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4177 DB Bcmk255 / Ep.IV [Maerklin-Reisezugwagen]

今回は、Nachtzugモデルの1輛を紹介したい。これは表題の通り、Bcmk255という形式が印刷してある簡易寝台車のモデル(4177)である。車体側面に大きな広告?というより車輛の案内であろうが、Hapag-Lloyd ToursとDB Reiseleitung、また一方の下側にはDSG-Imbiss-Service。また、サボには、同様の名称と臨時列車であること。そして列車番号、イタリアのGenova SLからFrankfurt(M)の行き先表示がしてある。

この列車の詳しいことは未確認であるが、サボに書かれてあるようにドイツの旅行会社Hapag-LloydがDBの車輛とDSGのサービスを使って一般に募集した(団体)臨時列車ではないかと想像できる。イタリアからの列車なので冬場のスキーツアーではなく、夏のバカンスに合わせた列車ではないのだろうか?

いずれにしても、このような特異な列車を対象に模型化した背景は定かではないが、カタログモデルになっていることからも、ちょっと興味深く、Hapag-Lloyd社のCIに基づいたサボや車体シール?も印象的で、随分前に購入した。面白いのは、リリース時期が1985年と87年という飛び石で2回生産されたことである。おそらく、実際の列車も人気があり、数年に渡って運転されたのかも知れない。

実は、このモデルはこのような背景で他に簡易寝台モデルがカタログモデルとしてリリースされた訳でなく、寝台車も24cmモデルしかなかったため、私はほとんどこのモデルを走らせた記憶がない。せめて3輛か4輛のセットならば良かったと思うのである。

さて、モデルのほうであるが、残念なことにこれはUIC-XのBm234(4092)の2等区分室車のボディをそのまま利用したものである。実際のBcmk255は、Gruppe54系列のもので出入口扉はモデルの様な折戸ではなく、開き戸である。UIC-Xの簡易寝台車Bcm243は、区分室がBm234より大きく取っているため、片側の窓数が洗面所の窓を除くと11枚(そのため、DBマークは窓下)なので、メルクリンは敢えてDBマークが窓下ではない12枚窓のBcmk255を選んだのかも知れない。(もっとも、Bcmk255は洗面所窓が客室窓と同じ寸法なので、どちらが近い形状かといえば、どっちもどっちと思うのであるが...)

昨年からリリースが開始された282mmのUIC-X客車モデルは、今年はTEE客車がそのラインナップに加わる。ここでヨーロッパの鉄道でもちょっと地味と言えるかもしれない存在のNachtzugの車輛達、特に車両数の多かったUIC-Xの簡易寝台車Bcm243などは、是非製品ラインナップに加えて欲しい。欧州の夜行列車は、多くの列車が途中で連結や開放を繰り返しながら、長編成になったり、短編成での運行になったりと、そのバリエーションも多く、またそのほとんどが国際列車として隣国のみならず、遥か遠方へも運行される。
最近の傾向では、ユーザーもよりリアリティを望むので、このモデルの様に代用ではなく、正しい窓数と仕様で、この夜行列車の編成を楽しんでみたいと思うのは私だけではあるまい。


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コメント 8

hioka

 おぉタルキスカラーですね。私も実は好きな色で我が家にも現在6両ほど在籍しています。

 ただ、中古で手に入れた車両で、以前からかなり走りこまれた車両なので私としては車輪の交換、室内灯の交換と導電カプラーの導入、ROCOのシューに交換した上でシューの数を1編成につきひとつに減らしたいとも考えています。

 ちなみにタルキスカラーの客車の運用範囲ってどこまでだったんですか?
by hioka (2007-02-26 12:31) 

Akira

hiokaさん、ども。

タルキス色は、単にDB塗装の一時代の色にしか過ぎません。Nachtzugならば、簡易寝台車や座席車として、多くの国際D-Zugに運用されていたので、北はデンマークのコペンハーゲンあたりから南はイタリアのローマまでは行っていたでしょう。バルカン半島へは行っていたか?わかりません。西はパリあたり、東は....難しいですね。プラハあたり?

わかる方います?

そう言えば、夏場はロシアの寝台車がドイツ経由でスペインのマドリードまで行っていたのを良く見かけました。
by Akira (2007-02-26 13:07) 

hioka

Akiraさん、ども

今我が家で確認したら7両ありました。どれがどれやらよく解りません(汗)我が家のレイアウトに果たして似合うのか微妙に心配だったりします。ただ手をかけてやればいつでも復活しそうです。牽引機もmfxのBR111がありますので。

色んな国まで進出していたんですか?って事はAustriaにも進出していた可能性もありそうですよね。進出していたのであればなおさら復活させたいと思ったりw

とりあえず、じっくりと7両編成を復活させたいですね。
by hioka (2007-02-26 22:02) 

Akira

客車の裾に「RIC 160」等と書かれている表があるのを確認でいますでしょうか?これをRIC-Rasterと言い、その2段の表が車輛が走ることのできる国の鉄道の略称です。「D」はもちろんドイツです。「A」はオーストリアの略称ですから、その文字が書かれていればOeBBに入線できる証です。
「RIC」というのは、欧州国際鉄道規格対応ということです。その右側の数字は最高速度です。ドイツのUIC-X客車は基本的に「D」、「A」、「CH」の3つの文字は書かれてることと思います。
by Akira (2007-02-27 01:22) 

BOAC VC10

ぶっちゃけ、70年代後半から90年代中盤まで、
ドイツからの直通列車あるところにタルキスカラーあり。ですね。

昨日家に帰って仏語の「欧州国際列車編成本」を見てみたら、
80年代初頭のドルトムント-アテネ間の「Hellas Express」や、
90年代初頭のハンブルク-オスロ間の「EN Alfred Novel」などに、
タルキスカラーの客車が連結されていました。

定期列車はどうかわかりませんが、臨時列車を含めれば、
西は仏西国境、南はイタリア半島の先っぽ(シチリアはどうか?)、
東は移民の出稼ぎ列車でトルコくらいまでは行っていたのではないでしょうか。
ギリシャかトルコには、タルキスカラーそのままの中古車がいたと思います。

もちろんオーストリアでしたら、
前OBBマークの1042や1044あたりの組み合わせは日常茶飯事、
(メルクリンから出ていない機種ばかりですみません)
DBのタルキスカラーの111と重連で峠超えはよく本で見ますね。
タウルスとの組み合わせはちょっと微妙ですね。
by BOAC VC10 (2007-02-27 09:25) 

Akira

BOAC-VC10さん、詳細な解説をありがとうございます。
思った以上にタルキス色の客車が東西南北欧州全土に走っていた感がありますね。基本的に4電源であれば、欧州の標準軌の線路の上にはどこでも行けますからね。UIC-Xの簡易寝台車(Bcm243)は、その際たるものでしょう。
OeBBのタウルスとの組み合わせも、タウルス初期の頃ならありかも知れません。OeBBの旧ロゴタウルスとの組み合わせは悪くないかも?

私がタルキス色の客車で印象に残っているのは、東西ドイツが分断していた頃、Hannover HbfからBerlin Stadtbahnを結ぶトランジット列車です。これはD-Zug扱いで、私の乗った列車は食堂車(IC客車同様側面に「Restaurant」と描かれているこの食堂車の形式は今も不明)も含めて総べてタルキス色の客車でした。国境地点での検問も中々スリリングでしたし、当時の東西ドイツの車窓風景の違いや匂い(東独は石炭暖房が主流だったため結構匂いました)で、時代を逆行したような不思議な感覚があったのを憶えています
by Akira (2007-02-27 10:05) 

BOAC VC10

「閉鎖列車」ですね。
東西分断の悲劇を背負った雰囲気がありますよね。
西の客車を東の機関車が牽く(または逆)ということで、
模型で走らせるのにも格好の材料ですね。
(西ベルリン連絡の米軍専用車を、
DRの機関車が牽くということもあったみたいです。)
うちの親父が東独のポーランド国境近くに居たので、
そっちの方も行ってみたいですね。

タルキス色で「Restaurant」表記の食堂車だと、
前にも話が出た団体用のWRtm134の可能性が多いですね。
後には「Alpen-Zee Express」表記もありましたね。

今週末はDBの216にDRのハルバーシュタット牽かせて遊ぼうかな。
by BOAC VC10 (2007-02-27 13:02) 

Akira

そうですね。途中東独内では客扱いしなかったので、そう呼ばれていたのでしょうね。とは言え、西ベルリンではZoo駅が終点ではなく、その先の東独領迄運行されていたので、降り遅れないようにどきどきしたのを憶えています。
あの時はHelmstadt駅を出ると非電化だったので、DRのディーゼル機に牽引され、国境検問停車場(ホームもなかったようなだだっ広い場所)に列車が停車し、制服の兵士が犬といっしょに乗り込んで検閲を受けたのは、やはり恐かったですね。
この時は友人と2人で個室内で縮こまっていましたが、今考えればあの食堂車で食事でもしてれば、形式もわかったし良い思い出と写真の1枚も残せたかと思うと残念でなりません。
by Akira (2007-02-27 13:34) 

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