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ヨーロッパの鉄道スナップ [欧州鉄道]

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先日のJAM会場で、久しぶりに再会したKDBさんがお持ち頂いた本が今手元にある。これが画像の「ヨーロッパの鉄道スナップ」なる本で、執筆者は国鉄の車両設計技師をされていた星晃氏である。星氏が国鉄で車両設計をされていた時代にスイスを拠点にヨーロッパで鉄道車両の研究をされていたことは、私も何故か幼い頃から知っていたのだが、その時のスナップ集があることは、その時まで私も知らなかった。

彼は1953年から1年間ヨーロッパに滞在して鉄道車両の研究をしてきたが、この本の発刊は1957年となっている。そのため、本に掲載されている写真は1953年頃のもので、文章は57年に記されているため、当時の鉄道車両にとっても激動の時代に、写真と文章のズレは若干感じる(例えば1956年にそれまでの3等級制から2等級制への変更など大きな変革がある)ものの、日本語によるヨーロッパ視察の目線で記されたこの本は、写真も文章も貴重なものであると同時に、昨晩ページをめくりながら、過ぎた時代のこととは言え如何に自分自身の目線が画一的なものだと反省するに至ったのである。

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この本では、彼が訪れた国ごとに纏められており、北からイギリス、フランス、西ドイツ、スイス、イタリアと5カ国の鉄道のみである。しかし、それだけに1カ国あたり、しかも滞在の長かったドイツとスイスの記述や写真は多く、その考察も興味深い。上画像はドイツの当時の花形長距離列車であるVT 08.5形によるFt-Zugである。1953年と言えば、TEEが発足する前なので、VT11.5などはデビュー前でF-Zugが最上位の列車であるが、そこにはVT08.5が今のICEとは言わない迄も幅を利かせていたように見受けられる。私は看板列車のF-Zug、Rheingoldに使われている鉄青色の客車群がF-Zugの主流だと考えていたので、私の認識が違ったようである。

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しかし、別のページには鉄青色にDEUTSCHE BUNDESBAHNの文字も輝かしいSchuerzenwagenの写真もある。ここでは、戦前形急行用ボギー客車(D-Zug Wagen)として分類されている。記述をそのまま記すと「2等車は一般の客車の外部色が緑であるのに対して明るい青を用い、銀線をそえて仲々美しい。」とある。星氏はF-Zugの鉄青色に関心があったのは、この記述と20系客車を見れば納得がゆく。
しかし、これは戦前形客車とされていて、筆者の興味からは外れていたようである。一方で26,4mのGruppe54形客車を新型軽量客車と呼び、丁寧な解説がされているところを見ると、やはり彼にとっての大きな興味の対象が軽量客車であったことが、後の彼の設計した10系客車を見れば容易に理解出来る。

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スイスについては、SBBやBLSはもちろん狭軌のRhB/FOやBOB、はたまたユングフラウ鉄道など山岳鉄道にまでその写真や記述が網羅されている。私が興味を持ったのが上の画像で、当時SBBの最新客車であったLeichtstahlwagenにミシュランのゴムタイヤ付き5軸台車を履いた試作車が掲載されていたことである。このような試作形客車があったことすら知らなかったのである。

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また、SBBのゴッタルド路線については見開き1ページを割いて紹介しているのも興味深い。おそらく日本の地形と酷似している部分があるため、絶好の研究対象になったのであろうが、スイスと日本の山岳路線ではスケールも大きく違おう。ただ、山岳路線でほぼ100%電化されたスイスは、機関車や客車などの車両技術には日本の鉄道にとって大きなお手本であったに違いない。

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最後はイタリア国鉄FSの紹介であるが、ここにETR300形「セッテベロ」が紹介されている。彼がこの本に記した様々な西欧諸国の車両の中で、おそらく最新鋭かつ最高水準の車両がこのETR300であるように思う。私自身が驚いたのは、鉄道車両に於いても戦勝国であるイギリスやフランスは1953年当時、まだ蒸気機関車牽引列車が数多く残っていたし、ドイツも北部ではそうである。ようやく気動車タイプの優等車両が出始めた頃、あのETR300形の登場は、他の西欧諸国の羨望となったに違いなかろう。何より、前面展望やバー車など乗客サービスに対する姿勢に余裕すら感じるからである。(この本ではフランスの最新客車はINOX客車を紹介している)

こうして1953年という切り口で西欧諸国の鉄道車両切り取った本を見ると、今迄見えて来なかった当時の各国車両に対する印象というものも違って見えてくるものである。正直FSのETR300は、私にとって、DBのVT11.5や62系列TEE客車のドームカー、またSBBのRAmやRAeなどと同列に考えていたのである。ところが、いち早くデビューしたFSの車両は、おそらくその後の西欧諸国の車両に大きなインパクトを与え、影響を及ぼしたのであろう。

それはこの本を執筆した星氏が日本に帰国後、10系客車を設計し、それに続く101系、151系、153系、20系客車、82系や58系気動車などを見れば、直接ではないにしろ少なからず西欧諸国の車両から影響を受けたことも容易に理解出来るものである。

ただ一つ、星氏の考察で私と異なる意見の記述があったのは、連結器についてである。星氏はヨーロッパの鉄道のバッファ付きスクリュー式連結器について、様々な国を直通させる客貨車の連結器を一斉に変更するのは現実的に無理としつつ、日本がバッファの無い自動連結器への交換作業を1日にしてなし得、その優位性を了としている。私は、ヨーロッパの客貨車の連結開放作業にリスクがあるとは感じているものの、あのスクリュー式連結器とバッファによる長所は、それを持ってしても連結器に遊びがないことによる乗り心地など長所をトータルで考えれば、自動連結器よりも優れていると思うのである。

いずれにしても星氏は、国鉄時代の車両設計に於いてこの本の序文を記した島秀雄氏と共に大きな足跡を残したことには違いない。この本を見て彼がスイスで培った1年間が少なからずその後の国鉄車両にとっても影響を与えたものであることを再確認出来たのである。
残念ながら、この本はもちろん絶版である。版元である交友社には是非復刻して欲しい1冊である。

最後に、この本を快くお貸し頂けたKDBさんには、ここで御礼を申し上げたい。

*以下にアマゾンジャパンでの中古本へのリンクを貼るが、相当なプレミア価格になっている。

ヨーロッパの鉄道―スナップ (1957年)
タグ:Ep.III Buecher
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コメント 8

KDB

今晩は。KDBです。
この古本がお気に召していただいて幸いです。なにしろ戦後まだ10年前後の世界ですから、思いもよらない所が色々あります。駅の建物にもご注目ください。戦災のままで、屋根がろくに無いホームに列車が入ってきています。星さんの仕事から、写真は客車が多いようですが、まだ木製ベンチの車両が多かったことが判ります。ゴムタイヤ車輪の客車は何両か試作されたようですが、結局、実用にはならなかったみたいですね。連結器の話はAkiraさんの意見の通りで、遊びの多い自動連結器にするなら、貫通幌をバッファー代わりにするような構造にして、前後のガタつきを無くさなくては片手落ちです。中国本土や台湾の客車はそのようになっています。タイにはJR払い下げの12系や24系客車が走っていますが、これらは元の自動連結器の周りに鉄枠を追加し、これにバッファー機能を持たせています。
by KDB (2010-09-07 21:04) 

Akira

こんにちは、KDBさん。

何しろ、その存在すら知らなかった50年代のヨーロッパの鉄道本ですからね。テンションが上がりっ放しです。客車室内の木製シートですが、3等車をHolzklasse(木のクラス)と呼ばれていたくらいですからね。ただ、スイスの3等車シートを見てもわかるように、人間工学的には優秀に出来ています。(座席面のカーブなど)

連結器については、利用者優先か運営者優先かの考え方の違いだと思います。残念ながら国鉄は後者を選んだと言うことでしょうね。
by Akira (2010-09-07 21:23) 

seidoh

こんばんは。

確かに、ブログの写真を拝見しただけでも心がわくわくして、内容の素晴らしさが伝わってくる一冊ですね。「古きが良き」とは必ずしも思いませんが、1950~60年代は、米国を除く当時の先進国において鉄道が交通の主役たり得た、最後の黄金期と言えるのではないでしょうか。

ところで、連結器の件は、私も子供の頃は星さん的な考え方を素朴に信じていました。自連の欠点は遊間の大きさによる衝動ですが、我が国の場合は早くから密連装備のEMUが増殖したおかげで、サービス上もあまり問題にならなかったのかもしれません。それに、かつての貨物ヤードにおける仕訳作業では、やはり自連の利便性は大きなメリットだったと思います。
by seidoh (2010-09-07 22:16) 

Akira

seidohさん、おはようございます。

この本は、本当に当時の西欧地域を知る上での良書と言えます。また、当時の日本の鉄道との比較を考えるのにも良い本なのですが、いかんせん入手が難しいのが問題です。古本で2万円近くするのは...。

連結器ですが、仰るように貨物車両では自動連結器はより効果があるのかも知れません。旅客では日本の場合、密着連結器がついた電車や気動車が西欧に比べて多いですね。ただ、夜行列車などでは、ブルトレを始め客車運用が多かったですから縦方向への揺れ(と言うか振動)の大きさは、欧州の客車と比較にはなりません。自動連結器に変更時にバッファは残しておけば...と。
by Akira (2010-09-08 07:28) 

seidoh

Akiraさん、こんにちは。

夜行列車についてはおっしゃるとおりで、中学生の頃初めて乗った九州急行の10系寝台車では、あまりの前後動の激しさに驚いて寝るどころではなかったことを思い出します。でも、あの頃(70年代前半)は学校の長期休暇の時期など、大阪・九州間でさえ相当早くから予約を入れないと寝台の確保は難しく、庶民にとっては、まだまだ鉄道が主役だったのでしょうね。
バッファについては、確かに客車だけは残しておくべきだったと思います。
by seidoh (2010-09-08 12:46) 

Akira

こんにちは、seidohさん。

私も学生時代に京都から普通列車の「山陰」で10系のB寝台車に初めて乗車しましたが、やはり一睡も出来ませんでした。(まぁ、テンションが上がって寝付けなかったと言うのもありますが..)

寝台に限らず鉄道旅行そのものが混雑との闘いに近かったような記憶があります。東京から休みに高崎へと急行列車で向かうのでさえ早くから並んで席の確保をしたような記憶もありますし...。
星氏は、スイスで学んだ軽量客車の技術を10系客車で実現させましたが、スイスでの車両の乗車率に対して日本のそれが全く異なる環境から、台車の問題を抱えてしまったようです。しかし、その経験を踏まえて、その後の車両にも軽量客車技術が踏襲されたのは、やはり彼の設計思想の基本が間違っていなかったからでしょうね。

私が10系客車の好きなところは、まさにスイスの客車を思わせる車体と1段下降窓の大きさのバランスです。
by Akira (2010-09-08 14:06) 

東西急行

Akira様、東西急行です。私の手元にも星晃氏編集による古冊子「写真で楽しむ世界の鉄道(ヨーロッパ3)」が御座います。
此の度御紹介頂きました一冊は、内容より推して正に其の先駆を成すものと存じます。
掲載写真の多くが二次資料由来乍ら、大戦争の打撃からの立ち直りが非常に早かったと今更乍ら気付かされます。
我が国の自動(握り拳型)連結器導入については、鉄道吏員の人命尊重以前に軸重制限の軛、省鉄機関車各型の非力振り等が絡む不甲斐無い実情に因るものですが、バッファをも廃止した分連結器基部の緩衝機構(史実より太いバネが車端に入っているのかも)、幌連結機構改善(此の部分素人の私見)による衝撃対策と高速走行に耐える台車の研究が併せて行われなかったことも乗客を痛い目に遭わせる原因だったと思います(財政的制約を申せば切りの無いことですが…)。
附記:狭軌でもせめて伊太利亜並に上限軸重が18tであれば、幹線上の優等列車は如何に変わっていただろうと最近思う所です。
by 東西急行 (2010-09-08 20:26) 

Akira

こんばんは、東西急行さん。

おそらくこの本は鉄道ファンが刊行される前の発刊だと思われます。つまり趣味誌としてではなく、鉄道専門書の範疇でしょう。
掲載された写真の多くに駅構内が鉄骨だけの状態からまだ修繕されていないものが散見されますし、本書でも、第1に軌道、そして車両、最後に駅などの設備の補修という優先順位になていたようで、当時はまだ車両修繕の途中段階ではなかったかと思われます。

連結器に関しては、もう書き尽くした感がありますが、狭軌車両としてならスイスのRhBのような中央にバッファを設け、左右にネジ式連結器という方法も無くはなかったです...が、それこそ効率は悪そうですね。
by Akira (2010-09-08 23:23) 

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