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BVG ET475 / Ep.IV [欧州鉄道]

IMAG0071.jpg

今回も1989年に撮影したリバーサルフィルムからのスキャン画像。フィルムには1989年7月の日付があるところをみると、Bremenのドイツ語学校からの泊まりがけの遠足でベルリンに出かけた時に撮影したものであろう。当時は、もちろん東西ドイツが分裂していた冷戦時代で、これは西側のWannseeと国境駅であったFriedrichstrasseを結ぶS3の駅であったように思う。

当時、このS-Bahnの車両と路線は、BVG(ベルリン交通局)所属で、長距離の平行していた路線は東ドイツのDR(Deutsche Reichsbahn)と複雑である。そのため、東ドイツ側のS-Bahnは、国境駅のFriedrichstrasse駅からだが、同じ路線ながら完全に隔離されていた。S-Bahnは戦前からの駅舎や車両が当時はそのままの状態で、1990年代に入ろうとしている時でさえ、この1932年製の車両が当たり前のように走っていたのである。同じET475形車両も東西で走っていた(DRではET165)が、西側では車体も美しく塗られオリジナルの美しい姿を保っていたのに対し、東側は紫がかった色使いで手入れも行き届かずくすんだイメージであった。(写真がないので申し訳ない)

当時は日本でもレトロブームであったが、ベルリンに来ると、日本でもてはやされているレトロの薄っぺらい懐古趣味が身にしみて理解できるほど、街を覆う戦前からの芸術的な街並と公共交通の調和が見事で、独特の美しさと重さを感じたのである。現在では、全て新しい車両で運行されているが、駅舎建築などで、その一片は見ることができる。

この車両は、メルクリンからPrimexブランドで鉄板仕様のモデルがリリースされていた。第3軌条集電方式など、一般鉄道とは相容れない方式ということもあり、ベルリンS-Bahnは、それ1種だけであったが、Hamburgも同様のシステムなので、この第3軌条システムのモデルもシリーズ化されていても良かったのかも知れない。

参考サイト:DR-Baureihe ET 165
http://de.wikipedia.org/wiki/DR-Baureihe_ET_165
タグ:ET475 BVG Ep.IV S-Bahn
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コメント 7

Berliner

懐かしいですね。ドイツへ初めて旅行した1990年には、これとオリンピック型?が大活躍でした。ベルリンに住み始めた1998年には写真のタイプはわずかだったと思いますが、戦前車両の半自動/半手動のドア、そしてその重さは衝撃でした。停車中はホームとは反対側のドアも開けようと思えばロックが外れていて開いたりして。車内検札でつかまりそうになった人が駅に停まった瞬間に、ホームの反対側の扉から外へ逃げたりして、ワイルドな時代でした。モーターの音は、子供のときに乗った内房線のチョコレート色の電車のそれにも似ていて、これは別の意味で懐かしく感じました。
ところでこの写真の駅、どこでしょうね。屋根の形からBellevueかなと思ったのですが、壁がちょっと違うような・・。もしかして撤去されてしまったLehrter Stadtbahnhofでしょうか。
by Berliner (2013-06-25 22:46) 

Akira

こんにちは、Berlinerさん。

オリンピック電車と言えばET420ですね。私もミュンヘン時代には毎日お世話になりました。今思えばゴツい電車でした。
このET475形車両は、シートが木製でしたが、ニス塗りで美しくドア前にある赤色警告灯がドア閉め直前に点滅したのが懐かしく思い出されます。
さて、この写真を撮影した駅ですが、もちろん西側なのでBellvueかも知れません。Lehrter Stadtbahnhofは現在の中央駅ですよね。良く憶えてないです。FriedrichstrasseのBVG側かも知れません。
by Akira (2013-06-25 23:09) 

Berliner

ミュンヘンオリンピックではなく、ベルリンオリンピックのつもりでした。調べてみたところET166というのがOlympia-Baureiheだそうです。何と呼べばいいのでしょう。オリンピックモデル?
ET420だったと思いますが、私の知っている限りで一度ベルリンを走りました。中央駅の工事の影響だったと思いますが、Sバーンの運行に支障があり、DBの線路をSバーンの助っ人として走っていたと記憶しています。ライン地方のものだったのかな。
by Berliner (2013-06-26 03:49) 

Akira

Berlinerさん、おはようございます。

失礼しました。ET166がオリンピック電車と呼ばれていたのは知りませんでした。ET475より1世代後でベルリンオリンピック時に完成したのですね。それにしてもベルリンのS-Bahn車両は息が長いですね。(80年代迄の地下鉄銀座線車両を思い出します)
ET420がベルリンで走ったのも知りませんでした。これも興味深いですね。
by Akira (2013-06-26 11:26) 

Berlinerr

ほんとうに息が長いですよね。そういうところに「ドイツ製品」の良さを感じます。
by Berlinerr (2013-06-26 16:41) 

KDB

Akiraさん、ご無沙汰です。
この東の戦前型Uバーン車両は大変懐かしいですね。フリードリヒシュトラーセ駅からこの車両に乗って市内を動き回ったのは1977年でした。まだ残っていた01型や03型と並んでも違和感がなく、乗車してみると床下から釣りかけモーターの大きな音がしてきました。扉は半自動で貫通路がなく、検札が来れそうにないのでキセルの誘惑に狩られましたが、この国でバレたらどうなるか判らないので、20ペニヒだったか、切符はちゃんと買いました(当時西側のハンブルクでは料金1マルクで、キセルの罰金は20マルクだったと記憶しています。ただし、キセルをやったわけではありませんよ!)。東西境界のフリードリヒシュトラーセ駅では、乗客よりも警備の兵隊の方が多かったみたいで、ビクビクものでしたが、車内で路線案内図を解読しようと苦心していると、兵隊がひとりやってきて、色々親切に教えてくれました。意外なこともあるものです。
by KDB (2013-06-27 20:56) 

Akira

こんばんは、KDBさん。

今思えば、同じFriedrich Straßeの東西両国のホームをS-Bahn車両と一緒に撮影しておけば良かったと後悔していますが、一方で仰るように乗客は極めて少なく警備兵ばかりのホームでそのようなマネなど怖くて出来なかったのも事実です。西側のホームを降りるとそのまま人の流れは1つの川にように同じ場所にしか進めませんでしたし、国境を無事通過して東側のホームに上がれば、全く異なる風景が目の前に広がるさまは、本当にカルチャーショックでした。切符を刻印するのに刻印機が手動だったり、車両も同じ形式ながら妙に差があったりしたのも、その違いに東西間の格差を実感したものです。出来ることならもう1度当時の東側を訪れたかったというのも少なからずあります。
by Akira (2013-06-27 22:05) 

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