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Orient-Express in der Schweiz 1992 [欧州鉄道]

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ここ数回に渡りCIWLについて記してきましたが、私がまだカールスルーエにいた1992年、NIOEに資料請求したことがありました。その時届いたNIOEのパンフレット一式に同封されていた1枚のチラシがありましたので紹介してみます。

このチラシの表にはOrient-Expressの名前に入ったポスターが印刷されていて、その中にチューリヒからゴッタルド峠を超えてイタリアとの国境駅のチアッソまで往復運転する列車の案内がレイアウトされています。「Orient-Express」の文字の下には、「PULLMAN und SPEISEWAGEN」(プルマンと食堂車)と記されています。(このポスターのオリジナルは、1927年のバーゼル - ミラノを結ぶGottard Pullman-Expressのもので、敢えてOrient Expressとしているのは、その方がイメージが伝わるのでしょう)

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チラシの裏側にはこの列車についての車両や運行ダイヤ、運賃などの詳細が記されています。最上部には、NIOEのロゴマークがあるので車両やサービスはNIOEが担当し、最下段にSBBのロゴがあるのは、企画、販売などにSBBが関わっているようなイメージでしょうか。

このチラシによれば、車両はCIWL 4149 WPC(厨房なし) "Côte D'Azur"と4080 WPC (厨房なし)"Fléche D'Or"1等プルマン客車、そして食堂車の3両のようです。(食堂車の車体番号は不明)

車両の写真は、向かい獅子のCIWLエンブレムの左右に金の矢(Fléche D'Or)が描かれている4080 DEです。この車両はCIWLでロンドンーパリを結ぶ列車の大陸側を担うカレー - パリ間を結ぶ昼行列車の名列車「Fléche D'Or」専用の1等プルマン客車です。(後にEtole du Nordにも使われた?)

中央にレイアウトされている2つの平面図は、上が4149 "Côte D'Azur"、下がWR "Sud Express"とあります。 "Côte D'Azur"プルマンは、名前の通り、「Côte D'Azur Pullman-Express」や「Edelweiss Pullman-Express」、また「Gottrad Pullman-Express」など欧州各地でPullman-Expressネットワークを広げた車両の1つです。
食堂車に"Sud Express"の名称がある車両については、やや複雑な経緯があります。この車両は、元々1926年に製造されたCIWL 2737-2748のグループで製造された厨房つきとなしの1等プルマン客車ですが、2737-2742の6両の厨房つきのグループ(WSPC)の1両(2741)がNIOEに在籍していたので、この車両が食堂車として組成されているのだと思います。この2741は、後にポルトガル向けの食堂車に改造され、1等プルマン客車の面影は平面図からは読み取れません。

時刻表では午前9時過ぎにチューリヒを出発、チアッソには13時前に到着、チアッソから16時過ぎに出発、チューリヒに20時前に到着するダイヤで、往路では朝食とランチのコンビネーション(ブランチ?)、復路ではディナーが用意されます。1等車は2両のプルマン車(WPC)で、3等級制時代の1等車のレイアウトですからかなり贅沢な仕様になっています。(当時の乗車券は3等の2倍料金が2等車で、3倍が1等車の料金です。)
そして2等車は、元1等プルマン車の食堂車の座席が充てがわれるようですが、1等車に比べて現在の食堂車が1+2座席の配置と比較するとやや窮屈な感じでしょうか。
この編成から察するに、プルマン車が厨房なし仕様(WPC)のため、食堂車(WR)の厨房で調理された食事を、各車両に持ってゆくイメージだと思います。

現在はコロナ禍なので、こうした魅力的なクルーズトレインはないでしょうし、NIOE自体が破綻していますので、なかなか再現されることはないでしょうが、1920年代後半から30年代に掛けて、このルートを"Gottard Pullman-Express"が走った時代を彷彿とさせる、こうしたクルーズトレインができる環境は、歴史と文化を重ねた車両を大切に保管していたNIOEを運営するIntraflug AG社があってのことだと思います。
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