SSブログ

第16回エネルギー・環境問題と公共交通公開講演会 [デザイン]

00.JPG

今日は土曜日でお休みなのだが、昨年のJAMのコンベンションでご縁のあった多摩美大のK教授のお誘いで2回目のレクチャーを行った。第1回は、このブログでも書いたのだが「ヨーロッパのLRTデザインと日本」という題名で、今回は「LRT-Design」というタイトルで私が教鞭を取っている八王子の大学での授業と学生作品についてのレクチャーを行った。
基本的に、私の授業はテクニカルな側面はあまりなく、今ある技術を使いつつ発想を転換したりしくみを変える事で得られるアイデアを重視する。もちろんヒアリングなどの事前調査は欠かせない要素である。問題点を分析し、コンセプトを構築、そしてそれらをスケッチやレイアウト図面やモデルで表現するのが仕事である。
学生は2年生なので全てのデザインプロセスを行うのは、初めてであろうが、今考えれば皆まじめに取り組んでくれたと思う。その中でも優秀な作品を抽出し、解説を交えて紹介したのだが、私の稚拙なレクチャーでご理解いただけたかちょっと心配である。前回の時は多摩美の学園祭と重なっていたために、ほとんど学生の出席がなかったが、今回は沢山の学生が見に来てくれた。

レクチャーの後に質疑応答があったのだが、異常な盛り上がりを見せたのが驚いた。ヨーロッパと日本のLRTにおける環境の違いは、そのしくみにあるのだが、たどり着くところはやはり政治の問題である。これについては、私の分野ではないのだが、これを変えねばしくみも変わらず、ドイツやフランスのような住みやすく移動のしやすい快適な生活にはなかなか届く訳が無いというのも事実。よって我々に出来るのは世論のコンセンサスをつくる努力をすることぐらいであろう。世論が変われば政治も変わると私は信じているからである。

今回は、他のレクチャーも興味深かった。私以外の学外の講演者は、技術系の方ばかりであったが、逆にそれが私のような技術素人には非常に役立つものであったのだ。特に車両メーカーのT社から来た方の講演では、技術者から見たデザインという切り口で中々辛辣な意見があった。しかしそれも頷けるのである。何故なら、同業者の悪口はあまり言いたくないが、デザイナーがデザインをしていないのである。デザインはスタイリングではない。特に公共交通では、意味のあるデザインが必要なのに、イメージ優先であったり、目立つだけのデザインであったりして肝心のところが出来ていない事がこの技術者のレクチャーで理解できたのである。私がドイツでデザインの勉強をし、ドイツの車両デザインの現場で経験した中では、日本のデザイナーがしてきたようなことは、まず許されない。このあたりの認識の違いがドイツをはじめとするヨーロッパの公共交通のデザインと日本の差なのであろう。デザインは、受けを狙った自己満足の世界ではないことだけは声を大きくして言いたいのである。
nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 3

kuma

分野は異なるとはいえ、デザイナーという肩書きの着く者の一人として、頷けると同時に耳の痛い話です。私たちの日々の仕事は、本当にクリエイティブであると言えるだろうか。クライアントからはもちろん、エンドユーザー…受け手にとって、本当に意義のある仕事ができているのだろうか。嘘をついてはいないか、逃げてはいないか?…自らに科した問いに答えが出たとして、ではその先には?

乱文になってしまいましたがご容赦を。
by kuma (2008-05-18 02:00) 

Akira

コメントありがとうございます。
デザインはファインアートではないので、多くの人に受け入れられなければならないのは確かで、クライアントの意見が最も大切であるのですが、それがエンドユーザーにとって同じものであるのかと言えば、必ずしもそうではない..時も少なからずあるわけです。このあたりの微妙な部分が我々デザイナーにとって判断を分ける部分でもあるわけです。文化的レベルの違いもこうゆう場面で出てきますよね。

しかし、kumaさんと仕事をした成果は、短い期間で良くここまで出来たと思います。クライアントにも好評でしたし...。
by Akira (2008-05-18 09:37) 

kuma

あの仕事は楽しかったです。やはり自分の好きなことそのものがテーマでしたし、Akiraさんの認識がしっかりと高い位置にありましたから。

デザインはファインアートではありませんが、かといって商業活動にのみ利するものではなく、多かれ少なかれ公共に奉仕するものであるとの意識を持っていなければならないと思います。クライアントの要求を満たすのみならず、その先に公の利益を考えるのは容易ではありませんが…。しかしこれはデザイナーだけではなくクライアントやエンドユーザー、世間の認識の問題でもあります。

「まあ、それなりのものでいいだろう」と考える人たちが多いなら、「それなり」のデザインしか世に出ることはないでしょう。それらに囲まれて送る生活は「それなり」の生活でしかありません。

「デザイン」を他のもろもろのことに置き換えて考えると、つまりは「公」の意識そのものを高く持つか低くあしらうのか、この問題はそこに帰結することがわかります。
by kuma (2008-05-20 00:35) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0