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EDELWEISS-PULLMAN-EXPRESSとRHEINGOLD EXPRESS [欧州鉄道]

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▲ Quelle: DER RHEINGOLD EXPRESS / Motorbuch Verlag

メルクリンH0の昨年の新製品CIWL "EDELWEISS-PULLMAN-EXPRESS"セット(42470)が日本でも市場に出回り、オランダとスイスを結ぶ2つの列車について以前当ブログでも記しました。
そこで今回は、この2つの列車の具体的な競争と協調関係について記してみたいと思います。

上画像(上)は1929年のBasel SBB駅で並ぶRHEINGOLD-EXPRESS(左)とEDELWEISS-PULLMAN-EXPRESSです。
一方上画像(下)は、1930年から1938年までBasel SBBからZürich HBまで、更に夏ダイヤでは、一部Kurswagenとして保養地Luzernまで、この2つのライバル列車が混結する形でSBBの電気機関車に牽引されて一路Zürichに向かう様子のショットです。

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▲ "EDELWEISS" 1935年夏ダイヤ 何故かこの時刻表にはRheingoldと異なり、食堂サロン付きとは記されていません。Baselまでは一般座席車両も連結されていたのかも?|Quelle: DER RHEINGOLD EXPRESS / Motorbuch Verlag

この時刻表は、EDELWEISS-PULLMAN-EXPRESSのものです。早朝8:00すぎにAmsterdam CSを出発した列車は、ベルギーのBrüssel、ルクセンブルク、Strassbourgを経由し、Basel SBBに18:00丁度に到着するダイヤです。その後、Zürich HBには20:03、Luzern HBには20:24と、アムステルダムからバーゼルまで所要時間は10時間、チューリヒやルツェルンまで12時間以上と今では気の遠くなるような長時間旅行ですが、その長い時間車内では退屈させないサロンカーとして寛ぎと供食の体制が整っていたはずです。おそらく朝食、ランチ、午後のティータイム、Baselから先は夕食まで提供されていたと想像できます。

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▲ "RHEINGOLD" 1935年夏ダイヤ |Quelle: DER RHEINGOLD EXPRESS / Motorbuch Verlag

一方のドイツの看板列車RHEINGOLD-EXPRESSは、同じオランダでも出発駅がアムステルダムではなく前日夜出発のロンドンからの列車(Continental Express)でHarwich港まで、そこでフェリー(L.N.E.RのSS Amsterdamなど)に乗換え船内で1泊、翌朝接続する港町のHoek von Hollandが発着駅で6:58に出発。(UtrechtでHoek von Holland発着と連結するAmsterdam CS発着もあり)ロッテルダムでEDELWEISSのルートと離れ、ユトレヒト、Düsseldorf、Köln、Mainz、Karlsruheを経由しながらライン川に沿って南下、EDELWEISS-PULLMAN-EXPRESSがBasel SBBに到着する同時刻にBasel Reichesbahn(現在のBasel Bad)到着。そしてBasel SBBには18:19に到着するダイヤになっています。始発駅からBasel SBBまでの所要時間はEDELWEISSよりもさらに1時間ほど長く掛かったようですが、両列車が停車するロッテルダムからバーセルまでの距離を比較すると、29KmほどEDELWEISSの方が短いです。
Basel SBBではこの2つの列車を連結し、2列車を1両の当時最新型のAe4/7形電気機関車で牽引しRHEINGOLD-EXPRESSとしてLuzern HB、また夏ダイヤではLuzern HBへも結んでいました。

この時刻表は1935年夏ダイヤで、ドイツではナチが政権を掌握した2年後で、少々キナ臭い社会の雰囲気が感じられる中、ブルジョア階級御用達のこの2つの列車は、ビジネスやバカンスの足として毎日走り続けたのでしょう。

CIWLは、オリエント急行で有名ですが、ベルギーに本拠地を置き、西欧から中・東欧、北アフリカ、中東、ソビエト、中国、満洲国にまで自社車両で運行するサービスネットワークを持つ国際寝台会社でした。一方MITROPAは、ベルリンに本社があり別会社ながらDRGの子会社として寝台や食堂車のサービスを行っていた会社でした。看板列車のRHEINGOLD-EXPRESSはMITROPA唯一のプルマン車両で運用されていて、CIWLがPULLMAN-EXPRESSを多方面に運用していたのとは対照的です。ただ、CIWLのプルマンも総車両数はそれほど多いわけではなく、限られた特別な列車であったことは間違いないようです。

メルクリンH0では、この2つの列車で使われた客車は模型化されているので、スイス国内での編成も可能と思います。Ae4/7形機関車モデルはメルクリンH0では製品化されていないですが、折角2列車とも客車が揃っているので、美しい山岳レイアウトの上を走る模型の世界でも楽しめるスイス形ファンのためにも製品化の検討をして欲しい機関車です。

[EDIT] 2024-04-08
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コメント 6

seidoh

Akiraさん、おはようございます。

写真を見ると機関車はAe4/7でしょうか。そうであれば、メルクリンでは製品化されていませんが、HAG、PIKO、LILIPUTからは発売されていたと思います(現在入手可能かどうかは分かりませんが)。
興味が湧くのはBasel SBBからZuerich Hbfへの経路です。Olten経由だとZuerich方向への短絡線が無かった当時は機関車の付替えが必要になることから、Rheinfelden、Frickを経由しBrugg AGに出るルートだったのではないでしょうか。現在このルートは途中数駅停車のIRで70分余り、一方LuzernへはOltenのみ停車のICやIRで60分余り。90年という歳月を感じた次第です。
一点気が付いたのですが、RheingoldのBasel SBB到着は18:19ですね。ご確認ください。
by seidoh (2024-04-08 11:03) 

Akira

Seidohさん、コメントありがとうございます。ごぶさたしていました。お元気そうでなによりです。

スイスの古典電機には疎いため、敢えて形式を記さずにおきましたが、メルクリンでは製品化されていないモデルだったのですね。いかにもスイス電機らしいSLM社ブッフリ式と理解できる動輪を持ち、この画像で2列車とも同形で最新形(1927 - 1934 )として127機も製造された機関車なので、スイスファンのためにもぜひ製品化して欲しいですね。(参照:https://de.wikipedia.org/wiki/SBB_Ae_4/7

ルートについては、画像でも判るようにBasel SBBでZürichとLuzernの両方向に組成されていますが、Zürichへのルートは2つあるのですね。それも知らずにおりました。

ご指摘のBasel SBB到着時刻、誤記載でした。大変失礼しました。修正しましたのでご確認ください。
by Akira (2024-04-08 16:30) 

東西急行

Akira様、東西急行です。
既に発注済の2列車中エーダァヴァイスの牽引機を決める上で決定的な画像を拝見しました。十数年前競売で落手したHAG社のAe4/7が漸く活躍の場を得られると分かり驚喜しています。併せてMinitrixのEpⅠ木製荷物車(手許の大判仏語ワゴンリ百科?によると二輛のみ作られた最末期の木製車でNord-Expressの8扉鋼製大型荷物車の祖先的外観)も機関車の次位で編成に彩りを添える存在となります。
by 東西急行 (2024-04-08 23:05) 

Akira

東西急行さま、おはようございます。
HAGのAe4/7をお持ちでしたか?それならばスイス内のEDELWEISSとRHEINGOLDの混結編成を再現しない手はありませんね。
ただ、ちょっと気になっているのは、EDELWEISSとRHEINGOLD双方が1930年夏ダイヤから延長運転された2方向の組成です。資料がないため、どのような編成になっているのか興味津々ですが、妄想をたくましくすれば、以下のようになるのではと思います。

F(EW)-WPC(EW1/2Kl.)-WPSC(EW1/2Kl.)-SA-/SB4ük(RG1/2Kl.)-SA-/SB4ü(RG1/2Kl.)-D(RG)

*EW:Edelweiss(CIWL)
*RG:Rheingold(Mitropa)
by Akira (2024-04-09 09:05) 

東西急行

Akira様、東西急行です。
Pullmannzug-RheingoldはArnold、Minitrix共保有の機会を逃しており些か残念に思っています。
故に現状は
「此処は中立国なんだから仲良くしなさい、ねっ!」
(ガッチャリィ~ン☆)汗ジトお手手合わせつつ
「こん中でさえ無けりゃ、アンタなんかと(ぶっすぅ~怒々)」
を再現するにはArnoldの改修?再販を待つ他有りません。
エトワァル=デュ=ノォルの牽引機を何にするかは依然頭の痛い問題として残りますが、Nordの231Eが出ることを祈念しつつLSMの車輛と南仏に行って貰います。

by 東西急行 (2024-04-09 23:18) 

Akira

東西急行さま、こんにちは。

Rheingoldの編成がないと、流石に混結編成の再現は無理ですね。失礼しました。
ただ、戦前のキナ臭い雰囲気が社会を覆う中、ドイツとラテンの2つの看板列車がスイスまでの国際列車を競争して走らせるなど、ちょっとワクワクしてしまいます。
競争とはいえ、SBBで連結されれば、2列車の専務車掌(スチュワード)さんがたも仲良く握手しているのだと思いますし、終点到着後は、クナイぺ(居酒屋)でお互い仕事を労いながら一緒に乾杯しているのではないか?と想像できますね。
by Akira (2024-04-10 10:22) 

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