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42942 DB B4üwe-28 / Ep.III [Maerklin-Reisezugwagen]

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暫く紹介が滞っていましたが、このモデルは「Riviera-Express」増結セット(42942)の2等区分室車(B4uewe-28)です。戦前製造のGruppe-29に属する車両で、メルクリンからは78年に初めて製品化されたモデル(4139)がベースです。このセットでは、Ep.IIIb仕様にしたものです。

よって、それまでのEp.IV仕様のChromoxidgrün色のボディのモデルとは違った重厚な雰囲気を醸し出しています。1970年代の後半のメルクリンは、変化の激しい時期でもあったと思いますが、樹脂が多用された時代であったように思います。貨車、客車はもとより、機関車も樹脂ボディがあたりまえのように使われていました。ただ、メルクリンらしさでもある「適度な重量とあっさりと仕上げた運転向きの取り扱い易さ」は継承されていました。一方で当時はadeを始め樹脂製かつハイディテールモデルが世の中に出始めて、それがユーザーの心を掴んだ時代のはじまりでもあったように思います。それらのハイディテールモデルは、見た目は素晴らしいですが、取り扱いにくく(特にお座敷での)運転には向かないとも言えましょう。
現在では、メルクリンも他社メーカーもそれぞれで住み分けが進み、ユーザーの嗜好にあったモデルをチョイスできるまでに至ったのは良い傾向です。

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このベースとなるモデルでは、他のメルクリン客車に比べてもちょっとあっさりしすぎの感は否めなかったのは確かです。特にボディを塗装しなかったモデルもあって、それらのちゃちな印象には少しがっかりさせたのも事実です。
ただ、今回の仕様は、しっかりとEp.IIIの特徴でもあるFlaschengrünに塗装され、以前からのあっさり感はやや避けられたのも確かです。同じように取り扱い易いSchürzenwagenは、新しい設計ということもありますが、緻密さではこのモデルより勝る一方で、戦前の客車が持つちょっとゴツゴツしたイメージはこのモデルのように塗装や表記印刷の表現でそこそこ出せているのではないかとも思えてきます。

車体に表記されている車体番号「16 346 Ffm」の実車は、1929年にGörlitzのWUMAG(Waggon- und Maschinenbau AG)社でC4ü-28として落成しました。モデルのEp.IIIb仕様では、B4üeとして在籍。1969年6月にBüe 354として廃車されています。

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DBマークの表現もUIC表記のない仕様なので、濃い塗装色とも相まってとても目立ちます。

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サボの印刷は、イタリアのVentimigliaからHamburg迄のものです。これを通しで乗る乗客は稀だとは思いますが、長距離列車としての客車モデルに、この29系列客車はある程度相応しいものであるのかも知れません。

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ここ10年ぐらいがEp.III時代のモデルを重視しだしたのかも知れませんが、ちょうどこの時代、幼少であった私たち世代が憧れた長距離列車を今こうしてモデルとして次々リリースされるのは至極当然と言えるのかも知れません。このEp.IIIの29系列客車も同様で、当時はドイツ中で走っていたに違いない。ただ、このFlaschengrün色の同形モデルが単品ではリリースされていないので、是非このあたりのモデルも一般的なD-Zug客車モデルとして単品で扱ってもらえればとも思います...。(そうなると12両のデコセット?)
ただ、同系列の食堂車は35系列や39系列になるのでしょうか?

参考文献:C4ü-28; Büe 354 Einheits-D-Zug-Wagen (Ganzstahlbauart) / 「WAGEN」GeraNova Verlag

[EDIT: 2015-10-23]
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コメント 13

東西急行

Akira様、東西急行です。
この度御紹介頂きました車輌は、拝見致しました所三等車上がりの二等車の様です。
MINITRIXで同型車が出ておりましたが、EpⅡでは三等車でした。
向こうでは一等が需要無しとして消された国内と異なり三等が二等に上がる形で消えた訳ですが、新系列二等車が行き渡る迄同一等級、運賃で客室に差(運が悪けりゃ木の腰掛けで膝のぶつかる三等が当たる)が有ったと言う現象が相当期間続いたこととなります。
蛇足乍らDBの新系列26.4m型二等車は当初新型三等車とされていた様です(同系列の一等車は即ち新型二等車)。
by 東西急行 (2009-09-20 21:39) 

Akira

こんばんは、東西急行さん

仰る通りEp.IIIbではB4ueのこの客車もEp.IIIa以前はC4ueでした。当時の客車の部屋割りは3等車と2等車は6人用個室。で、その違いを部屋のピッチで決めています。1等車は2等車のピッチで4人掛けという贅沢な作りだったので、2等級制に変更になっても4人掛けの部屋に6人用座席を配置すれば良かった訳です。一方35系列客車では、1等を2等として使えるような工夫があったみたいで出入口扉横の等級表示の「1」には蓋がついていた様です。1等車のインテリアが2等用に変更出来るようになっていたかどうかはわかりませんが、さすが合理の国という印象を持ちました。
by Akira (2009-09-21 00:27) 

東西急行

Akira様、東西急行です。
御返信有難う御座います。
>1等車は2等車のピッチで4人掛け
思い出しました。28系列では有りませんが、敗戦後の新Rheingoldの一等客室がそうでした。
>系列客車では、1等を2等として使えるような工夫があったみたいで
客室に何名収容するかで等級(乗客の支払う料金)を変える点はU寝台車にも通じます。一方で区分室車ならではの運用方法とも言えます。

by 東西急行 (2009-09-21 12:40) 

Akira

こんにちは、東西急行さん。

その時代、フランスではLe MistralがCIWLのプルマンを使って最上等級の運行がありました。(さて、これは1等なのか、それ以上なのか)
また、最近ではOeBBのRailJetに1等以上のクラスがあります。そう言えばJR-Eにももうすぐグリーン車の上位クラスができますねぇ。いずれも飲食が充実していたような...。
by Akira (2009-09-21 16:51) 

東西急行

Akira様、今晩は。東西急行です。
仰る通りLe-Mistral(DEV-INOX”Mistral56”)には電源手荷物車の次位にWSP”Côte d'Azur(定員28名?!)”がCIWLの食堂車と共に一輛付いておりました。
十数輛のA8が32名(4名×8室)です故、明らかに特等車扱いです。
我が「つばめ」「はと」など格好悪くて一緒には出せません。また151系特急電車のクロ151は明らかに同車の劣化コピーと言えます(悔しいですがコピーするにも気合いが感じられません)。
同時代イタリーの最優等列車”Treno Azzurro”に至っては編成中央付近にCIWLの食堂車(大戦で傷付いたWSPC"La Fleche d' Or”を再生したものが多数) と共に二輛も付いておりました。
東日本旅客鉄道株式会社の特級碧車(スーパーグリーンカーとか名乗らないで好い加減「我ハ新一等車、本邦ヲ代表スル車也!」と宣言して欲しいです)には可成り無茶してでも乗りたく思います。其れ以上に新幹線にもビストロヴィークル位欲しい所です(冷めた箱弁など最悪です故)。
by 東西急行 (2009-09-21 18:13) 

Akira

こんばんは、東西急行さん。

欧州と日本の等級での差の決定的な違いは、運賃体系に欧州が乗車券に1等と2等があるのに対して、日本では乗車券に上乗せする形で1等なりグリーン券があることです。(故にアコモデーションに差がないS-Bahnにも1等客室があったりするわけです)
つまり、欧州では1等利用の乗客はいつも1等であり、日本のように臨機応変にグリーン車を利用したりしなかったりということをしないのは、階級社会の名残りでもありましょう。最近はそれも薄れつつありますが。
先に述べた1等の上をゆく区分の車両については、おそらく1等旅客運賃の上に特別料金が必要なのでしょう。

クロ151は、区分室車の大きな窓など当時の日本では可能な限りの贅沢であったように思います。しかし明らかにCIWLのWSPとはコンセプトが異なります。それとあの車両は、一般の乗客が利用することなど考えておらず、おそらくその多くは外国人旅行者用だったのではと考えられませんでしょうか?

実はJE-Wの500系には当初エキステリアデザインを担当したドイツのノイマイスターデザインがインテリアの提案も行っていて、スーパーグリーン車の提案もなされていました。今の東海道・山陽新幹線の3両のグリーン車をみると、やはり1両の半分ぐらいは特ロの必要性を感じます。

by Akira (2009-09-21 20:33) 

東西急行

Akira様、今晩は。東西急行です。
御返信有難う御座います。
>運賃体系に欧州が乗車券に1等と2等があるのに対して、
>日本では乗車券に上乗せする形で1等なりグリーン券があること
運賃体系と利用客層は盲点でした。また彼我の辿った歴史の長短と相違も勘案すれば全く当然です。
>おそらく1等旅客運賃の上に特別料金が必要
Pulman併結が終了した頃ワゴンリも「大急行」と言う大上段の屋号を泣く泣く捨てていました。
>クロ151は、区分室車の大きな窓など当時の日本では可能な
>限りの贅沢
其れ故に彼の車輌がpersonenwagenでなかったことが尚更惜しい気がします(脆弱な路盤に敗戦前より引きずった非効率な動力体系が優等車=重客車を死滅させてしまいました)。
>一般の乗客が利用することなど考えておらず、おそらくその多くは
>外国人旅行者用だったのでは
御推察で行きますと、クロ151は「つばめ」「はと」向け外国人観光客専用車スイ後マイ38及び39(供奉車第三〇〇号及び三〇一号より改造、窓間隔とは無関係に一人掛け安楽椅子が左右に並ぶ車内が相当異様な代物)の直系と言えるのかも知れません。敗戦国の悲哀を背負った一輛なのだと感慨深く思えます。
>1両の半分ぐらいは特ロの必要性を感じます
同感です。S-Bahn相当の田舎線にも欲しい位です。
by 東西急行 (2009-09-21 21:00) 

Akira

こんばんは、東西急行さん。

> 御推察で行きますと、クロ151は「つばめ」「はと」向け外国人観光客専用車スイ後マイ38及び39(供奉車第三〇〇号及び三〇一号より改造、窓間隔とは無関係に一人掛け安楽椅子が左右に並ぶ車内が相当異様な代物)の直系と言えるのかも知れません。敗戦国の悲哀を背負った一輛なのだと感慨深く思えます。

「つばめ」「はと」の電車化前後の時期は、やはり外国人観光客が増加していたようですね。それでそのような波動対応としてマイ38/39など、特殊な客車が増備されたのでしょう。でも、この車両の画像(特にインテリア)は見たことがなく、さきほど以下サイトに初めて掲載されている画像を発見しました。

http://uenojp.web.fc2.com/tenbousha5.htm

片側1列がずらっと並ぶエアコン付き客車は何とも言えないインテリアです。(味も素っ気もない)

私が毎週利用している2両編成の八高線気動車も半室グリーン車にしても良いかもです。(その場合は八王子直通快速運転が前提ですが)
by Akira (2009-09-21 22:00) 

klaviermusik-koba

私の滞在していた1960年頃は2等級制になって、それほど時間は立っていなかった頃と思います。そのため、同じ2等車でもずいぶんいろいろなものが混在していましたがさすがに木製座席、というのはローカル線でも見た記憶はありません。この29系客車、というのでしょうか、もうこれは亜幹線のEil-Zugぐらいでしかお目にかかれなかったようですが、古色蒼然としていたものの、日本の2等車に比べれば座席がゆったりしていたのが印象的でした。とすれば、いやしくも国際列車にこれを使っていた、というのは少しヘンですねえ。(満足な客車の足りないおりでもありましたからあり得ない、とまではいえませんが)

クロ151に関しては私も一度乗車したことはありますが、当時としては贅沢ではあったものの、そう特別な階級向け、という雰囲気は内装にも、乗客にも見られなかったようです。日本人乗客も私を含め当然おりました。
by klaviermusik-koba (2009-09-22 10:02) 

seidoh

こんにちは。

今年の夏スイスへ行った際、SBBの1等車PRパンフレット”Ich goenne mir die 1.Klasse"というのをを入手しましたが、表紙の写真は、買物帰りの婦人がIC2000の2階席で、とても一人では持てそうも無い5つもの紙袋で空いた座席を占拠し、自分はゆったりと雑誌をめくっている、というものです。よく見ると窓ガラスが濡れ外は雨のようで、なかなか芸が細かい!ハイシーズンでも空席だらけの状況を逆手に取った、面白い宣伝だと思いましたが、欧州でさえ1等車はもはや階級社会の象徴でも何でも無いことの、一つの典型であるような気がします。我が国と同じく、上得意は社用族とリタイア世代でしょうか?
by seidoh (2009-09-22 11:47) 

Akira

> klaviermusikさん

26.4mの客車が登場する前の長距離列車の客車はSchuerzenwagen(39系列)か、一応個室車両だったこの29系列客車、または今年の新製品のHechtwagenあたりだったのかも知れません。戦後新車として登場したのは長距離用客車は、結局53系列客車までは戦前客車を使っていたのだと思われます。

実際にあったかどうかは不明ですが、メルクリンではF-Zugの鉄青色の同形客車も製品化されています。(後に紹介したいです)

クロ151にお乗りになったのですか。この車両も1等車としての設備がありながら「クイ」ではなく「クロ」扱いになっていて当初は板の上に2等車の切り抜き文字が貼ってあり、2等級制になってその板が外され1等となりました。(ちょうど3等級から2等級制への移行期だったのでしょうか)
そう考えると、高度成長期に活躍した「つばめ」、「はと」として今で言うエクゼクティブビジネスマンの御用達だったのかも知れませんね。

> こんにちは、seidohさん。

現在の欧州の1等の意味合いは、明らかに60年代とは違うでしょう。考えてみればS-Bahnの1等車などET420が最後かも知れません。

SBBの広告は確かに的を得ていますが、このような広告がされるということは、1等車のニーズが明らかに減っているのではないかということですね。1等専用のTEEから1/2等のIC/ECに変わったのも、最初1等専用であったMETも1/2等になり、最後は無くなってしまったのも、欧州での乗客のニーズの変化でしょう。それ以上に、自動車や航空機に1等に乗車するはずの乗客が奪われていったこともありそうです。それ故RailJETのような1等の上のカテゴリが出来たのかも知れません。

相反することですが、それ故1等車の1番のメリットが乗客の少ない静かな環境であるのかも知れません。
by Akira (2009-09-22 16:51) 

東西急行

Akira様他皆様、東西急行です。
私の起こした等級と彼我の優等車論に御参加頂き恐縮至極です。
klaviermusik様
クロ151は私をしては歴史上の車輌故実感が湧きません。故に貴重なお話として拝読致しております。
今更乍ら同車とマイ38、39こそJamanese-Pulman-carと思えます。
seidoh様
「何時でもラクラク一等車」とでも申しましょうか。風刺の利いた場面を想起します。
Akira様
>1等車の1番のメリットが乗客の少ない静かな環境
私は此が手に入るのなら多め運賃を払うことを厭わぬと思います。Grossraumwagenの短所たる「喧噪」への回答とも言えます。
by 東西急行 (2009-09-22 20:14) 

Akira

東西急行さん、こんにちは

おっしゃるように開放室車では、あの個室のドアを閉めた時の静寂感は味わえませんね。よって静かに過ごしたい時は、一等個室だと私も思います。
by Akira (2009-09-24 11:09) 

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