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Étoile du Nord [欧州鉄道]

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SNCBの1形機関車がメルクリンH0モデルでリリース(既にメーカー完売)され、それに因んで、先日は"EDELWEISS PULLMAN-EXPRESS"の記事を記しましたが、今回はパリ - ブリュッセル - アムステルダムを結んだ名列車"Étoile du Nord"について記したいと思います。

Étoile du Nordと言えば、TEE時代が一番馴染みがあると思うのですが、そうではなくこの列車が運行始めた1920年代の話です。
CIWL(ワゴン・リ)社は、1926年にパリ - ロンドンで初めて昼行用プルマン列車の運行を始めた大陸側(パリ - カレー)の"Flèche d'Or"を担い成功を収めました。当時パリを中心に需要が多かったのは、ロンドンのほか、CIWLの本社のあるブリュッセル、アムステルダム方面だったこともあり、プルマン列車のネットワーク拡大の初めての路線にこの路線を選び1927年から運行を開始しました。

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▲ 1927年にカッサンドルにより制作された"Étoile du Nord"の素晴らしいポスター

この列車のために、組成されたCIWLのプルマン客車は、1等が"Flèche d'Or"から流用されたWPC/WPSCで、2等は新たに厨房付き(WPSC)の4091-4110の20両と厨房なし(WPC)の4111-4130の20両の合計40両です。この40両のプルマン車両は列車名を取って"Étoile du Nord"と名付けられています。組成はプルマン客車お約束の厨房を中央に挟んだ2両1ユニット、そして両端に荷物車で構成された列車になります。

列車の運行は1927年5月5日から開始されたようですが、当初はブリュッセルで3時間停車だったそうです。定時運行となったのは5月15日からとなったようで、午前中双方の駅を出発した同列車は夕方終着駅に到着というダイヤだったそうです。

カッサンドルによるポスター制作など宣伝効果もあってか、この列車は大変な人気となったようで、当初の1等2両、2等4両、両端の荷物車を8両編成だったのが、1等の2両増結となり10両編成のプルマン列車となり、商業的には成功したようです。1929年からはパリ - ブリュッセル - アントワープを結ぶ列車"Oiseau Bleu"が新たに1往復追加されました。

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▲ 貴重なÉtoile du Nordの写真。独特なデザインのサボはアール・デコです。

この2つのプルマン列車は、長距離国際列車では初めて国境駅での停車をせず、パリ - ブリュッセル・ミディを途中無停車で走りました。そして国境パスポートと税関の管理を移動中の列車で行われ、荷物は出発前と到着後にチェックされました。これらの施策で同区間の列車としては最速列車の1つとなり、所要時間は7〜8時間とのことです。

そして第2次世界大戦が勃発前の1939年9月3日を最後に他のプルマン列車と同様廃止されました。

このÉtoile du NordやOiseau Bleuが復活するのは戦後しばらくしてからですが、Pullman列車の主要顧客である王室、貴族などは次々と没落してゆく中で需要がなくなり、やがてTEEへと道を譲ることになります。
CIWLの一番の華やかだった時代はプルマン客車が登場し、欧州にネットワークを築いた1920年代半ばから第2次大戦前の30年代までだったように思います。つまり10年余りという短い期間、世情不安の中がCIWLの輝いた時期に重なるのは何とも皮肉なものです。

なお、この2つの列車がSNCB内の運行で1形機関車に牽引されたかどうかは未確認です。

参考文献:125 Jahre CIWL Die Luxuszüge - Geschichte und Plakate / EK-Verlag
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