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アルフォンス・ミュシャ展 [デザイン]

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▲ 第1会場の高崎市美術館

今日は、本来なら大学の授業日であるが、学祭のため授業はお休みである。そこでかねてから行きたかったアルフォンス・ミュシャ展に出掛けて来た。高崎のような中規模都市でミュシャの展覧会が行われるのは奇跡かも知れない。
これは高崎市がビール醸造で有名なチェコのピルゼン市と姉妹都市であり、かつ姉妹都市提携20周年にあたったこと。更には、今年がミュシャ生誕150周年記念であり、大阪堺市のミュシャを集めたドイ・コレクションを中心に、プラハ美術館やパリのオルセー美術館所蔵の作品なども合わせて、今年の4月から、岩手、東京、北九州に続いて高崎で開かれた巡回展があったからである。高崎の後、堺市などでもこの展覧会が行われるからである。

そのような訳で、以前一度ミュシャの展覧会を見た事があるのだが、その時は約25年前の大学生で東京であった。その時はかなりの人出でじっくりと見れなかったのを憶えている...が、今回は平日の高崎である。当時は、アールヌーボーが流行っていた時期であったこともあり、混んでいたのであろう。今回は、ほとんど誰もいない空間で本当にゆっくりとミュシャの生涯を時系列に従って鑑賞する事が出来たのである。

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▲ 高崎市美術館に掲げられている広告のアップ

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▲ 高崎市美術館の側面にも...Moet et Chandon広告のタペストリ

残念なのは、高崎市美術館のキャパシティが小さく、全ての作品を納められず、高崎駅の反対側にあるタワー美術館に第2会場を設けて2館で完結するということである。その2館は、駅から至近にあるのだが、今日のような雨模様だと歩かせるのは辛い。

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▲ 第2会場の高崎タワー美術館は、駅前マンションの3、4階にある。広告は高崎市美術館に比べて残念ながら地味。

さて、作品であるが前回見た記憶のある作品も少なからずある一方、初めて見た作品もあり、全体的に見応えのある展覧会であると感じた。ミュシャが最も輝いたパリ時代、当時有名な女優のサラ・ベルナールの舞台公演のポスターを依頼されて以来、彼独特のタッチで描かれたポスターは、当時の時代背景に見事にマッチし好評を博し、画家としてよりグラフィックデザイナーとしての仕事が多く来る事になるのだが、1品ものの絵画と異なるリトグラフで作成されたポスターは大量生産されるものである。当時のパリは、アールヌーボーの華やかりし時代で、ギマールの地下鉄駅や多くの建築に代表される植物をモチーフにした装飾芸術最後の輝きを放っており、誰にも理解し易い構図と美女の組み合わせは、その世界にぴったりとハマるミュシャのポスターとして、好評を博したに違いなかろう。(逆にビアズレーなどは、少々おどろおどろしい雰囲気で私個人は嫌いではないが、好みの分かれるところがあろう)

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▲ 第2会場の高崎タワー美術館入口

ここで私がポスターを見つつ気づいた点は、CIWL客車の室内装飾を手がけたルネ・ラリックとの関係である。実はラリックも女優サラ・ベルナールによって、その才能を開花した芸術家である。彼は、舞台衣装の髪飾りなど装飾品のデザインを手がけたが、改めてポスターを見ると、明らかにラリック特徴を持った髪飾りを纏ったサラの絵を見つける事が出来た。こうして見ると大女優であったサラ・ベルナールは、素晴らしい芸術家を2人も見いだしたのである。

こう考えれば、ラリックの素晴らしいコレクションを持つ箱根のラリック美術館と堺市のドイ・コレクションを合わせて当時のパリの市井の雰囲気を蘇らせる展覧会なども行われればと思いを馳せたのである。それにしても、これらコレクションは元々全て個人収集のものである。欧州から遠く離れた極東の日本にこれだけのものがある事自体(良し悪しは別として)大変なことであると感じるのである。それは日本人の見る目と、我々一般人が素晴らしい作品を気軽に見に行けることが出来るのは素直に嬉しい。

参考サイト:
アルフォンス・ミュシャ展
http://www.city.takasaki.gunma.jp/soshiki/art_museum/art/ten1003.htm

堺市立文化館アルフォンス・ミュシャ館
http://www.sakai-bunshin.com/mucha.php
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コメント 4

東西急行

Akira様、東西急行です。
御紹介のミュシャ(正しくはムゥハ?)とラリックは、アール・ヌーヴォオとデコ(意匠はデコの方が実用性追求的)を代表する人物であると同時に、其れ故にワゴンリを見る上でどうにも外せぬ存在です。併せて何れもがヴェルナ~ルの専属であったとは思いもしませんでした。
附記:ワゴンリ不作が再発しています。工廠員を省鉄に出向させること(架空ワゴンリ製造)も検討せざるを得なくなりました。
by 東西急行 (2010-10-24 00:01) 

Akira

こんばんは、東西急行さん。

チェコ語では「ムゥハ」或は「ムハ」と呼ばれるようです。ドイツ語でも「ムハ」でした。(最初ミュシャでは通じず、ムハとわかった時は、ちょっとしたショックでした)
私はミュシャのCIWL社のための作品は見た事がありません(カッサンドルが有名ですね)が、PLM鉄道のポスターは有名ですね。(もちろん展示されています。)
もし、ミュシャによるCIWLのポスターがあれば教えてください。

サラ・ベルナールという女優については、私は良く知らないのですが、当時はトップ女優だったようです。彼女から直接指名された2人の芸術家が、それをきっかけに彼女以上に有名になってしまうのですから、やはり運命なのでしょう。
by Akira (2010-10-24 01:29) 

東西急行

Akira様、東西急行です。
>ミュシャによるCIWLのポスター
誠に申し訳御座いません。私の能力が足りず、ネット上にも手持ちの資料にも、明らかにミュシャによる作と分かるものは発見出来ておりません。EpⅠ後期のワゴンリ内装=アール・ヌーヴォオ様式=アルフォンス・ミュシャが其の代表と思いました故、車輌を見る上で外せぬ存在と述べた次第です。
余談乍ら、CIWLのポスターが流行を意識し、現在にも通ずる印象を作り上げたのは間違い無く「洒落てて鋭利な」カッサンドルだと思います。
附記:架空ワゴンリはオハ35(窓幅1,000mm、区分室間口は1,300mm、三段寝台、等級は一~二等)を種車とする計画です。現在仮発動ですが、向こう半年ワゴンリ不作が続けば本発動します。

by 東西急行 (2010-10-24 21:22) 

Akira

こんばんは、東西急行さん。

確かにミュシャは、その圧倒的な個性とインパクトでかの時代の代表的な存在であったでしょう。もし彼によるCIWLのポスターが存在したなら、それは有名になっていたはずです。私の個人的な私見ですが、かの有名なPLMのポスターにしてもミュシャのタッチで描かれた作品は鉄道のイメージとは若干のズレを感じます。やはりどちらかと言えば、直線と明暗のコントラストが重量感を醸し出すカッサンドルのような作品の方が鉄道向き...と言えるかも知れません。

さて、今日BSフジで放映された番組、欧州鉄道の旅はVSOEでした。この映像は、かなり細かく車内設備からサービスに至る解説を丁寧に収録したものと感じました。VSOEは単なる観光列車ではありますが、やはりCote d'Azurでのコース料理を堪能出来るのは、VSOEの乗客だけに与えられた特権でもありましょう。また、寝台セットの映像では、Lx車両のシート下に納まっているマットレスをベットの上に置いて寝台を作る作業は、CIWL客車ならではです。(これはU形寝台車にもなかったです)
VSOEの旅は夢ではありますが、いつかは..と思っています。
by Akira (2010-10-24 22:51) 

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