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銀座千疋屋のアンティークマッチラベル [ラベル]

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以前浅草の雷門地下鉄道営食堂のマッチラベルを紹介しましたが、今回は同じマッチラベルでも銀座千疋屋のラベルです。このラベルも祖父から譲り受けたビールラベルと一緒にあったものなので、これらはほぼ同時期(つまり戦前)のものと推察出来ます。

上画像は、贈答用の果物籠が水色とシルバーの印刷の上に描かれており、果物籠の上には「詰籠に答贈御」、下には「屋疋千座銀」の屋号が今とは反対側に記されています。

今もそうでしょうが、銀座千疋屋は国内で最も有名で高級な果物店です。しかしなぜ果物店の千疋屋にマッチがあるのかと言えば....。

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上画像は、裏に貼られていたものと思われますが、千疋屋には当時から果物の小売のほか、フルーツパーラーがあったようです。そこでマッチが必要になるのでしょう。皿に一切れのスイカが載っている絵が描かれていますが、当時はカットスイカをこのようにしてサーブされていたのでしょうか。今ではちょっと考えづらいですが、戦前ならば輸入の果物は限られていて、国内産であれば夏場は立派な果物として上質なスイカが提供されていても不思議ではないでしょう。

スイカの絵の下には「FRUIT・PARLOUR」、「GINZA SEMBIKIYA」の飾り文字が並んでいます。極めてシンプルではありますが、手書きで描かれた文字の「S」は、同じ銀座の資生堂パーラーのロゴを意識しているのではないかと感じます。

残念ながら資生堂パーラーのマッチラベルは知らないので判断は難しいですが、どちらも銀座の顔の1つとして今もなお続く老舗ですからマッチのラベルで当時の様子を妄想するのも楽しいものです。

参考サイト:
千疋屋銀座本店 フルーツパーラー
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YEBISU BEERのアンティークラベル [ラベル]

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再び祖父から貰ったビール瓶ラベルです。今回のラベルはYEBISUビールです。

1890年に日本麦酒醸造会社からエビスビールは生まれたそうです。なので既に130年以上の歴史のあるビールブランドです。
私は恵比寿駅に隣接していることからこのブランド名が付けられたと思っていましたが、実はエビスビール工場の側に駅が出来たので駅名をビールブランドから取ったそうです。また、地域名についてもビールブランドから恵比寿の名前が付けられたとか。それほどの影響力のあったビールだったということです。

それも窺い知れるエピソードとして1900年にパリで行われた万博で、ビールを出展したエビスビールが金賞を取ったそうです。この万博は、アールヌーボー博と呼ばれた時で世界初の動く歩道が会場に設置されたり、日本の絵画や伝統工芸が欧州でブームとなりジャポニズムがもてはやされた時と重なります。

さて、今はサッポロビールの1ブランドとなったエビスビールですが、このラベルの時代は大日本醸造会社時代のものです。トレードマークのエビスさまは今も昔も変わらず、ラベルの印象は古臭く感じません。
このラベルは、1908年〜1936年に使われていたようです。やはり戦前のラベルでこのような良い状態で保管されていたと感心します。
ラベルにはLAGER-BEER(ラーガービア)とあります。ドイツビールを参考に醸造したようです。
またその下には「SPECIALLY BREWED FOR EXPORT」と記されているので、輸出向けに醸造されたのでしょうか。考えてみればビールのラベルはどれも英語表記です。日本酒との違いを前面に出したかったからでしょうか。それとも国内消費よりも輸出に力を入れていたためでしょうか。もっとも日本語表記ではビールの雰囲気は出にくいかもしれません。

先にも記しましたが、エビスビール工場は恵比寿駅のすぐ脇にあり、ビールの貨物輸送用に引込線もあったと記憶しています。バブルの頃は、EF58機関車と客車数量を連結して列車ビアホールもあったような記憶がありますが、私個人は訪れていないため正確かどうかはわかりません。

今、エビスビール工場はガーデンプレイスに再開発されてしまいましたが、ここにビール工場があったことは、恵比寿の地名と駅名がその痕跡を残しているわけですね。

参考サイト:ブランドヒストリー/サッポロビール
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UNION BEERのアンティークラベル [ラベル]

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祖父から譲られたビールのアンティークラベルはKIRINだけではなく、KIRINのライバルであったであろうユニオンビールもその1つです。
今では、このビール名も消えてしまったのですが、ルーツを辿ると現在のアサヒビールやサッポロビールと同じ大日本麦酒に行き着きます。

「シトロン」や「リボン」のブランドや三ツ矢サイダーのロゴマークもユニオンビール下で流通されていたようです。オークションサイトで検索すると、当時のユニオンビールの名前やラベルデザインの付いた販促アイテムなどが見つけられるので、1930年代当時には、知られたビールブランドではなかったかと想像できます。

戦後はこのブランドも消滅し、残ったサッポロビール、恵比寿ビール、アサヒビールなどが分社化してそれぞれの道を歩み、また合併をしたりと、日本のビール業界は黎明期から様々な歩みが見られたことをこのユニオンビールのラベルから窺い知れました。

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さて、そのラベルデザインですが、最初の画像はビール瓶上部に貼られていたであろう横長のエチケット(肩ラベル)で、カタカナ文字は右から左に書く戦前らしいもの。下の画像はビール瓶中央に貼られるもので、ちょっとドイツ・ブレーメンのBECK'sのラベルデザインに似た部分を感じます。ラベル中央に描かれたUNIONの文字の後ろに天使のように羽の生えた姿の女性は植物(月桂樹?)の冠を手にしています。後光も差しているので、ギリシャ神話に出てくる神様の1人ではないかと推察できますが、確認はしていません。
上部には「BEST LAGER BEER」(最高のラーガービール)下には「NIPPON BEER KOSEN Co.. LTD. TOKYO. JAPAN」(日本ビール鉱泉?東京・日本)と記されているところは大日本麦酒との違いが浮かび上がってきますが、その理由などはわかりません。

こうしてみると、日本でも戦前から麦酒産業はあり、そこそこ庶民に愛されてきたことは理解できますが、歴史としてみると当たり前ながらドイツのビール業界とは違い、まだまだ歴史は浅い感じもします。

だんだん日本ビール史のような趣になってきました。
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KIRINのアンティークラベル [ラベル]

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以前、当ブログで浅草の地下鉄ビルのマッチ箱ラベルを紹介した記事を書きましたが、今回は、キリンの瓶ラベルです。このラベルも亡き祖父からもらった瓶ラベルです。なので1920年代のものと想像できます。

上の画像は、今も一番飲まれているであろうラガービール(ドイツ語なのでラーガービアが正しいか?)のラベルです。ラベルのグラフィックは、今のデザインと近いですが、日本語文字「登録商標」は、右から左に書かれてます。また、工場所在地は横浜だったようです。

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次のラベルは、中々情緒的なデザインの黒ビールのラベルです。麒麟の絵は変わらないと思いますが、現在の絵には「キ」「リ」「ン」の文字が絵に中に隠れています。このラベルの絵にはそれがないので、まだ模倣対策する前のデザインなのでしょう。

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最後は、ビールではなく清涼飲料水のキリンレモンです。今も変わらず売られているこの甘いソーダ水は、1920年代には既にあったのですね。(キリンの公式サイトの沿革ページには、1928年より生産開始とあるので、その後なのでしょう。)
ラベルのサイズがビールと同じなので、当時のキリンレモンの瓶も茶色いビール瓶を使っていたのかも知れません。

私は流石にこれを見て懐かしいとは思えない世代なのですが、このラベルを大切に持っていた祖父は高崎にキリンビールの工場があったことがその一因だったのかも知れません。残念ながら今はキリンの工場は撤退していますが、その縁で高崎市は世界で最も美味しいと言われるビールの生産地であるチェコのピルゼンとは姉妹都市になっています。
タグ:KIRIN
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雷門地下鉄直営食堂のラベル [ラベル]

DBやFSのペーパータオルなど、写真アルバムに貼付したものが片付けで発掘され、当ブログでも紹介してきているのであるが、これらを整理した1985年頃、亡き祖父から貰った幾つかのラベル類を同様に写真用アルバムに貼付したものも出て来た。それらはビール瓶のエチケットであったり、マッチ箱のラベルと思われる小さな広告を丁寧に剥がしてあったものである。どうも私の妙な収集癖は、先祖からのDNAがそうさせたのかも知れないが、読込んでみると絵柄と共にそこに記されている情報が面白いのである。

その中から鉄道関係のものが2枚出て来たので紹介してみたい。

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これは、東京地下鉄道の社章と浅草雷門ビル、そして地下鉄の絵が描かれている。雷門ビルは、ここには「地下鉄タワー高サ(40メートル)」と記されている。タイトル文字でもある「雷門地下鉄直営食堂」やビルの絵の説明から、このビルは東京地下鉄道直営の食堂であったことが窺える。このビルはどうやら全て食堂であったらしく、階によって異なるサービスが受けられるほどの大きいレストランでもあったようである。興味を惹くのは、2、3階の「禁酒食堂」というフロアである。今なら禁煙フロアなのかも知れない。時代の要請によって変わるのであろう。
ここは東京の中心地の一つであった浅草の(当時としては)高層ビルであることや最先端の交通機関であった地下鉄と一体となったレストランであったことからも、当時を生きた人には有名であったであろうことは容易に推測できる。
ビルの画像は以下アドレス。

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3e/Tokyo_Underground_Railway_Building_circa_1930.JPG

この絵柄から、食堂の広告でありながらも地下鉄を意識したもので、ビルは地下鉄浅草駅と直結していることも窺える。

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このラベルは、最初の画像のラベルと同じマッチ箱?に貼られていたものと推測できる。おそらく表裏にこれら2枚のラベルが貼られていたのであろう。
こちらも地下鉄食堂の営業時間が記されている。同時に絵柄が地下鉄路線図というのが直営らしい。グラフィックとしては、2枚とも1920年代らしい当時の先端をゆくモダンを感じる。雷門ビルの絵柄はバックの黄色はもちろん当時の地下鉄のシンボルカラーである山吹色。ベルリン地下鉄を参考にしたというのは、その工事方法だけでなく、軌道システムや車体色もそうである。

路線図を眺めてみると営業路線は今の東京メトロ銀座線、浅草 - 末広町間のみである。三越(現三越前?)迄工事中で、計画路線である新橋から渋谷方面ではなく、品川、馬込方面への計画されているところを見ると、当時は都営浅草線をトレースしているようである。
また、Wikipediaでは、浅草-上野間は1927年で、万世橋(仮)迄は1930年の開業と記されていることから、末広町迄の開通は、その間ということになろう。

調べてみると、現在の渋谷へと結んだ背景に様々な経緯があったようであるが、もし品川迄銀座線が結ばれていたら、また違った東京の姿になっていたかも知れない。

この路線図は「省電」と記された、今のJR山手線に当る路線図も一部記されている。この山手線は、現在のような環状線として運転されたのは1925年からとのことなので、このラベルの当時、環状線化されて数年後と思われる。東京の交通が発展途上で都市機能のインフラが次々と拡充してゆく時代であったのであろう。また、東海道本線(横浜方面)については、今とは異なり汐留発着が窺われる。

このような小さな広告2枚でも、そこから読取れる情報は様々で興味深い。

参考サイト:
東京地下鉄道 / Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/東京地下鉄道
東京地下鉄銀座線 / Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/東京地下鉄銀座線
昭和初期の絵はがき 地下鉄銀座線2 / 昭和からの贈り物
http://ohoshisama.info/syowakarano/03syouwaA/syouwaA36ginzaline.htm

[EDIT] 2017-05-09
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