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「修行奮闘記 第3回」の番外編 [Reise]

先日から書店に並んでいる「鉄道デザインEx Vol.03」の拙著「デザイナー修行奮闘記」も3回目を数えた。ドイツにやって来た目的である大学入学まではまだまだ道半ばであるが、そこに辿り着く迄の約1年間は、初めて体験する事ばかりだったので、とても長く感じられたのも確か。何もかもが上手くゆく訳ではないが、周りの多くの知人に助けられたことは確かである。ドイツでは「Danke !」という言葉が日常どれほど使うであろうか?それに対して今自分自身が「ありがとう」という言葉を発する事はあまりない。メンタルの差があるのは確かだが、もっと沢山の感謝の言葉を日常発するように自戒を込めて努力したい。

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今回もこの記事に連動して当時の写真を何枚かお見せ出来ればと思う。まずベルリンには語学学校時代に何度か泊まりがけ旅行で出掛けたが、当時はまだ東西ベルリンの壁はしっかりあり、簡単に行き来が出来なかった。その象徴が画像の壁である。壁は東ドイツが一方的に作ったため、西側との境は国境(というより統治国境?)である。この壁から東側は緩衝地帯で、地雷が埋められていたり、ここに人が勝手に入り込むと自動小銃で撃たれたりしたようである。実際は、静かに壁がそびえ立っているだけだが、そういうことを知っているとやはり怖いのである。西ベルリンにいてすら、何かいつも心の中に恐怖があったのを憶えている。

撮影時は12月ということもあって、毎日このような分厚い雲に覆われていて、寒いし、日中でも暗い。心もどことなく寂しい気分になる。壁のかなたにはぼんやりとアレキサンダープラッツのテレビ塔が見える。それにしても当時のS-BahnやU-Bahn車両を撮影しなかったのは悔やまれる。

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上の2枚は、西ベルリンのメインストリートであるクーダムからほど近いU-Bahn(地下鉄)Wittenbergplatz駅のコンコースである。この駅舎自体が素晴らしいもので、広告も昔のまま保存されている。以下は、Wittenbergplatz駅の外観である。

http://www.b030-das-berlin-verzeichnis.de/schoeneberg/foto/u-bahnhof_wittenbergplatz.jpg

東西ドイツが統一されて壁もなくなった現在、巨大な工事現場も落ち着いてきているとは思うが、ドイツらしからぬドイツの都会であるベルリンは、様々な意味で人を惹き付ける魅力溢れる場所である。(但し冬はめっぽう寒いので、訪れるなら春から秋に掛けてをお薦めしたい)

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次は、Bremenからほど近い保存鉄道である。ドイツはご存知のように蒸気機関車による保存鉄道が少なくない。それらはちゃんと時刻表にも出ているし立派に運営されている。...が、残念ながらこの保存鉄道、Bremen近郊ではあると思うが、どこを走っているのか、何と言う名前なのかわからない。ここまでの行き帰りはホストファミリーのご夫妻が自家用車で連れて行ってくれたので、当時の私には全く見当もつかなかったのである。もしこの画像から、この保存鉄道についておわかりになる方がいらっしゃったら教えて頂ければ嬉しい。
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Gut

おはようございます。
Akiraさんがドイツに留学していらしたときの記事を拝見するたびに、何の目標もなくただただ遊び呆けていた自分の学生時代を振り返ってしまいます。
妻子もあるので今更留学するわけにもいかず…(笑)
by Gut (2011-09-03 10:29) 

Akira

Gutさん、おはようございます。

私も日本で学生していたころは、バイトと遊び呆けておりました。ドイツで大学生していた時は既に妻がおりましたが、子供が居なかったので勉学に集中できました。やはり結婚より子供を授かると人生が変わりますね。
by Akira (2011-09-03 10:34) 

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