SSブログ

43250 DSG WLüg(e) 22 / Ep.IV [Maerklin-Reisezugwagen]

b6526.JPG

随分昔に購入したDSG寝台車モデル(43250)なのだが、気がつかず棚にしまい込んであるのを発見し、今日ようやくここに紹介できるのである。...と、言うのも残念ながら食堂車と違い、中々走らせづらいのが1つ。つまり、編成がイマイチわからないので、つい座席車+食堂車(+荷物車や郵便車)となってしまうのである。
ただ、今回紹介するこのSchürzenwagen寝台車は、中々興味深い仕様であることも確かである。このモデルがリリースされた時、つまりSchürzenwagen自体が新しい金型でフルスケールで製品化された時は、Ep.IVの数種の座席車、食堂車、荷物車、郵便車が同時にリリースされ、寝台車も同様で、ほぼ同じ時代の仕様であったのだが、食堂車がDSGの私有客車がPurpurrotのDB所属に変わった後の仕様だったのに対して、この寝台車モデルは、同じEp.IV仕様でありながら、車体側面には、まだDSGマークとロゴが大きく描かれていたからである。その「DSG」文字の下にUIC規格の車体表記がされており、過渡期の仕様であったのか、それとも廃車直前のため、敢えてそのままの塗装でUIC表記のみ上書きしたような形になったのか、非常に興味深いところである。実際、DSGが車体を保有していたのは1974年迄とのことで、DSG食堂車の車両保有とそのDBへの移籍時期とは若干違うのかも知れない。そのため、UIC表記の車体番号の最後には(P)の文字が印刷されている。もちろんこの車両の供食などサービスについてもDSGが担当しているのである。
ヨーロッパの寝台車の素晴らしい部分の1つに車両ごとに専務のサービスクルーが常務していることである。つまり受け持ちの寝台車の乗客のサポートを引き受けているのである。大陸なので国境でのパスポート管理の代行はもちろん、モーニングコールや朝食サービス(ルームサービス)もサービスクルーの仕事である。(軽食や朝食の用意が可能なように各寝台車両に簡単な厨房が備えてある)そのサービスについては、現在迄同様であるが、人件費を真っ先に削減したがるヨーロッパでも、必要な部分には惜しまずに人を使うのは間違いではないと思う。

b6529.JPG
▲ 出入口ドア付近のディテール、ドア右の窓下にある白い部分は満室/空室表示器。実車では、ベットが空いていると「Betten Frei」、満室の場合は「Besetzt」の文字が電飾で浮き上がるしくみである。その隣の格子のついた窓のところは厨房設備。

さて、このモデルであるが、リリースは1997年から2002年迄の6年間。その前年からリリースされた一連のSchürzenwagenと同一線上の設計であるがゆえに、結論から言えば、その期待を裏切らないフルスケールと適度なディテールを兼ね備えた好感の持てるものと言えよう。

b6528.JPG
▲ 車体中央の「DSG」ロゴはマークの位置より若干上に位置されている。これは、1968年からのUIC規格による車体番号表記表示によるためである。UIC番号の最後に記されている(P)は私有客車の証である。

この寝台車モデルの実車は、MITROPA時代の車両番号は、22073(P)であった。その後、この車両はDSG車籍になり、同番号のままUIC表記化まで続いた。UIC番号化に際して、敢えてオリジナルの下3桁を同じにし「073」としたのは興味深い。(ちなみに22072(P)は、戦後SZD(ソビエト国鉄)に渡ったため「072」は欠番である)MITROPA寝台車として落成した20両の同形車両のうち、戦後DSG車両として在籍できたのは7両程度で、戦争によって焼失したりOeBBやSZDに渡った車両、またDRなどに残った車両もあろう(詳細は不明)

REV(検査)表記は、1968年6月1日とあるので、Ep.IVの初期仕様とも言えようか。おそらく暫くはEp.IIIb仕様の客車と混成されていた時代であったように思う。車体色は、1965年より変更となったDSGの後期色でもあるPurpurrot(RAL3004)である。しかしこのモデルの実車は、DSG所有の私有客車であったことからも、DB所属の食堂車のような白文字や白帯ではなく、伝統的な黄色文字の「DSG」に黄色のロゴマークがロゴの左右に大きく描かれている姿である。もちろん左右端の「SCHLAFWAGEN」文字も独特のDSG文字と同じ書体であり、黄色である。ただ、UIC規格の車体番号表記変わっているため、DSG番号はない。(ここからは推測の域を出ないのだが、番号はあったのであろう。混乱するためか、車体には表記されていない)

b6530.JPG

車体のモールドは、他のSchürzenwagen同様、カチっとした仕上がりで、かつ適度なディテールを再現しながらも、すぐに外れてしまうような後付けパーツなどは見えない。
1968年当時の仕様らしいのは、貫通路が蛇腹幌からゴム幌に改造されたことが目に留まる。また、食堂車の貫通路と異なるのは、片開きドアに窓が設けれている点であろうか。エアコン改造されたかどうかは、外観からは読み取れないが、食堂車がこの時代には既にエアコンを取付けているので、寝台車であるから、おそらく同様であろう。(もしかしたらエアコンは標準装備?)
但し、台車は変更されず、Görlitz III-Schwerのままである。 (車両によってはMinden-Deutzに履き替えられたものもあるらしい)よって最高速度もUIC表記からも140Km/hに制限されている「56」が記されている。因に暖房は、蒸気+電気の両用となっている。

さて、私はこの同形寝台車をこのモデル以外にEp.II(MITROPA仕様)とEp.III(DSG仕様)の2両ばかり所有しているが、そのどれもがほとんど動かさずにいるのである。当時の夜行列車というものがどのような組成で運用されていたのかも未確認であり、中々組成も難しくかんじていたのだが、当時は簡易寝台車(クシェット)はGruppe 53かUIC-XのBcuemが当たったのであろうか。その他に、おそらく座席車、荷物車、郵便車。また区間によって食堂車も組成されていたのかも知れない。そのあたりを調査し、結果が出れば是非走らせてみたい雰囲気の良いモデルでもあるのである。想像の域を出ないが、寝台車であるが故に、国際夜行列車として、CIWLの寝台車の向こうを張って西ヨーロッパ各地を走っていたと思われる。(もしかしたら、このDSG寝台車にCIWL食堂車なんて編成もあったかも知れない)
また、時期的に見れば、牽引機関車は、電気機関車なら118形、ディーゼル機では、220形、蒸気機関車となると011形や012形、003形など大型の幹線用機関車が牽引の任に当たっていたであろうし、そのような機関車の牽引の似合う客車でもあろう。

そう考えて想像を膨らませていると、調査をして是非1968年あたりの国際夜行列車(できればイタリア方面が良さそうな...)の編成など調べてみたくなってきた。

参考サイト:DSG Schlafwagen-WLA4üe-39 / Deutsche Rail-Forum
http://www.railforum.de/schlafwagen/fr_wlaue39.htm
nice!(1)  コメント(9)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 1

コメント 9

seidoh

Akiraさん、こんにちは。

ご紹介の43250は、私の所有する唯一の寝台車です。三十云年振りにメルクリンを再開して間もない2005年の春、たまたま売れ残っていたのをカナダのお店のサイトで見付け、格好良さと「寝台車であること」だけに惹かれて何の予備知識も無いまま衝動買い!その後、銀座の中古フロアで仲間の座席車・食堂車・郵便車も首尾よくゲットしました。
Schuerzenwagenの流麗なデザインは、その後の規格化されたUIC系より
個人的には好ましく、フルスケールでも引き締まった車体長なので扱い易くお気に入りです。
とはいえ、たった1両なので私の所でも稼働率が低くて・・・。イタリア方面の国際夜行なら今年のRe4/4Ⅰ赤に牽かせたいですねぇ。
by seidoh (2008-07-13 16:50) 

Akira

早速、少しネットで調べ始めました。しかし、全く成果は得られずです。よってまだまだお知らせ出来ませんが、いつかお知らせできればと思っています。

イタリア方面行きにこの寝台車が使われたかどうかもわかりませんが、スイスでRe4/4 Iに牽引された姿は、素晴らしいでしょうねぇ。
by Akira (2008-07-13 17:08) 

東西急行

Akira様、東西急行です。
 御紹介の車輌はワゴンリの第三世代鋼製寝台車であるWLB-Yに相当するもので、客室数、定員に簡易厨房と乗務員控室(S、Z、Lxの乗務員設備は廊下の腰掛けのみか、良くて仮眠用寝台が有る位)の設置迄相似です。
 編成については手許に資料が有りませんが、Riviera-Express(Maerklinが以前車輌セットとして出しておりました)等、独逸連邦共和国(首都がボンであった国)始発の列車には大抵組み込まれていたと思います。
 私見乍ら、DSG(MITROPAも)の赤い車輌はワゴンリの各Orient-Express等の様な固定編成的運用より、必要な列車に適宜組み込まれることが多かったと思います。

by 東西急行 (2008-07-13 21:30) 

Akira

東西急行さん、こんばんは。
詳しい解説をありがとうございます。Riviera-Expressは、私も持っていまして、これがEp.III仕様です。定員などのCIWL(WLB-Y)と同様なのは、国際運用を前提とした設計なので情報を共有化していたのかも知れません。ミュンヘン郊外にあるNeuaubingのDSG工場はCIWL工場としても共用していました。ですから、DSG/MITROPAとCIWLはライバルというより、上手く住み分けていたようですね。

ワゴン・リ主体の編成は、確かに固定編成的ですね。DSG/MITROPAについては、夜行気動車VT10.5"Komet"など以外は確かに固定編成ではなく、いわゆる雑多な客車の寄せ集め的な列車組成だったと思います。
by Akira (2008-07-13 22:00) 

三太

皆さんのような詳しい知識がないので主観論を.
編成の中に,この色の客車が1両(別に複数両でも良いのですが)あると,アクセントになって,非常にカッコいいと思っています.

by 三太 (2008-07-13 22:31) 

Akira

こんばんは、三太さん。
私の考えは、基本的にカッコイイ編成にしたい(必ずしも統一された編成という意味ではない)というのがあります。
寝台車や食堂車の赤が、青や緑の客車の中に数両あるのは、中々粋な感じがします。
by Akira (2008-07-13 22:39) 

東西急行

Akira様、東西急行です。御返信誠に有難う御座います。
 異形の夜行気動車VT10.5"Komet"は一度見たきり私の脳裏に焼き付いた強烈な車輌です(夜行タルゴの御先祖様?子孫は現在多くがイベリア半島在住)。鼻っ先も何処か動物的です。
 DSG(MITROPA)がワゴンリの様な固定編成運用に成りにくかった理由としては、独逸発の国際優等寝台列車が殆ど無かったことも見逃せないと思います。Riviera-Expressにしても多くの座席車に方面別の寝台車(後年簡易寝台車も追加)が付く程度(EpⅡの頃はもう少し多く付いていたのでしょうか)でした。
 運行時間帯にしても各線Orient-ExpressにLe-Train-Bleu、更には大都市発行楽地行き国際急行の様な「夕刻亦は夜の早い時間帯に出発し、翌朝0900時辺りで着達とは限らなかったと思います(座席利用客本位の発着時間)。

附記:個人的には「カウナス発西行き特快194X」を、独逸もの配備の起爆剤としたい所です。
詳細は霧の中ですが、編成は
寝台、食堂、一等車:39年型(=ショルツェンヴァルゲン)
荷物車、二等車以下:28年型(=昇降口の引っ込んだ無骨もの)
赤い国の量産客車:補強桁入り満鉄類似青豆色車体
を予定しております。機関車は皮肉を利かしBR03の流線外皮仕様としたく思います。
 

by 東西急行 (2008-07-14 00:21) 

Akira

VT10.5は、メルクリンからも"Senator"として、既にリリースが始まったようですが、こちらでは「ウナギイヌ」との愛称が...(^^;
試作的要素が強い車両故に実験的な車両でしたね。タルゴは私にとってより刺激的でした。特に初期の試作車。
確かにドイツからは、寝台専用列車みたいな類いは「Komet」以外知りませんね。(これすら国内専用)
つまり、ドイツの当時の夜行は基本が座席、または簡易寝台車両でKurswagenを付属しているのが普通と考えて良さそうですね。フランスのように大きな国土がないですし、あってもAutoreisezugのような定期列車と言うにはちょっと?な列車がほとんどだったと思います。今はCNLになっていますから若干違いますが...。
> 「カウナス発西行き特快194X」
中々面白そうな編成ですね。PwMに唯一1959年の「Riviera Express」の編成表を記していますが、これすらHamburg - Karlsruheのみしかわかりません。国際列車の場合、それぞれの国単位での資料収集が必要なので、中々それを見つけることができないのが厄介です。

http://www.thundernet.or.jp/~PwM/ZB/D167-59.html

Karlsruhe以南の編成や、この編成に1両あるCIWL寝台車の車種に興味ありですが、何ともわかりません...。


by Akira (2008-07-14 08:43) 

東西急行

Akira様、東西急行です。
>VT10.5=ウナギイヌ
 私はあれを月並みにニシキヘビか何かだと思いましたが、「おおぅ!言い得て妙だ」と手を叩きました。
 以前御紹介下さいました帆布自動車(白猫「みゅぅ~う」)と言い、時折妙に生き物じみた機械が出て来る独逸です。
>ドイツの当時の夜行は基本が座席、または簡易寝台車両
 三等旅客も乗れる寝台車(六人部屋?洗面設備など当然無し)を出したのも独逸が最初である様に思います。
 少なくとも仏蘭西の簡易寝台車(クーシェット、でも併結されたWLBより乗車率が低く、金に余裕が有れば乗りたくないと思われていた様子)より十年は先行していそうです。
>カウナス発西行き特快194X
 編成は全くの想像です。共産圏に食われた国を始発とするありふれた国際列車(恐らく無名、D-xxxと言う符丁のみ)ですが、余りに劇的な場面(時間が切れた、集まった全員を救えなかったと許しを乞う人物への惜しみ無き賛辞が響いた瞬間)の舞台となっただけに、(Simplon)Orient-Express並に重要な存在です。


by 東西急行 (2008-07-15 00:11) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0