-Paradiesに到着する。Jenaは、戦前ZEISS JENAなど光学製品で名を馳せた地であるが、戦後は東独となったので一部西側に移転したZEISS社にその名声を取って変わられてしまった。(このあたりの経緯はテレビで見た記憶があるが、正確な記述は出来そうにないので詳しい方は是非教えて頂きたい)
車内からひときわ高くそびえるタワー状の高層建築が見える。その上部には大きくINTERSHOPと記されている。Inter Shopと言えば東独時代、西側の製品を外貨で買うことの出来るお店だった記憶があるが、名前はその名残であろうか。いずれにしても、ちょっとこの歴史的な街並には似合わないと感じる建物と感じた。

Jena-Paradiesを出ると、Leipzig Hbf迄95Kmを無停車で走破する。車窓の景色も山間から平地を走るようになってきた。私が今迄東独地域を列車で移動したのは、冷戦時代かその直後だけなので、車窓から眺めるその変わりようは、大きくそして新鮮に映る。ただ、それは明らかに旧西側のそれとは異なっているのは興味深い。そうこうしているうちに建物が多く連なる景色に変わり、列車はスピードを緩めLeipzig Hbfに入線する。ここもFrankfurt (Main) Hbf同様行き止まり駅である。この駅はフランクフルト以上に巨大なターミナルでもある。初めてここの駅に着いた時はBerlin-Ost駅がらであったが、日中なのに薄暗く寂しい駅構内の印象であった。統一後に1度ここ迄クルマで旅行したこともあったが、その時は工事中であまり見る事が出来なかった。そして今回は、停車時間中に少しばかり下車して撮影した。この駅も明るくなったというのが私の第1印象である。

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▲ Leipzig Hbfは、明るく奇麗になった

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▲ Leipzig Hbfで停車中のICE-T

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▲ ICE-Tは夕焼けの空を背にして一路ベルリンへと走る

列車は方向変換をしてLeipzig Hbfを後にするこの季節17時近くになると夕闇が迫ってくる。列車はここで反対向きになるので、私の居るラウンジ席は後部座席となる。運転席を通して見る後方の夕焼けが美しい。もう暗闇なってしまうのであるから、後方でも問題ない。ここから、以前訪れたことのあるLutherstadt Wittenbergに停車した後Berlin Hbfへと向かう。Leipzig Hbfを出発してから、急に速度を上げた印象だ。速度計を見ていないので何とも言えないが、時速160Km/hは出しているように感じた。Berlin Hbfへ到着する数分前にトンネルに入り下車の用意をしていると、今日の目的地であるBerlin Hbf (Tief)、つまり地下ホームに到着となった。

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▲ 長旅を共にしたICE-T "Erfurt"

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▲ 長旅を共にしたICE-T "Erfurt"

大きなスーツケースとバッグ、さらにカバンを持ってホームに降り立つと、Berlinの友人S氏の奥さんと娘さんが迎えに出向いてくれていた。S氏には事前に旅行予定表を送っていたのだが、まさか駅迄出迎えてくれるとは思いもよらなかった。早速スーツケースを娘のAさんが持ってくれてホテル迄案内してくれた。これは大助かりである。
予約した宿は旧西側の繁華街クーダムに面したロケーションの良い場所である。ホテルの予約サイトで朝食付き39,- EURと破格の安値で出ていたのでそこに決めたのだが、あまりの安さに周辺環境が最悪なのではないか?など内心心配であった。しかし結局それは杞憂で、周辺は店舗やオフィスのある場所で、Altbauの建物内部をリニューアルしてホテルにしたドイツには良くあるタイプ。但し部屋は日本のビジネスホテルのシングルルームと変わらないし、シャワーは付いているもののトイレは共同である。Altbauなので天井は異様に高く3mはあるのではないかと感じる程である。それこそメゾネットにしても良いくらいの高さである。

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▲ ベルリンのU-Bahnは、東京メトロ銀座線がお手本にしただけあって良く似ている。天井の低さや車両の色も..。U8のホームにて。

S氏の奥さまとAさんにはちょっと待ってもらって、一緒に彼らの勧めるレストランに招待されたので一緒に出掛けた。クーダムを案内されながら歩いてZoo駅迄行き、S-BahnとU-Bahnを乗継いでレストランに到着。そこには既に一杯やっているS氏と再会することとなった。彼とは2006年にメルクリンビデオの日本取材で知り合ってから親交が続いている。彼の娘のAさんはひと月前から日本を旅行してこの日の前日に戻ったとか。時差ボケで眠そうである。彼女を東京で1日案内したので、ベルリンでの再会はなんだか変な気分である。
美味しい夕食をご馳走になって、今度はS氏がホテル迄連れて行ってくれた。何でも彼の持っている定期券は、午後8時?から2人でも使えるのだそうな。ベルリンは24時間営業のバスもあって、まさにドイツらしくない大都市であるが、これもまたドイツの1つの顔なのかも知れない。ホテルの前でS氏と再会の約束をして、部屋に戻りシャワーを浴びてベッドに入るが、この日も即爆睡状態となった。

続く
タグ:ICE BR411 DB AG
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晩秋のドイツ旅行(6) [Reise]

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Gさんの自宅で1泊させて頂き、起きたのは朝6時頃だろうか。出発が9時過ぎのREなので、今日はちょっとゆっくり出来る。7時すぎにちょっと散歩に出掛けてみた。この家から1分程で私達家族が6年近く住んでいたアパートがある。当時は新築だったので屋根の色も奇麗な赤色だったが、この時は小雨も降っていて屋根の色は黒っぽくなってしまった。こんなところににも時の流れというものを感じてしまう。逆にGさんの家の屋根にはソーラーパネルが付いて居間で発電量が確認出来る。

出発前に玄関で皆の記念写真を撮り、Weiden駅迄クルマで送って貰う。ここでGさんと再会を約束し別れる。程なく到着した9:10発のRE 3510は、VT610ではなくVT612である。これは、SaarbrückenからMannheim迄と同じ形式である。私が住んでいた頃はVT610のみであったが、列車本数が増えてVT612が新たに投入されたと考えられる。

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▲ VT612の車内。この列車は空いていた。

このRE 3510は空いている。これはNürnberug Hbf迄この状態で走り続けた。画像で見てもわかるように、この車両はシンプルで高級感のあるインテリアである。今回の旅行で4回乗車したが、すっかり気に入ってしまった。また、このNürnberug迄の路線で初めて高速での振子走行を実感できた。VT612はVT610に負けない走りっぷりである。

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▲ DB Museumは歴史的な立派な建物

1時間余りでNürnberg Hbfに到着し、私達はまずDB Museumに行く。2月の玩具見本市へ訪れる度にここを通り過ぎたりしていたのだが、実はここに来た最後はDB民営化前のことである。その時息子は4歳ぐらいだったろうか。入場料はDBのチケットを持っていれば割引になるのだが、この日はバイエルン州が祝日で入場料は無料。
ミュージアムはすっかりリニューアルされて見違えるようであった。もちろん実車展示などは以前と変わらぬ車両もあったが、新たに加わった車両もある。感動的だったのは、戦前に撮影された駅コンコースの白黒写真をほぼ原寸大に引き延ばし壁一面に貼られていて、そこを見ていると自身がその中に居るような錯覚を覚えてしまうほどのリアリティを感じたのである。(残念ながら撮影しませんでした)

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私が今回ここを訪れた目的の一つが、上画像のICE2.2モックアップをみる事である。これは、ICE3が出来る前、Neumeister Designによって作成された原寸大のモックアップである。それもエクステリアとインテリアの両方を1つのモックで再現するという試みをしたもの。これは、München郊外のPoingという場所にあるSIEMENS工場の一角で展示され、そこでNeumeister Designからのプレゼンテーションを受けて正式にICE3とICE-T(D)のデザインが決定された。画像を見てすぐ分かるように、先頭部分の造形はICE3と異なる印象である。私自身は、このデザインが頭に強く残っていたので、量産車が登場したとき少しばかり残念な思いだったことを覚えている。今、改めてこのオリジナルのデザインを見てみると、やはりICE3よりエレガントで美しい。Neumeister氏本人が最後に自らの手で取付けたステンレス製のDBエンブレムもその美しさをひときわ際立たせている。

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一方インテリアデザインは、ほぼオリジナルを踏襲していることがわかる。利用者にとっては、顔の造形よりインテリアデザインの方が重要であるから、この程度の妥協は容認するべきなのかも知れない。逆にICE-T(D)のフロントデザインは、量産形の方がより精悍な顔つきになって、私個人としては好みである。

DBミュージアムは第2展示室なるものがあり、ICE2.2のモックアップのある場所から1度外に出て道路を横切り、そこへ向かう。そこは、DRG時代以降の実車が保存展示されているホールである。

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▲ E10 試作機

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▲ SVT877 "Fliegender Hamburger" これは半分でカットされている。残念。

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▲ E03 001これ以上何も言うまい...

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▲ E19 メルクリンでも製品化されている。中央のエンブレムはナチのマークは入っているために、上からXが施されている。(完全に外したりしていないところがオリジナルを大切にする配慮といえようか)

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▲ E44 これもメルクリンで製品化されている

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▲ 05 001 インサイダーモデルとして製品化されている実車である。これを目の当たりにしていたく感動した。

ここに陳列されている車両群は、静態であったとしても震える程に素晴らしい車両ばかりである。メルクリンで製品化され持っている車両もある。それの実車なのだから感動するのは理解していただけると思う。

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▲ VT614

第2展示室の外は屋外展示場であり、歴史的なプラットホームや各種信号機、またオリジナルのオリンピック塗装のVT614が置かれている。
再びミュージアムの第1展示室に戻り、最後ミュージアムショップでいくつかめぼしいものを物色し、満足のうちに建物を後にする。お昼にしようと旧市街の中心へと向かう。

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▲ やはりニュルンベルクに来たら、これを食べない訳にはいかない。もちろん食べてとっても幸せ。

この日は祝日なので、街中は閑散としている。休祝日は基本的にお店がお休みであるからだ。カフェやレストランは営業しているところもあるが、それも全てではない。マルクト広場に着いたとき、人々が集まっていて教会の仕掛け時計を見ている。丁度このとき12時になったのである。教会の仕掛け時計が動き始め、ここに集まった人々は皆上を向いている。私達も少しだけそれを眺めてニュルンベルクでは必ずと言って良い程行くここの名物の焼きソーセージ屋に向かう。ここは人気店で仕掛け時計の動きを全て見ていたら皆が押し寄せて満席になりかねないと思ったからだ。しかし..である。このお店はこの日お休みであった。仕方がないので近くにある焼きソーセージの看板を出しているレストランに入った。ここは店内も広く、用意されている食事の種類も多い。早速私は6本の焼きソーセージにジャガイモサラダを付けたものを頼む。息子は8本である。焼きソーセージもサラダも美味しいが、いつものお店にはやはりかなわない。あと欠かせないのはビールである。(と言っても私はRadlerと呼ばれるビールをレモネードで割ったもの)いずれにしてもやはりバイエルンのビールは美味しい。午後1時過ぎに私が乗る列車の出発時刻なので、あまりゆっくりしていられない。結局息子からソーセージ1本貰って一人7本ずつ食べてそそくさとお店を後にし、駅へと急いだ。

続く

参考サイト:DB Museum Nürnberg
https://www.deutschebahn.com/site/dbmuseum/de/start.html
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晩秋のドイツ旅行(5) [Reise]

この日の朝も目が醒めたのは5時前である。時差ボケは2日経っても直らない。もっともこの日は、Dillingen駅を朝7:10発のREに乗って出発する日である。6時には、ホストファミリー夫妻も起きて一緒に朝食を取る。まだ暗い中ご主人が私達を駅迄送ってくれた。今回の行き先は、息子が生まれた地であるWeidenへ行く事にしたのである。当時、唯一の日本人家族であった私達の問題をいつも親身に助けてくれたご近所の方のお宅へ訪れるためである。


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Dillingen駅では、ここまでクルマで送ってくれたご主人に私は今迄の感謝の意と別れの挨拶をして、やってきたVT612形のRE 12002に乗り込む。ここザールラントはドイツの西の端でWeidenはチェコ国境に近い東の端にあたる。Dillingenを7時過ぎに出発してもWeidenには、午後1時半過ぎの到着予定である。もちろんローカルな場所ゆえ直通列車などはなく、途中Mannheim HbfとFrankfurt/M Hbf、そしてNürnberg Hbfの3カ所で乗換えを行う。最近のDBは遅れが常態化しているので上手く乗継げるのかも心配である。この時は木曜日がカソリックを主とする州が休日であることもあって、列車の混雑が予想され、前日Saarbrücken Hbfで列車の予約は行った。

乗車したVT612形は、朝早いこともあって空いていて、向かい合わせのテーブル席に親子で陣取り、朝の景色を堪能しながら列車は快調に東へと向かう。Saarbrücken Hbf迄は昨日と同じ路線を走るが、ここからは私にとって初めてである。Saarbrücken Hbfからは列車番号をRE 4271に変え一路Mannheim Hbfへと目指す。この路線は、Kaiserslautern Hbf、Neustadt (Weinstr) Hbf、Ludwigshafen (Rhein)を経由してMannheim Hbfに至るルートである。車窓は途中からワイン用ぶどう畑が多くなる。このあたりがワイン街道と呼ばれるゆえんである。途中の駅に停まる度にだんだんと車内は賑やかになってくる。
最初4人掛けのテーブルを挟んだ席に親子2人で占領していたが、暫くすると初老の男性と同席になる。彼はこの路線を良く知っているのか、私にしきりに車窓の沿線風景の解説をしてくれる。彼もまた昔ながらの良きドイツ人の1人であるように感じた。

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▲ Mannheim Hbfで発車を待つET425

9時12分には、Mannheim Hbfに到着予定であったが、若干遅れて到着した。これは遅れと言っても許容範囲であり、乗継ぎのICEにもまだ余裕がある。既に9時を廻っているのに、太陽は低くまるで早朝のようである。少しばかり時間があったので乗継ぎ列車のICEが到着するホームで撮影したりするが、ホームには多くの乗客が列車を待っているので、思うようには写真が撮れない。それに今回荷物が多いので中々身動きが取りにくいのである。

私達が乗換えるICE 692はICE1であった。今回初めてリニューアルされたICE1に乗車できた。以前の薄いブルーに彩られたインテリアに比べて、ICE3に準じた室内デザインは、シートも変わって高級感と落ち着きが加わり好感の持てるものである。
次の乗換えはFrankfurt (Main) Hbfで、ここ迄30分余りの乗車時間とたったの一駅である。このICEは遅れもなく座席予約はしたものの、すぐに降りる用意をするので落ち着かない。

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▲ 定刻に到着したICE 692

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▲ Frankfurt Main Hbfは、行き止まり駅ならではの光景

10時過ぎ、程なく定刻に到着した乗換駅のFrankfurt (Main) Hbfは、やはり巨大なターミナルの行き止まり駅である。このドーム型駅舎は、いつ来てもその巨大さと独特の雰囲気にヨーロッパの駅を感じさせる雰囲気である。ただ、ドイツの中心にあるためか、さほど国際色を感じるものではない。前に来た時と明らかに異なるのは、民間の鉄道会社による派手な塗装の車両を見掛けることであろうか。統一された塗装の車両が並ぶ駅も悪くはないが、やはり様々な個性的な塗装を競うのは、見ている方も楽しい。

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▲ 民間会社の車両も加わって、より賑やかな印象のFrankfurt Main Hbf

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▲ 到着した111形は、正面の形式表記のチェックデジットが省略されている。これはDB Regio AG所属車両に多くみられた。

ここでの乗換えは10分程である。その間に写真を撮るのはいつもの通り。息子に荷物の見張りをさせて色々と撮影する。但し乗換え時間が多くはないのでホームの端迄行けるような余裕はない。
程なく到着したICE 1021は、再びICE1である。今迄乗ったICEの中で最も多く乗っているのは、おそらくICE1であろう。一番歴史が長いという事もあるが、DBでインターンシップをしていた時にデビューし、そのインターンシップ初日に営業開始前のICE1に乗車したのが最初である。営業開始初日にも乗車し、その後も運転室に乗せてもらって走ったこともあるのがICE1である。どうも縁のあるのがICE1なのであろう。逆に縁のないのがICE-TDである。わざわざ日本から座席予約迄して目的の大きな1つがICE-TD乗車であったにもかかわらず、丁度当局から運転禁止をされてしまったので乗れなかった思いがある。そして今もまだ乗れていない。

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▲ ICE 1021は、中々の混雑具合である。

今度は、Nürnberg Hbf迄約2時間の旅である。途中Hanau HbfとWürzburg Hbfに停車する。NBSやABSを走るICEと今迄乗って来たREの走りと比べる迄もないが、車窓の移り変わりは早く、時間は掛かるがゆったりと車窓を楽しめるREも悪くないと改めて感じた次第である。それにしても今回車窓の景色を見ながら大きく変わったと思うのは、風力発電施設だけでなく、メガゾーラーと呼ばれる大規模な太陽光発電施設が沿線に数多く設置されていたことである。脱原発に舵を切ったドイツでは、それ以前から自然エネルギー導入に力を入れ、既に自然エネルギーが占める割合も、雇用についても拡大し続けていると聞いている。

このICE 1021は、それにしても混んでいる。前日に座席予約をしたのは正解であった。ICE1のリニューアルは、壁やシートがICE3と同じ仕様に変更され、雰囲気も良くなったが、以前に比べ開放室部分のシートピッチが狭くなり座席定員が増えた事が更に混んでいる印象を強めてしまっているのかも。車両の1/3程は区分室となっているのは同じで、もちろんWCも同じレイアウトである。但し、トイレの配色、便器の蓋の色まで変えているのは驚いた。このリニューアルならば、美しい木目も本物ではないことはすぐ解るにしても雰囲気は随分改善されて良くなったと思う。

Nürnberg Hbfに近づき、ICE1の2時間余りの旅もそろそろ終了となる頃、車内アナウンスでは遅れが出ているという、それも10分程度のものではなく、20分以上の遅れとか。接続時間は12分しかないので、この列車にはもう乗れない。やはり昨今のDBはこんなものであろう。Nürnberg Hbfへ到着すると、その時次の接続列車の時間を尋ねようと駅コンコースにある「Service Point」でICEの遅れで乗継ぎ出来なかった旨を言うと、切符を見せろと言う。切符を示したところ、手元の端末で何やら検索している。どうもその列車の遅れを確認しているように見えた。するとおもむろに私の示した切符にスタンプを押し、手元から書類を出して封筒に入れ、書込んでからDB宛に送れと言う。前にもこのようなことがあったので察しはついたが、きっとICE料金の払戻しがあるのかもしれない。この書類は帰国してからDBに送ったので、どうなるのか楽しみでもある。もちろん次に乗るべき列車の時刻も教えて貰えた。結局、次の列車は1時間後になる。それでも私がWeidenに居た頃は、同じ区間をRSB(今のRE)が2時間ヘッドだったのでサービスは改善されている。この区間は、今や半分がagilisやVogtlandbahnなど民間会社運営の列車が走っているが、この区間では、途中乗換える上に直通のREよりも運賃が高いので、迷わずDBのREとなった。

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▲ Nürnberg Hbfで出発を待つVT610

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▲ VT610の車内。以前と全く変わらないインテリア

駅構内でWeidenで待つお宅に電話し、到着時刻が遅れる旨を伝える。丁度時間が少し出来たので駅構内の魚専門のファストフード店のNORDSEEでサンドイッチの昼食を取る。昼食を取っていると1時間程度はすぐに経ち、我々がホームに上がった時には、既にVT610気動車が待っていた。外観はもちろんV.Rot色であるが、車内のインテリアは登場時から全く変わっていない。シートも今のRegio車両の標準であるブルー地に紺色の四角が並ぶものではなく、以前の薄いグリーンのような色である。
乗車して暫くするとエンジンが掛かり、程なく発車する。この区間は幾度となく乗ったことがある路線なので、車窓はうろ覚えながらも記憶に残っている光景である。ただ、今日のような時間帯に乗車するのは初めてである。走り始めてから暫くするとスピードを増すのは、この振子気動車ならではである。カーブに掛かるごとにスウィングするVT610はいつもながら、その速度と共に感動的ですらあるが、やはり運転席脇で前方を眺めながらの方が迫力ある走りを満喫できる。

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▲ Weidenにもagilisの気動車が入ってくる

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▲ VT628.2は、VT610同様に前の塗装時代からここを走っている。

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▲ Schürzenwagen(Büe)からの改造車を発見

Nürnberg Hbfから1時間余りで目的地のWeidenにようやく到着する。ここは、Hof - Regensburgのほぼ中間に位置し、戦前はそこそこの幹線だったとは思うが、今は電化から取り残され、DBの民営化前にはInterRegioの路線の1つとしてミュンヘンの先のオーバーストドルフ迄の直通列車が設定されていたが、今やREがRegensburg迄でしか行かず寂しい限りである。
ここから、目的の家迄はタクシーで行こうと考えていたため、ここに留め置かれている幾つかの車両をカメラに収め、荷物を引きずって昔と変わらぬ駅舎へ向かうと、そこには訪問するGさんが迎えに来てくれていたのである。彼はもう80歳を過ぎていたが、とてもお元気そうである。久しぶりに再会をお互いに喜んだのである。

彼の家は、私が居た頃と全くと言って良い程変わらず、息子が小さい頃から慣れ親しんだ家でもあったので、彼にとっても懐かしかったに違いない。ここ数年の日本の情勢はドイツ人は誰もが心配して質問される。ドイツでの情報はもちろん一方的であり、センセーショナルな報道が多かっただけに心配は尚更だったと思う。私達親子が元気な姿で来た事で安心したと思う。
話は中々尽きなかったが、美味しい赤ワインをご馳走になりながら久しぶりのWeidenの夜を楽しんだのである。

続く

[EDIT] 2012-11-15
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晩秋のドイツ旅行(4) [Reise]


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翌朝は、それでも5時台に目が醒めてしまったのは時差ボケなのだろうが、前夜は夜10時には深い眠りについたので睡眠はちゃんと取れているのだろう。6時過ぎてからシャワーを浴び、朝食もゆっくりと頂いた。息子のホストファミリーは自分の子供のように可愛がってくれた昔ながらの良きドイツ人ご夫婦という印象を持った。しっかり者の奥さまと冗談が大好きでいつも笑いが絶えないご家庭であったことは、一晩ご厄介になっただけですぐに理解できた。こんなホストファミリーに出会えて本当に息子は恵まれている。

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前日にザールブリュッケンでする作業を全て終えてしまったので、この日は息子にザールブリュッケンの中心市街地を案内してもらうことにした。ここReimsbahchは、自然豊かなBeckingenという町に属する人口約2300人の村である。それでも生活のために必要なものは全てここで調達できるのだそうである。ここからザールブリュッケン迄はバスと鉄道を乗り継いで行く。まず、バスでBeckingen駅迄約20分程度走る。Beckingen駅は何と無人駅。ここの自動販売機で切符を買いザールブリュッケン迄RB(ET426)かREでザールブリュッケン迄行く。もうDBでは電化区間の近距離列車の中心となっている連接タイプの電車である。
途中、世界遺産となった製鉄工場跡Völklinger HütteもVölklingen駅から見える。夜になると妖しい光の演出で、工場萌えの方々にはたまらない場所であるように思う。約30分程度でSaarbrücken Hbfに到着する。

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昨日は、長旅の疲れもあって駅をゆっくり見る事も出来なかったが、この日は時間もあるので駅や街の散策が出来る。しかし天気はあまり芳しくなくどんよりとした曇り空である。ホームにはS3/6形(パシフィック軸配置)の車輪のみの下回りがオブジェとして飾られているのを見つけた。ただ、保存状態は良くなく動輪の赤色が色褪せている。蒸気機関車全盛の時代は、ここもヨーロッパの東西幹線の主要駅の1つとしてパリ方面へ向かう多くの蒸気列車が行きかったのであろうことが想像出来る。

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▲ Saarbrücken Hbfの駅舎はモダンな建物。

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▲ Saarbrücken Hbf駅前広場は、トラムとバスの停留所に大きく敷地が使われている。ホームの後ろの建物はショッピングモール。

駅建物は新しいもので立派ではあるが、ちょっと無味乾燥なビルである。正面玄関上にはDBマークとSaarbrücken Eurobahnhofと記されている。やはりフランスを意識してのことであろう。私が駅舎以上に感動したのが、駅前に広がる路面電車とバスのための電停である。ちゃんとしたプラットホームになっていて、そこにトラムとバスが行き交う。バスもトラムと同じホームを使用し、信号もトラムのための信号を使っている。私が住んでいた時代のカールスルーエでも同様であったが、改めてドイツではバスとトラムの垣根がなく同じ公共交通として利用されていることに、ハードウエア以上に日本に比べてそのしくみの先進性に感銘を受けた。

Saarbrücken Hbfの駅前広場正面の一角にあるのは、ショッピングモールである。一通り中を歩いてみたが、日本のイオンモールのような巨大さはないものの、歴史的な建物のファサードを残しながら内装を全て新しくし、モールとしての機能を加えた高級感も兼ね備えたつくりである。日本のショッピングモールは、そのほとんどが駅から遠くクルマで行くことが前提になっているが、ここのように駅前にモールを作る事で市街地の活性化を果たしている好例だと感じた次第である。

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▲ 市役所前を走るトラム

駅から旧市街地域に至るBahnhofstrasseは道幅の広い歩行者専用道であり、買い物客で賑わいのあるモールである。市役所のある街の中心にはトラムがひっきりなしにやってくる。ここはザールラント州の州都であるが、人口約17.6万人程街の中規模の街である。街の中央にはザール川が流れ、そこには中心街からの橋が掛かっている。

ドイツに来ていつも感じる事の1つに、街の中心街のにぎわいである。私の住むここも駅の近くは賑わっているが、都市計画で車道が幅広くなり、車道左右の店舗が完全に分離してしまっている。クルマあっての地方都市であるここは、いつの間にか街を散策する楽しみが奪われてしまっているのに気づくのである。
歩車分離が当たり前で駅前にショッピングモールのあるザールブリュッケンの中心街は、戦前からの建物(Altbau)も数多く残され、美しさと居心地の良さを残した街であると感じた次第である。

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中心市街地を一通り見て歩き、再びHbfに戻って帰りの電車が来る迄の間、ホームで撮り鉄に励む。近距離電車のET426形に混じって、2階建て客車のREやVT612など同じ赤色でも結構色々な車種に巡り会うことが出来た。ICEカラーのIC列車もやってくる。その中でひときわ異彩を放つ車両が留置線に居るのを見つけた。(上画像)これは、フランスのStrasbourgへの連絡を担っているSNCFのX73XXX形(DB仕様はVT641形)気動車である。DBのVT641形はもちろんV.Rot塗装である。

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▲ ロシア鉄道の寝台車

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▲ ロシア鉄道の寝台車のサボには、モスクワ、ベルリン、パリの文字とそれぞれの都市のシンボルが描かれている。

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▲ ポーランド国鉄の食堂車

そうこうしていると見慣れない客車列車が停車しているのを見つけた。これは何とモスクワ-ベルリン-パリを結ぶ寝台列車である。カールスルーエに居た時もたまに1両だけごついコルゲート付きのソ連(ロシア)の寝台車を最後尾に連結した夜行列車を見掛けたことがあるが、これは新しいグレーをベースに赤いラインを施した外装の堂々とした編成。ポーランド国鉄(PKP)の食堂車を連結している。ちょっとホームから車内を覗くと寝台車の他、サロン設備を備えた車両やお酒が並んだ棚とバーカウンターなども見える。ちょっとしたホテルのような豪華さとまではゆかないものの、かなりの長距離を走る列車である。民主化を果たしたロシアの鉄道もどんどんサービスが改善されていることが、この列車から伺われる。

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列車の先頭には、SNCFの電源に対応したBR 181.2が牽引している。この機関車は、走っている路線が少ないためか模型化されているのは僅かであるが、車体中央部分の窓が屋根に廻り込んでいる曲面窓を採用するなど、ちょっと個性的で好きな機関車の1つである。

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▲ ホストファミリーの親戚など家族で経営しているレストランバー。玄関口を見れば、ここは以前家畜小屋であったことがわかる。以下改装された店内。

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再び、来た道のりと同じ方法でReimsbachへ戻る。この日は結局曇りと小雨模様のあいにくの天気であったが、相変わらず元気なホストファミリーご夫妻に迎えられ、息子が語学学校から帰ってから練習に励んだサッカークラブの施設やら、ホストファミリーの家族で経営しているレストランバーを案内されたりと、工夫をこらしながら、この美しい小さな村で楽しんでいる様子が良く理解出来た。このサッカークラブは、日本のサッカークラブとの交流も積極的で、前橋のサッカークラブの子供達も6年生になるとここに数日間のプログラムで滞在する。クラブハウスは100人以上収容でき、上階には訪れるチームの宿泊も可能である。このクラブハウスは現在拡張中であるが、充分な予算がないのでゆっくりと工事が行われている。私が訪れた時も部分的に工事中であったが、きっと再び訪れる頃には、そこも完成しているであろう。ここで感心したのは、サッカーのクラブハウスにしてもレストランバーにしても、その工事のほとんどを自分達で行っていることである。プロを使って工事する部分は、重量物を扱う時や専門知識が必要な限られた部分だけで、あとは自分達で行うというのが、やはり彼らならではである。

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▲ Schwenkerで焼かれているお肉達。

バーでビールを一杯ご馳走になった後、帰宅して夕食をご馳走になったのであるが、この日は私のために寒くなったにも関わらず、昨日会ったH氏が合流してこの地方の名物料理であるSchwenkerをご馳走になった。これはバーベキューの一種であるが、天井から吊り下げられた金網に3日間程タレに漬け込んだ豚肉を乗せ、ブナ材の蒔で焼く料理である。肉を天井から吊り下げている金網に載せるのは、金網を廻して焼くためである。また金網の高さを蒔の炎の丁度上の部分に調節することで、美味しさが増すのだそうである。特に燃料となるブナ材は、この地方で良く取れる木材で、焼いた時の味にも影響があるそうである。Schwenkerの名前の由来は、おそらくドイツ語の動詞のschwenken(揺れる)から来ているのであろう。考えてみれば、このような肉の焼き方はとても理に叶っている上にプリミティヴである。同じドイツでもバイエルンではこのようなバーベキューの方法はなく、ザールラント名物と言われる所以でもあろう。もちろんビールのお供としてうってつけの料理である。寒かったので流石に外で食べるという訳にはゆかず、家に入って食べるのだが庭と繋がった地下室に、ちゃんと2つめの食事室があるのは良く出来ている。奥さんの作った2種類の美味しいサラダと一緒に食べるSchwenkerの肉は小さいものではなかったが、2枚を平らげるのにさほど時間が掛からない程美味しいものであった。こういう郷土料理はレストランでは食べられまい。

食事の後は、ご主人の趣味である世界のアルコール類が並んだ地下のバーコーナーでスパークリングワインをご馳走になり、私自身がアルコール漬けになってしまった。翌朝早く発つので、セーブしながらもベッドについた時には、昨日同様数秒で気を失っていたのである...。

続く

[EDIT] 2020-06-12
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晩秋のドイツ旅行(3) [Reise]

実は、息子はザールブリュッケン大学にある外国人向けのドイツ語学校に、この5月から通っている。彼はドイツで生まれ4歳迄過ごしているが、帰国後はドイツ語をすっかり忘れてしまい、半年程ここでドイツ語を勉強している。
一緒に駅正面口迄行くと、ザールブリュッケン独日協会のK会長と、今夏まで日本で勉強をしていた友人のC君が迎えに出てくれた。とても急なスケジュールにも関わらず、彼らは私のために時間を作って来てくれたのだ。感謝の極みである。そのまま別々にクルマでC君のご両親がいらっしゃる自宅に招かれ、ちょっと遅い朝食をご馳走になった。彼の家は想像以上に立派なお宅で広々としている。
更に、ここから息子がお世話になっているHさんがみえて、本当に恐縮してしまった。ここで私がザールブリュッケンですべきことを説明し、これを到着初日で全てこなすこととなった。

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▲ Saarbahnトラムの車内。ここのトラムにはチケットキャンセラーがない。切符購入時に時刻が既に記載されているそうである。

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▲ トラム車内の駅案内図。青いマークの電停はバスなどとの接続を表す。

私のここでの目的は幾つかあったのであるが、その大きな1つが世界でも稀な国境を越えるトラム(Saarbahn)に乗車し撮影することである。ここのトラムはカールスルーエのトラムを参考に1997年に開業した2電源式のトラムトレインである。つまり、市内は路面電車として750V直流で走行し、途中DB路線に接続。DB路線内は15KV 16,7Hzの交流で走る。更にフランスとの国境を越え1駅だけであるが、SNCF路線に入線するのである。
今や、その成功で世界的に有名になったストラスブールのトラムも、当初の計画ではライン河を渡りドイツ迄延伸する計画があったと聞いているが、その実現はまだである。それに対して、あまりに地味な存在であるSaarbahnは、既にフランスとトラムで接続されている。そのあたりの事情も知りたかった1つである。

C君のお母様は顔が広いようで、早速私のためにSaarbahnに電話して私に説明をしてくれる技術者を見つけてくれた。彼はたまたま時間があったようで、その幸運と連絡をつけてくれた彼女に感謝である。早速、会社/車庫のあるBrebach駅に行くと、既に駅前で彼は待っていてくれた。

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▲ トラムはBombardier社製 "Flexity Link"。

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▲ ホームの列車案内表示。

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Brebach駅はDB駅であるのだが、同時にトラムのDB路線乗り入れ電停も兼ねている。ここからHanweiler駅迄はDB路線を走る。Hamweiler駅はドイツ側国境駅で、国境からはSNCFとなる。Sarreguemines駅はフランス側の国境駅でトラムはここまで入る。SNCFは非電化のため、架線はSarreguemines駅まであり、電圧もDBと同じになっている。一方信号設備は、国境を境にSNCFの方式に変わるのであるが、これもトラムが来ているため、Sarreguemines駅迄はDBの地上子が併設されており、LZBもSarreguemines駅迄有効となっている。

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▲ Saareguemines駅に到着したトラム

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▲ Sarreguemines駅のSNCF列車ホーム。遠くにSNCFの気動車が見える。

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▲ Sarreguemines駅にはDBとは異なり、黒色ベースの時計。

これらの話を実際にトラムに乗って前方窓を通して地上子や信号設備を確認しながらレクチャーされると理解が深まる。
Sarreguemines駅に到着すると、そこはまさにフランスである。駅舎建物にしても同じ石造りながら、どことなくフランス的なものを感じる。もちろん案内表示や時計などはSNCFのCIに準拠したもので、全てフランス語表記である。

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▲ トラムの運転台。

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▲ ワンマン運転のため、後方確認はカメラを通して行う。

再び同じトラムに乗車してBrebach駅方向に戻る。今度は、DB路線から路面に変わる部分を乗車しながら観察する。Brebach駅を過ぎると線路は左に分岐し、下り坂となるが、ここが2つの電圧が変わるデッドセクションになっている。電圧切換は全て自動制御され、この区間の手前は時速40Km/hで走行すると規定されているとのことである。万が一停電などでデッドセクション部分で車両が停止してしまった場合について尋ねると、セクションの勾配を利用して自然走行してセクションを抜けられるのだそうである。

また、DB/SNCFのホームと路面電停のホームは規格の違いからドアとホームに隙間が出来る場合があるのであるが、それは車体ドア下から自動的にステップが出ていずれの場合でもベビーカーや車椅子利用にもステップレスで対応しているとのことである。
私達は実際に路面線の最初の電停であるRömerkastell迄行き、電圧切換えを確認した上で再びBrebach駅に戻ってフィールドワークを終えたのである。

Saarbrückenのような中規模な都市ではトラムは不可欠な公共交通であると言えるが、フランスと国境を接しているというより、まるで日本の県境程度の感覚でトラムを使って行き来できるのは、まさに両国民の利用者の立場を最優先に考えた取り組みであると感じた次第である。カールスルーエやストラスブールのようには脚光を浴びることがないのは、この地がかつての(石炭採掘と鉄鋼で栄えた)ような産業の栄華がないからかも知れないし、経営も決して楽ではないとのことであるが、この街では、あちこちからフランス語が聞こえてくるのは、このトラムがあるからこそなのだと思うのである。

Brebach駅で、Saarbahnの担当者に別れを告げ、その後大学で用事を済ませて再びザールブリュッケン中央駅迄送ってもらい、C君と彼の母と別れ息子のホストファミリーの待つReimsbachへ着いた時は、既に午後8時を廻っていたと思う。何しろ、前日の朝からほとんど眠らず+8時間の時差分があるので、私自身はほとんどフラフラの状態。夕食をご馳走になったが用意された半分ぐらいしか食べられず、ベッドに入ったとほぼ同時に気を失ったのは、だれもが想像出来ると思う。

続く

参考サイト:Saarbahn
http://www.saarbahn.de/de/start

[EDIT] 2012-11-11
タグ:Tram Flexity
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晩秋のドイツ旅行(2) [Reise]

到着後、そそくさと入国審査場へと進み、EU域外の列へと並ぶが中々前に進めない。どうやらアフリカのどこかの国からの便の乗客の列に並んでしまったようで、1人1人の審査がとにかく長い。中にはどこかに連れて行かれる人もいる。ようやく日本人のチェックの番になると急に早くなるのは、ドイツで日本人があまり問題を起こしていないことによるものだろうと思う。

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私の入国審査も1分ぐらいだっただろうか。何も質問されずすんなりと入国することができた。その後、荷物を引き取り、税関を抜けてDBの地下駅へと進む。今回は、この空港駅からREでザールブリュッケンへと行くのである。その前にネットで事前購入するはずだったジャーマンレイルパスとザールブリュッケン迄のチケットを購入しなければならない。ただ、早朝に到着したのでその列車まで2時間近くの余裕がある。まずは地下駅のDB旅行センターに行ってみるが、営業時間は6時からとのこと。そこでその近くのイートインのパン屋さんでButter Bretzelとラテ・マキャートを頂きながら時間を潰すことにする。ブレッツェルは最近東京あたりでも手に入るようであるが、私の地元にはもちろんなく、久しぶりの香ばしい味に懐かしさが込み上げてくる。

6時少し前になると旅行センター前に利用者が並び始めた。私もその後に並んで待つとすぐに職員さんがガラスの扉を開いて私達を招き入れる。ジャーマンレイルパスは、日本でネット購入手続きをしたものの、郵送するには時間が足りないというので予約番号でドイツで購入して欲しいというメールをDBから貰っていた。そのメールを見せるとすぐに対応してくれ3日間のレイルパスを手に入れることができた。このようなことも今回初めての経験だったので、柔軟なDBの対応に感心させられた。ドイツ滞在6日間のうち最初の2日と最後の1日はICEなどでの長距離移動をしないので、ザールブリュッケンの先にあるDilingenという駅までの片道切符を購入し、支払もここで済ませた。

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▲ V.Rotの111形機関車正面に描かれている「PUTZ MICH」(私を掃除して)というのは、中々のセンスである。スプレーで描かれている訳でもないので、こういうイタズラは結構好き。

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▲ 反対側の111形はバイエルン塗装機。確かROCOで製品化されていたような。

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さて、乗車するREが来る迄の間空港地下駅で列車を眺めることにした。(上画像)420形のS-Bahnが多く行き来するの中でも、時折機関車牽引の列車や気動車も到着する。大好きな111形を両端に挟んだModus客車列車や143形牽引の2階建て客車列車など見ていて飽きないのは、多分私だけだろうと思う。
111形に挟まれたModus客車は、私が居たPFA社でDRの客車から改造された車両である。今回初めて外から室内を眺めてみたが、最初にDBに提案したPUmA車両のインテリアとほとんど変わらず、少しばかり試作車のデザインにも関わった私としては、懐かしさと嬉しさが込み上げて来たのである。

そうこうしていると時間が経つのは早いもので、乗車する気動車の612形Regio Swingerがやってきた。早速乗車すると車内の人影はまばら。空港駅で私も含めて数人が乗車したが、それでも乗車率は3割程度か。向かい合わせのテーブル席には座れなかったが、進行方向向きのシートに腰を下ろして、これから2時間余りの列車の旅が始まった。初めて乗車した612形は、外観はあまり好みの造形ではないが、インテリアは木目と金属の組み合わせが程良いバランスで、シンプルかつ質感の高いもの。これなら長距離旅行でも快適な旅が出来ると好感を持った。

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列車が空港駅を出発して暫くすると、地上に出て朝の景色が広がる。フランクフルトの郊外からすぐに広々とした車窓風景に変わる。この景色はどこであれドイツらしい。暫く走るとRüsselsheimに到着する。この街は自動車会社オペルの本社工場がある街である。私が初めてドイツに来た1986年の学生時代にここの児玉デザイナーを訪ねてツアーで訪れたことのある思い出の地であるが、この時はバスだったので、駅や列車からの風景は全く初めてである。Rüsselsheim駅を発車すると暫くオペルの工場敷地に沿って列車は走る。

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その後、Mainz、Bad Münster a Steinなどを走る。この辺りからは非電化区間となり、612形の本領発揮であるが、さほど速度が出ていないので振り子機能はあまり意味がないようにも思う。車窓の景色は次第に美しさが増し、山々には黄色に色づいた木々は輝き、時にワイン用のぶどうの収穫をする風景を目にしながら、また山間を縫うように天然の鉱物の産地であるIdar-Obersteinを通って、列車は終着駅のザールブリュッケン中央駅を目指す。
途中の駅では様々な種類の貨車や入換用機関車があり、画像の294形(V90形)にも遭遇すると、ついメルクリンモデルでも欲しくなってくるのはいつもの(悪い?)クセである。

この列車の終着駅ザールブリュッケン中央駅に到着し、荷物を引きずってホームに降りると息子が迎えに来てくれていた。

続く
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