SSブログ

43251 MITROPA WL4ü(e) 22079(P) / Ep.II [Maerklin-Reisezugwagen]

b6642.JPG

手持ちに3両ほどあるSchürzen-Schlafwagenの最後の1台のモデル(43251)である。今迄紹介して来た3両のモデルは、全て時代が違い、Ep.IV、IIIのDSG仕様。そして今回紹介するのがオリジナルのMITROPA Ep.II仕様である。この寝台車自体が、同時代のSchürzenwagen食堂車と違って短命であったり、車両の性格上夜行列車にしか使われなかった(つまり車両数の少なさ)もあるが、これほどプロポーションの均整の取れた出来の良いモデルにも関わらず、他のSchürzenwagen座席車や食堂車に比べて、メルクリンからそれ程多くは製品化されていないのはちょっと残念である。とはいえ、我々ユーザーとしても中々この寝台車モデルの使用された編成が理解出来ていないのは確かで、走らせたいが走らせにくいモデルと言えるのかもしれない。このモデルはEp.II仕様のため戦前の夜行列車に組成されていたのであろうが、サボに印刷されているように、首都BerlinとMünchenを結ぶD-Zugあたりが該当しようか。ただ、あくまでも想像の域を出ないので中々現実感が出て来ない。

b6643.JPG
b6644.JPG
b6645.JPG

さて、このモデルは他の2つのモデルと比較して、大きな違いは塗装とレタリングぐらいであろうか。車体の塗装は、Weinrotであるが、Ep.IVのPurpurrotと大差がないので、その違いには気づきにくい。それに対して。車体中央の「MITROPA」の文字と窓の桟に大きく掲げられたマークは、当時のライバルであるCIWLを意識したものと言えよう。他には屋根色がベージュで同時代の食堂車と同じ塗装色である。台車は、Görlitz III Schwer。

今年は18.3形機関車が新製品でリリースされるので、バーデン地方での運用があるのなら、このモデルもこの機関車との組成ができようか。きっと良く似合うに違いない。
nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 0

コメント 4

東西急行

Akira様、東西急行です。連続にて御邪魔致します。
競合会社の車輌乍ら何時見ても天晴れな一輛です。
悔しいかな本車の流麗且つ剛毅な外観にはCIWL-
WLB”Y”も思わず唸ってしまいます(逆転するのは、今
次大戦後の第一号型であるWLA”P”を待たなくては
なりませんでした)。
とは言え同車が出たのは1939年頃とEpⅡの末期であり、
就役したのも束の間MITROPAの胴元であるワシマーク
を戴く政府が爆走し、向こう数年続いた大殲滅戦の中で
破滅的被害を蒙ったことは余りに皮肉です。
附記:LSMの1/160新ワゴンリが、いよいよ出場位置に
向かい構内を移動している様です。
因みに第一陣はWLAB”F”、同”S”そしてWLA”P”です。
by 東西急行 (2008-08-15 21:25) 

Akira

確かに、オリジナルの姿で走ったのは終戦までの短い間。全20両製造された実車は、Ep.III時代には7両にまで減ってしまったようです。かの大戦で、製造間もないにも関わらず、その多くは戦災に遭い使用不能になりましたし、また東西に別れた後、DR車籍になったり、SZDやらOeBBに渡ったものもあったようです。
しかしながら戦後MITROPAからDSGに変わっても、その鷲マークは変わらず、DSGの両横に大きく掲げられていました。逆にDR時代のMITROPAは鷲マークの代わりに似た「M」マークになったのは、なんだかどこかの国の模造品のようで、当時のDSG(DB)とMITROPA(DR)のやりとりを知りたくなるところです。
逆に戦勝国に属したCIWLは戦前と変わらず、あの深い紺色と真鍮の獅子マークを掲げていたのは対照的です。
by Akira (2008-08-15 21:49) 

東西急行

Akira様、東西急行です。御返信有難う御座います。
戦災で同型車の過半を失い、分裂した母国或いは周辺国
に散った非運の車輌とは全く思い至りませんでした。
精々「ワゴンリを抜いた最初の型式」位にしか考えていなかっ
た私には些か衝撃的です。
ワシマークに比較的寛容であった旧独逸連邦共和国(西寄
り三分の二)と、討ち滅ぼした敵対勢力の象徴を、如何なる
ものですら鼻持ちならぬと全く許さなかった旧独逸民主共和
国(共産主義に食い千切られた東寄り三分の一)との相違
は、異質な体制の睨み合う当地の緊張振りを却って想起さ
せます。
附記:現金なものですが、同車の非運を知るに、将来再販
が有れば、現在再編中の国際列車(KSR)団にも迎え入
れたいと思っております。
by 東西急行 (2008-08-17 15:55) 

Akira

すみません、ちょっと誤解があったかも知れません。同形寝台車全20両のうち、戦後DSG車両として存続出来たのが7両程で、残り13両のうちOeBBへ行ったものが1両、SZDへ行ったものが1両、11両のうち5両は戦災を受けて廃車。残6両は未確認です。そのうち数数両はMITROPA寝台車(DR)で生き残ったと思われますが、これも数両はわかりません。いずれにしても元が少数ですから僅かしかなかったものと思われます。

データ元:
http://www.railforum.de/schlafwagen/fr_wlaue39.htm

Schuerzenwagenでは戦後1950年にプルマン式寝台車がDSGで登場しています。そして54年にはTyp.U(H)の元となる寝台車が登場し、その後、かの有名なTyp.Uに引き継がれているようですね。

by Akira (2008-08-17 16:33) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0