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東海道新幹線車内販売廃止とその対策 [日本の鉄道]

昨日から東海道新幹線の普通車から車内販売がなくなってしまいました。最後の車内販売となった一昨日の報道では、最後とばかり車内販売を買い求める人が相次ぎ、売り切れ続出ということもあったようです。
列車内の供食が当たり前でなくなった今回の出来事は非常に残念ですが、その理由は人手不足とのこと。東京 - 新大阪を2時間余りで走る「のぞみ」は、新横浜 - 名古屋が無停車であることもあって、特に車内で淹れたての香り高いコーヒーと「シンカンセンスゴクカタイアイス」が車内で調達できることができなくなってしまうことを惜しむ声が多いのは、あまり利用しない私も含めて納得できます。

かつての国鉄時代は、急行や特急には、普通列車と比べて時短効果ももちろんですが、車内の設備やサービスも充実していて、供食も含めてそのための種別料金でもあったと認識しています。当時は乗車時間も長かったこともあり、途中停車駅で購入できたホームの駅弁やお茶などもありましたが、窓が開かなくなった昨今の車両では、ホームでの駅弁売りもなくなり、充実した列車内の食堂車やビュフェ、そして車内販売も重宝した記憶があります。
しかし、いつからかそうしたサービスは急行列車の廃止、特急の大衆化に伴い、供食サービスも徐々に減ってしまったのは時代の流れ..なのかも知れません。

ただ、「車内サービス」を考えたとき、東海道新幹線のような長時間停車しない列車内で朝食から夕食までの時間帯に乗車して車内で食事を食べながら旅の時間を過ごすことは、多くの利用者にとって移動においての重要なプロセスの一部とも考えられます。当の事業者は、乗車前に購入してから食事を車内で楽しんでほしい..というスタンスを持っているようですが、それこそ慌てて自由席に乗車したり、指定した列車にギリギリで間に合わせる多忙なビジネスマンも少なからずいるでしょう。またこれほど密に運用されている長距離列車だからこそ、新幹線が身近な移動手段として支持されているとも思います。
こうした移動中に車内で購入できなくなる状況に、事業者は利用者に甘えているのではないか?とも思える今回の車内販売の廃止は、どうしても納得しづらい面が個人的にはあります。と言うのも、通常はあるサービスが廃止されるときは、利用者が離れてしまわないように代替サービスを知恵を出して考え、提供することで顧客離れを繋ぎ止めるものです。それが今回は、乗車前に買って欲しいという要求と、それに代わる自販機をのぞみ停車駅のホームに設置していることに留まっています。(つまり最も大切な要素である「移動中の車内での調達」については何ら解決されていません)

こうなってくると、「何が何でも車内で淹れたての熱々の香り高いコーヒーを飲んでやる!」と思い実行に移す利用者もいるように感じます。そこでアウトドアブームの流行もあって屋外で淹れたてのコーヒーを飲みたいという需要から様々なアイテムが用意されていると思い検索したところ、案の定数々のアイテムがありました。

その1つを紹介すると、USB電源で充電可能なモバイルタイプのエスプレッソマシンです。最近はカプセルタイプのコーヒーマシンも増えてきて様々なタイプがあるのですが、世界で最も流通量が多く一般的なネスプレッソのカプセルが使えるモバイルタイプのコーヒーメーカーを見つけました。
このマシンと好みのコーヒーカプセル、ミネラルウォーター、あとは砂糖とポーションミルクはお好みでカバンに忍ばせておけば、新幹線車内で淹れたてのエスプレッソをはじめとしたコーヒーを飲むことができそうです。電源はN700Sには各座席にAC100VコンセントもありますからUSBアダプタがあれば充電も可能です。

ネスプレッソカプセルなら、もしかしたら以前車内で調達できたコーヒーより自分好みの上質なコーヒーやエスプレッソが飲めるかも知れません。
そこまでするなら、事前にスタバなどで買って持ち込む方が手軽という向きもあるかと思いますが、先に述べたような超多忙なビジネスマンやコーヒーの質にこだわる人にはより良い選択肢の1つになるような感じもします。
ただ、誤解を招かないように...「のぞみ」のJR西日本エリア(新大阪 - 博多)では、従来通り車内販売が行われ、もちろん車内でコーヒーやアイスが提供されるとのことです。

いずれにしても昨日からの東海道新幹線普通車の車内の光景は、少し変わってくるかも知れませんね。

*ご注意:リンク先の商品は、実際に自身が使ったことがないため、この商品を推奨するものではありません。


ポータブル全自動エスプレッソコーヒーマシン ANYTIME CAFE(エニタイムカフェ)ポータブルコーヒーメーカー ・キャンプ用品、キャンプギア・お湯不要で簡単にコーヒーが飲めます

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鉄道趣味人の世界 [日本の鉄道]

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出版社から献本が届きました。この本のタイトルは「鉄道趣味人の世界」。筆者は私...ではなく、鉄道ライターで写真家であり、私と旧知の池口さんです。
彼から先日メッセージでアンケートのようなインタビューを受け、私もその問いに好き勝手な思い出話を書き連ねて返信したところ、本になるので私が答えた部分の文章の校正をしてほしい..との申し出に、初めて大学生にもなっていない「撮り鉄」だった頃の私の思い出話が活字になってしまうことに、恥ずかしい気持ちになってしまうのでした。

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届いたばかりなので、これからゆっくり読んでゆこうと思いますが、「鉄道」というのは、実務でも趣味にしてもとても裾野の広い分野なので、趣味として楽しむのは「好き」であることだけで様々な切り口からアプローチが出来るのが最大の特徴であり利点だと思います。そうした様々な切り口をこの本が解説してくれています。これから鉄道を趣味にしたいと思う方はもちろん、既になんらかの「テツ」な人にも興味深い様々な「テツ」についての解説のあるこの本はオススメです。

かくいう私も幼少時はメルクリンH0と時刻表が好きでした。もちろん乗るのも好きですが、一人で列車に乗って出かけるには若すぎでしたし、小遣いも足りませんでした。メルクリンは高いので少しづつお金を貯めるしか買えません。時刻表は私にとって妄想旅行の窓でした。東海道本線の駅名を東京から名古屋の先まで諳んじることにも挑戦し、今でもそこそこ覚えています。(当時停車しなかった保土ヶ谷と戸塚とかは端折っちゃますw)

私の体験談が掲載されているのは見開き1ページでテーマは、初めて乗車した夜行寝台列車「山陰」のナハネ10のお話しです。恥ずかしながらそれが日本の寝台客車乗車の最初で最期。ブルトレにも縁がなく乗車経験はありません。その後は、ドイツに渡ってから1988年にDBのBcm 234の簡易寝台車に始まって、WLABmh173/174/175のUIC-U形寝台車ばかり何度も乗車してドイツからデンマークやイタリア、フランスなどなど、欧州寝台車の思い出は沢山あります。でも、やはり忘れられないのは、(興奮して)車内で一睡もできなかった、あの狭苦しくて朝頭を上段の天井にぶつけたB寝台なのですよね。


タグ:山陰
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懐かしの?甲種車両輸送(17) [日本の鉄道]

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アップし忘れていた甲種輸送の画像が見つかったので上げてみます。相変わらず撮影記録がなく正確な日付や場所が未確認ではありますが、当時の運転予定の情報をかき集めてカレンダーを作っていたので、それには1982年7月4日に「甲種車両(新京成8000形)輸送」と記されているので、この日付で運転されたのを撮影したのだと思います。

牽引機はEF58 166で浜松機関区のカマでした。浜松機関区のゴハチは当時定期運転されていた荷物専用列車の担当機関区でもあり、東京では良く見ることが出来た機関区のゴハチですが、窓周りがHゴム改造されていたり、見た目はあまり好みの機関車はなくお召予備機の60号機が葡萄色で異彩を放っていた程度でしょうか。

それでもゴハチが全て見れなくなった今から思えば、貴重な写真となりました。撮影場所はおそらく大船だと思います。当時甲種輸送には必ず該当車両の両端に控車が連結されますが、この時は「ヨ」ではなく、「ワフ」でした。この緩急車も今は見ることが出来ず、黒い車体が懐かしく思えます。

甲種の新京成8000形は久々の新車で画像からはわかりにくいですが、1段凹んだ大型2枚窓とライトケースが特徴的でタヌキ顔と揶揄?された車両です。この車両も既に現役引退したのかどうかは確認していませんが、個性のある車両だっと思います。
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185系200番台 [日本の鉄道]

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前回185系の定期運用終了に合わせて、1981年のデビュー当時から特急「踊り子」の運用開始までについて記してみましたが、翌年高崎線、東北本線向け165系車両の置き換えと、上越・東北新幹線大宮暫定開業に合わせて運用が予定されていた上野駅と大宮駅を結ぶ「新幹線リレー」号の新設に合わせて新製増備された185系200番台にも興味津々でした。

そして、その登場が待ちきれず東急車輛(現JTREC)で新製された時に行う試運転を当時の私ができる限りの情報を入手して撮影に赴きました。実はそれ以前にも201系の新製試運転を撮影していたので、どこを走るのかということと試運転スジ程度は理解していました。

画像は、大船から鎌倉方面に向かって試運転を行う出来上がったばかりの185系200番台です。185系といえば、緑色の斜めストライプが印象的で、この200番台が違う出で立ちで登場することを知っていたかどうか..については記憶に残っていませんが、兄弟車両の117系の茶色帯に対して緑帯のこの電車を初めて見た時のインパクトは大きかったです。
当時ふだん使いのTRI-Xではなく、高額だったコダクローム(KR)を使って撮影したのですが、折角の新車の鮮やかな色を残したかった気持ちからでした。

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その後。この電車が運用開始にあたって所属車両区に入区する際にも新前橋駅まで出かけて入区を確認したのが上画像です。塗装色の違いのほか、サイドのJNRマークが窓上にレイアウトされ、この位置は0番台より好みでした。
この時は何故かあまり使わないネガカラーフィルムでした。(上下の画像の色調の違いがハッキリ出てますね)

運用が開始され、初日に上野駅にも行きましたが、残念ながらその時のフィルムは未発見です。乗客としてホームに並んでいた人たちは初めて見るグリーン帯の車両に驚いたようですが、当時グリーン車の薄緑色帯が廃止されていたにも関わらず、普通車のドア前でグリーン車ではないか?と乗車を躊躇っていた乗客がいたのを覚えています。

グリーン帯の185系200番台は暫く高崎線や東北本線の急行や普通列車の運用につき、新幹線リレー号としても活躍、その後の急行運用は東海道本線の「東海」同様消滅。新特急という急行より停車駅の多い謎の格下特急が新設され運用開始。また私が渡独後、塗装色も変更となり、その後はリバイバル塗装やレトロ塗装などに変わった塗装色も、このオリジナルの塗装色には戻ることがなく現在に至っています。

1編成程度はこの塗装色もあって良かったと思いますが、そのお陰でこの記録写真も撮影した甲斐があったというものでしょう。
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185系特急「踊り子」の終焉にあたって [日本の鉄道]

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久しぶりに日本の鉄道の話題を記したいと思います。今日、3月12日を持って185系による特急「踊り子」の運用が終焉するとのことで、1981年10月1日のダイヤ改正で登場した185系による新しい名称「踊り子」が誕生してから40年弱、走り続けたこの車両もいよいよ終焉を迎えるということで、おそらく今日の沿線や駅はにわかファンも含めて大賑わいでしょう。願わくばこれに関連した事故など起こらないことを願うばかりです。

さて、私は今でこそ鉄道写真を撮影にゆくようなモチベーションもないのですが、この特急「踊り子」が登場した当時、浪人生で予備校に通う傍、良く鉄道写真を撮影に出かけていました。
185系電車は、153系電車の置き換えを主目的にちょうどその少し前にデビューしました。デビュー当時は、オランダ国鉄(NS)の塗り分けに影響を受けたと考えられる白にグリーンの斜めストライプの斬新なカラーリング、急行「伊豆」などとその間合い運用の普通列車に使われるなど、153系電車から大幅にグレードアップしたアコモデーションで、その登場にワクワクしたものです。私が撮影にゆく目的はほぼEF58でしたが、出会うと撮影したものです。

写真は、ダイヤ改正初日の特急「踊り子」です。生憎のお天気でしたが、しっかり撮影に出かけていました。

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この185系電車は、それまでの153系/165系、高運転台の183系とも違う非貫通車体で、どちらかといえば、登場前に終焉した157系のような出で立ちに興味を持ちました。157系電車も153系電車と同じ車体断面、当初は準急で登場し、151系の特急「こだま」とは違う立ち位置で、供食設備もなく日光や伊豆方面、夏季には軽井沢などへの比較的短い距離を担う車両でした。しかし、食堂車こそついていないものの、当時の151系電車と同じクロスシート車両で準急や急行運用では贅沢感のある車両と感じていましたし、カラーリングも特急色で特急「あまぎ」としての運用は、ちょうどぴったりな感じでした。

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上の画像は、153系低運転台と高運転台のクハ同士の連結部分です。特急「踊り子」運用が始まる前までは、153系電車との併結運転が行われていましたが、流石に153系は特急運用には入れないので、この光景も特急「踊り子」運用開始以来見られなくなったと思います。
さて、185系は、153系電車と同じ車体断面のため、連結してもさほど違和感がないですが、185系の前面窓は特急エンブレムのある緑色に塗装した部分が1段低くなっていて、この部分の下のラインがちょうどクハ153低運転台の下部分のラインに合っています。一方でクハ153 500番台(高運転台)は、クハ185の窓の下のラインに合っています。この辺りの寸法は153系との併結を前提として設計されたことと読み取ることができます。(偶然かもしれませんが)
少し前に185系の湘南色が1編成登場しましたが、この塗装色と153系を併結させてみたいと思いました。

その後ダイヤ改正で急行「伊豆」の特急格上げが発表され、185系電車は特急「踊り子」として運用され、急行運用はこれに伴い廃止となりました。停車駅などは急行時代と変わりなかったように思いますし、変わるのは名称変更に伴ったヘッドマークの絵柄ぐらいだったでしょうか。要は種別変更で収入アップを狙った国鉄営業の方針によるものと聞いています。登場時から特急のヘッドエンブレム、幕式ヘッドマーク、JNRの切り抜きマーク、185系という特急形式を与えられたので、特急運用を視野に入れて製造された車両ということは薄々感じていましたが、特急種別の車両としては、リクライニング無しの転換クロスシートやよりアコモデーションの良い183系「あまぎ」が185系「踊り子」に統合され、同じ特急種別にすることに自身は大いに違和感があったことを覚えています。

また関西では一足早く、兄弟車とも言える117系電車が登場し、デッキこそないものの特別運賃なしで俊足で走るサービスもあって特急種別の185系電車には複雑な思いは拭えきれなかった記憶があります。

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写真は、後に条件の良い日に撮影した特急「踊り子」です。

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最後に185系とは関係ないですが、特急「踊り子」繋がりでEF58+14系客車の臨時特急「踊り子」が運転された時の写真です。特急の名に恥じないヘッドマークを掲げて走るこの列車はゴハチを追いかけてた私には絶好の被写体でした。当時185系よりもアコモデーションが良いとされていた14系客車ですし、何故かロイヤルエンジンの61号機の牽引が多かったのも嬉しかった思い出です。

185系電車は定期運用から外されるとのことですが、まだ暫くは臨時列車などで運転される機会もあるので終焉ではありませんが、今日は終焉に向けた区切りの日であることには間違い無いのでしょう。

今日の昼のテレビニュースでも185系「踊り子」の最終運用についての報道があってたくさんのファンが詰めかけていたようですが、撮り鉄をやめている私は、運用開始当時の思い出と一緒に185系電車と特急「踊り子」のブログを記しながら思いを馳せることにしました。
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懐かしの?甲種車両輸送(16) [日本の鉄道]

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久しぶりに1980年代初頭の甲種車両輸送の写真をアップします。
通常甲種車両輸送は、私鉄車両などが新製時や譲渡など車両工場から自社線までの輸送を国鉄(JR)線を経由するときに機関車牽引で輸送するときの形態のことを言いますが、上の写真は、当時の国鉄線上であることに変わりないのですが、新製や譲渡時ではなく検査のための輸送のようです。
撮影は、根府川駅近くの白糸川橋梁です。列車番号は1793レ

EF15に牽引されているのは2軸貨車の後ろに緩急車を挟んで小田原から三島に向かっているところです。編成は以下の通りです。

EF15 157 + FC + ヨ + 甲種x3 + ヨ

この甲種車両は、伊豆箱根鉄道大雄山線を走っていた木造電車です。伊豆箱根鉄道の車両工場が同社の大雄山線にはなく、検査や修理ごとに車両工場のある駿豆線と結節している三島まで甲種車両輸送で移送しなければなりません。そのため、ある意味的定期的に運行されている甲種車両輸送と言えるのかも知れません。

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上の画像は、小田原駅で同社の凸型電気機関車ED31形に牽引されているモハ151形電車です。伊豆箱根鉄道は西武鉄道系企業ということもあり、モハ151形はエンジ色と濃いベージュ色の西武電車塗装の姿でした。

当時は、地方私鉄を訪れるとこうした旧国鉄より譲渡された木造車両も少なからずあり、様々な古い車両達が私たちの目を楽しませてくれました・

[撮影日] 1981.12.4
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第6回 鉄道技術展 [日本の鉄道]

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今年も先週11/27から3日間、千葉の幕張メッセで「鉄道技術展」が行われました。この催しは、2年に一度、ちょうどドイツ・ベルリンで行われるイノトランスと毎年交互に行われる形で、今年は第6回目でした。

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「移動」の概念がMaaSに代表されるように大きな変革のうねりの中での開催となった今回ですが、出展者数は過去最大数となり、ホールもHALL 5からHALL 8までの4つの会場が使われています。(第1回がHALL 7のみの会場規模でしたから大きな成長です)また、海外企業も数多く出展されたのが今回の特徴でしょうか。その海外企業はEUから集合パビリオンが前回に続き出展。限られたコマに欧州企業がひしめき合っている印象すらあります。これもEUと日本にEPAが締結されたことで、日本への輸出ハードルが低くなったことも一因かも知れません。

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▲ EU集合パビリオン

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タグ:RDE MITJ
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流線形の鉄道展 [日本の鉄道]

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昨日、旧新橋停車場で開催中の企画展「流線形の鉄道」を観てきました。ここでは、前回黒岩保美の展示会を観て以来です。
残念ながら、内部の撮影は禁止でしたので、展示内容の画像はありませんが、テーマは興味深く文章だけでお伝えできる自信もありませんが、少しばかり紹介したいと思います。

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上画像はこの企画展のフライヤーです。

1920年代から30年代に掛けて、鉄道は長距離輸送の大部分を担う中、技術の向上も目覚ましく、次々に速度記録や到達時間の短縮を目指して世界で凌ぎを削っていました。例えばドイツではハンブルクとベルリンを結ぶ気動車SVT877 "Fliegender Hamburger"やBR 05が世界最速の記録を打ち出し、これに対抗する形でイギリスがマラード号がその記録を追い抜くなど、技術革新による競争の激化を生んでいます。一方米国では、大陸間の輸送がまだまだ航空機輸送が普及していなかったため、蒸気機関車牽引による輸送が主で、複数の民間鉄道会社による競争が激化していた時代です。利用者には速く、そして満足のゆくサービスが求められていました。

日本でも有名なデザイナーであるレーモンド・ローウイなどが手がける流線形のデザインは、その速さを視覚的にも顧客に対して魅了させる力があることに気づき、瞬く間に流線形はブームになります。
また、そうした世界の動きに合わせて戦前の日本も流線形機関車の造形を試みます。それがC53やC55であり、またEF55でもありました。満鉄のパシナ、関西では流電と言われるモハ52形からもその影響が見て取れます。

こうして生まれた数々の流線形機関車や電車、気動車にスポットを当てた展示が今回の企画展です。

展示は、その流線形が登場した背景や経緯の解説を時系列で文章によってパネル展示しています。また、そこで登場した車両のモデルを多数展示し、当時の世界の鉄道事情にリアリティを持たせる努力は伺えます。
また、レンダリング(スケッチ)によって当時の機関車をパネルに合わせて表現されて華を添えています。

私個人は大学授業でインダストリアルデザイン史を行う中で、米国のミドセンチュリーと言われる流線形華やかりし頃の紹介は外すわけにはゆきません。この時代についての授業は既に前期で終了しているので残念ながら学生を連れて観にくることは出来ませんが、私がスライドショーを駆使して解説するよりもこの展示を体感する方が胸に刻まれるはずです。
鉄道だけではなく、Norman Bel Geddes デザインの航空機や船舶、自動車のモデルの展示には、ちょっと驚きました。

展示室スペースに限りがあるので、多くの展示が出来ないのは理解できますが、欲をいえばもう少し深掘りが欲しかった..ということも感じたことの1つです。米国の流線形については、十分とは言えないまでもツボは押さていたことは確かだと思いますが、欧州に関していえば、ドイツと英国が少し、それ以外は無視されている状況でした。特にラテン諸国のベルギー、スペインなど流線形に意欲的な車両には何も触れられておりませんでした。

今回の展示で特に気になったことは、模型の展示です。H0はもちろん、0ゲージ、1番ゲージのモデルも少なからず展示されていて写真以上にリアリティを感じられたことです。(ニュルンベルグのDB Museumのような1/10モデル展示があればなお良いですが..)

モデルの大部分の所有者のクレジットに「小野直宣氏所蔵」とあることに気づきました。試しに彼の名前で検索してみると、なんとデザイナーでメルクリンコレクターでもあるようです。
これらのモデルを見るだけでも、観にゆく価値は十分..と感じました。

以下に彼の自宅(仕事場?)の写真の出ているウエブページを見つけましたのでリンクしておきます。
小野直宣 / オトナが語る大人未来のメディアサイト

会期は10/14までです。入場は無料。

参考サイト:
第51回企画展 流線形の鉄道 1930年代を牽引した機関車たち / 鉄道史料展示室
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小田急7000形(LSE)国鉄線試運転 [日本の鉄道]

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高校生から大学生時代に撮りためていた写真のネガを少しづつ見直していたのですが、現像だけでしてプリントしていないコマも数多くあり、整理しつつ必要なコマはスキャンも同時に行なっています。
少し前のことですが、ネガの整理中に思いもよらぬ画像が見つかりました。それが上画像にある小田急7000形電車です。昨年惜しまれつつ営業運転の終了したロマンスカーです。
この画像は、今まですっかり忘れていましたが、小田急でLSEの営業運転開始後の1982年12月10日から15日までの6日間に渡り、性能比較試験を目的に国鉄東海道本線上で試運転が行われ、その時私も東海道本線へ出向いて1日LSE試運転の撮影に出かけたのでした。画像は大船駅に入線するLSEです。

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タグ:JNR LSE 小田急
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懐かしの?甲種車両輸送(15) [日本の鉄道]

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久しぶりに甲種車両輸送について記します。撮影は1981年5月でした。輸送車両は、今は熊本電鉄からも姿を消した元東急5000系(アオガエル)を岳南鉄道向けに仕様変更して送り届けるところだと思います。

牽引機関車は、一つ目のEF60 500番台です。塗装は貨物用ですが、かつては特急を牽引した特急色だったのでしょうか。撮影場所もメモをなくしてわかりません。

東急電鉄時代とは打って変わって鮮やかなオレンジ色に白帯の岳南鉄道カラーを纏った5000系電車は岳南鉄道に移籍しても5000系電車として活躍したそうです。東急時代の5000系電車は私も乗車したことが何度かあります。東急といえばこの電車の印象が強いのは、その独特なスタイルゆえのことでしょう。
今思えば、当時はまだ地方鉄道では少なからずの戦前製車両も走っていた時代でした。

[参考サイト]
岳南鉄道5000系電車 / Wikipedia
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