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Maerklin Magazin 6/2007 [Maerklin-Allgemein]

昨日記したインサイダー送付物の一つである最新のメルクリンマガジンを紹介したい。表紙は、私も注文している112形のTEEカラーである。これは出荷前なのに既に品切れ状態のモデルで、故に大人気なのであろう。それもそのはず、TEE50周年記念モデルの1つ、「TEE Rheinpfeil」として1971年の同列車をモデルにした列車セットである。今回初めてリリースされる282mmの62系列客車がドームカーや瘤付き食堂車と共に同梱されている。

で、この列車セットに付いては、表紙だけでなく、特集記事の一つとしても記載されている。この時恥ずかしながら、このE10.12形/112形には屋根のバリエーション、正面手摺のバリエーション、正面ステップ、そして台車のバリエーションがあることが初めて理解出来たのである。屋根のバリエーションは、メルクリンモデルの銀色屋根の他に1968年に増備された20両は、当初からTEE色で112形(つまりEp.IVa)、そして屋根は雨といがなくボディ同色である。このあたり1965年に登場したE03形が雨とい付き銀色屋根であるのが理解出来る。(つまりTEE向け電気機関車は、E10.12 -> E03 -> 112 -> 103.1という順番で登場するのである)しかし、この新製された112形は台車に問題があったようで当初は、160Km/h運転されたが、あまりに問題が多く、80年代には最高速度は140Km/hに落とされ、最終的には120Km/hにまでなってしまったのである。90年代初頭には110形に改造され...それからはややこしいのでここでは省きたい。メルクリン製112形モデルの台車は、昨年の新製品であるE10.3とは違い、青/クリームのF-Zug塗装E10.12と同様の高速台車を履いている。客車については、切り妻タイプで「TEE Rheinpfeil」と印刷されているのだが、TRIXの同型客車は丸屋根なので列車名や行き先表記は違うかもしれないが、これは楽しみである。

また、CSのバージョンアップの新しい機能である、「Memory」についての解説が出ている。私はちょっと時間がなくて...というよりネコに遠慮していて中々線路が敷けず未確認なのだが、この画像付き解説文を読んで試してみたくなった。

もちろん、インサイダーモデルのVT10.5の記事も出ているが、写真の載った解説を読むとVT10.5は、「Senator」向けのVT10 501が1編成と夜行仕様「Komet」向けののVT10 551の1編成のみ製造された試作車であると記されている。実際に運用に就いたのだが、はたして1編成でどのように運用されたのであろうか?当然長距離列車なのだから、毎日同区間で運行というわけにはいかないに違いない。(まぁ、ヨーロッパの時刻表は1週間単位で走る列車の表記も出来るのだから問題は少ないのであろう。)結果としてその後、名車VT11.5が量産されているが、この2種類のVT10.5の検証が役立ったと言えるのは間違いない。

いつものように素晴らしいH0やZゲージのレイアウト紹介もある。リニューアルで新しく編纂されているH0の50年代モデルはスウェーデンの電気機関車やそれに合わせた客車群、メルクリンの名車V200.0形などである。

前回から始まった「EUROPAESCHE UNION」は、第2回目でもちろんこれはTEE 50周年企画の記事である。今回は、TEEの始まりであるVT11.5やそれの製造が間に合わなかった代わりに走ったVT08.5のTEE仕様など、そして先ほどの記事とダブるがE10.12+TEE客車の「TEE Rheinpfeil」の画像など、80年代に終焉したTEEは、初めての統一された豪華国際特急列車であり、後にも先にもこのような列車(TEE)の登場はないとこの記事に締めくくられているのは確かであろう。

参考サイト:メルクリンマガジン
Maerklin Magazin http://www.maerklin.de/mm/
同誌最新刊案内 http://www.maerklin.de/mm/inhalt.php

[訂正]
この記事中、「VT10.5は毎日運行されていないに違いない...」と記したが、実は「Senator」は、Hamburg - Frankfurtを毎日往復していたとのこと。夜行の「Komet」は、Hamburg - Zuerlichを週3回の運用であったそうです。
お詫びして訂正いたします。


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コメント 4

ナベ

VT10.5はメルのパンフで初めてその存在を知りました。興味があったので調べてみたのですが、昼間の特急はハンブルク~フランクフルト間を毎日運行、夜行(こっちはまた違う区間)は週に3日間の運行だったみたいです。1軸の連接構造がダメだったらしく、5年程度使用された後廃車されたようです。夜行用は1軸ではなく2軸のボギー台車だったので、こっちは成績も良く少し長生きしたようです。ある意味でゲテモノ的なこの車輌、僕はかなり好きです。間違いなく注文してしまいそう(汗)
by ナベ (2007-12-16 01:15) 

Akira

ナベさん、ご指摘ありがとうございます。(実は他の方からもご指摘を受けました(^^; )

毎日、あの長距離を、しかも初めての1軸台車の試作的な1編成で運用するなんてかなり危ない橋を渡っていたのですねぇ。(夜行の毎日運行は現実的に不可能ですね。それもHamburgとスイスのZuerlichを結んでいたそうなので)
でも結局このVT10.5はVT11.5に受け継がれてゆく訳で、この毎日運行も貴重なデータを得られたと言う点では正解だったのかも?ですね。
by Akira (2007-12-16 09:20) 

KDB

皆様今日は、KDBです。
VT10.5は昼間用が「Senator」でリンケ・ホフマン製、夜行用が「Komet」でヴェークマン製、どちらもその後のTEEに繋がる試作列車だったようですね。ただ、詳しいことが判りませんが、驚くのはどちらもエンジンは160馬力2台を前後に装備、つまり編成全体でエンジン4台640馬力しかなかった事です。Senatorの場合、編成全長は96m(7両時代)、定員は135名ですね(重量不明)。その後のTEEはご存知のように1100馬力を2台、編成全長131mで221トン、定員122名ですから、VT10.5が短編成とは言えいかに軽量設計だったのかが伺えます(データは何れも交友社・世界の鉄道より)。それだけに色々無理があったのかもしれません。Akiraさんの言われるように、貴重なデータ取得に役立ったのだろうと思います。
by KDB (2007-12-16 13:15) 

Akira

このVT10.5の設計指揮は、あのSchienen ZeppelinのKruckenberg氏だったそうで、軽量化はその形状を見れば明らかですね。
仰る通りエンジンの出力が小さく、1軸台車も軽量化の一端を担っていたのかも知れません。
ある意味限界への挑戦だったのかも知れないですね。
by Akira (2007-12-16 15:01) 

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