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Dampfloks ohne Grenzen [Maerklin-Allgemein]

秋の新製品が告知されて、それらのモデルが今月18日から20日までゲッピンゲンで行われるMärklin Tage / IMA 2015に展示されるという恒例行事なのですが、今朝サプライズを以下メルクリン・オランダサイトで見つけました。

http://www.marklin.nl/nieuws/wereldniveau-op-schaal/

これは、ドイツが統一して25周年を記念して発売される2種類のDRの01.5形モデル(Ep.III 39205/Ep.IV 39206)とEp.IV仕様のUIC-X客車セット(42912)です。
この2種の機関車は時代が違う仕様なのですが、特徴的なボックス動輪を持つEp.III仕様とスポーク動輪のEp.IV仕様の両方のバリエーションをリリースするというのもサプライズです。

UIC-X客車セットは、Ep.IV仕様ながらKobaltblau(1等車)/ Chromoxidgrün(2等車、1/2等合造車、2等/荷物合造車)など旧塗装の6両セットです。(但し、屋根色はダークグレー)
このセットは、東西ドイツがまだ統一前で限られた路線を走る東西ドイツ連絡列車の一つであるD455列車(Frankfurt Main - Frankfurt Oder)を想定した編成です。

私自身は、1988年に2度ほどDB客車で組成された東西連絡列車に乗車した経験があります。往路はHannover Hbf - Berlin Stadtbahnのトランジット列車でしたが、途中国境駅のHelmstedtでDBからDRの機関車に付け替え、しばらく走るとホームのないヤードのようなゲレンデに停車。そこでシェパード犬を連れた国境警備員が乗車し、パスポートチェックはもちろん、それこそ車内をくまなく捜索する光景を目の当たりにし、冷戦時代の緊迫感を身をもって知った次第です。

そういう怖い経験もしながらも、ベルリンへの途中駅で交換した同様のDB客車で組成されたトランジット列車に「Restaurant」の文字が大きく描かれたタルキスカラーの食堂車を見つけたり、東独国鉄の車両に乗車したりと、収穫も多かった旅行でした。それ以来その食堂車(WRtmh 134)の画像を探していましたが、ようやく先日見つけることができたのが以下リンク先です。

http://www.railroadpictures.de/bilder/D--/D---DB/WRtmh-134/komprimiert/WRtmh-134-8880-974-1.jpg

当時でも、鮮やかなOrientrotのカラーリングのIC/EC列車が行き来する西ドイツと比較して、東独に渡るDBトランジット列車は、一昔前のタルキスカラーの列車ばかりで、地味な印象でした。
そのような地味なトランジット列車もドイツ統一からは、DBAGの誕生までの期間もDRマーク以外は徐々にDBに準拠してゆきました。

余分なことを記してしまいましたが、冷戦時代のドイツの鉄道の一端を知る良い機会のモデルの登場だと感じた今回のサプライズでした。
タグ:Dr Ep.III Ep.IV BR01.5 DB
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コメント 4

KDB

ご無沙汰してました。
ついに出ますね、01-5!
好みから言ったらスポーク動輪のほうをIII期で出してほしかったですけどーーー。1973年、私が初めて出会った2m動輪の機関車は、ハンブルク・アルトーナ機関区の薄暗い扇型機関庫の中に居た01ー525号機(ヴィッテンベルゲ機関区所属)でした。仲間内では「人民01」などと陰口を言っていましたが、初対面の印象は強烈で、やはり外せない機関車ではあります。しかしーーー高いですねーーー。
by KDB (2015-09-14 07:54) 

KDB

Akira様
01-5 は35両が 01 改造で生まれ、うち8両がソ連式のボックス動輪付きで、しかもこの8両は左右の歩み板のふちを下に伸ばし、まるでソ連のP36を思わせる形態でした。故篠原正瑛氏が「ソ連の言うことはみな ”ご無理ごもっとも” の、東の共産党好みの機関車だ」と酷評していたのを覚えています。さすがに東のDR当局も「格好が悪い」と思ったようで、歩み板のふちはカットされ、動輪も順次スポークに交換されましたが、ボックス動輪は1970年代の前半頃まで残り、私がハンブルクで見た機関車では 01-503 号機がボックス動輪付きでした(39205はこの形態ですね)。この時は動輪が映らないよう、陸橋の上から俯瞰写真を撮った覚えがあります。しかしソ連の影響は他にもあり、外見では殆ど判りませんが、01-5 に限らず多くの機関車がシリンダーのバルブをロシア人の開発した「トロフィモフバルブ」に交換しています。
東西を結ぶインターゾンネンツークは何本かありましたが、大抵は西側に入った最初の駅で、機関車及び乗務員が交代していたようです。しかし、ハンブルクまでくる列車(3往復ありました)は境界駅のビュッヘンから終着駅(ハンブルクHBFまたはアルトナ駅)まで、そのまま東の機関車と乗務員が来ていました。また、その他の境界駅でも乗務員は一度西側に入るので、思想的にしっかりした人物を乗務させ、亡命されないようにしていたと思います。彼らは厳めしい制服を着て、硬い表情をしていましたが、意外に友好的?で、カメラを構えている私に手を振ってくれました。


by KDB (2015-09-14 10:28) 

Akira

KDBさん、おはようございます。

ボックス動輪は印象がずいぶん変わりますね。一応アメリカタイプというような表現ですが、当時ソ連の機関車もボックス動輪だったので、それの影響かと思うのですがどうでしょう?(「人民01」と揶揄されるのもそのため?)
スポーク動輪のEp.III仕様もいずれリリースされるような気がしますね〜。

さて、1973年と言えば、冷戦真っ只中ですが、当時東西連絡列車でDRのBR 01.5が国境で機関車交換せず西ドイツまで運用されていたのでしょうか?
by Akira (2015-09-14 11:21) 

Akira

KDBさん、詳細な当時の事情を書いていただきありがとうございます。

建築や美術の世界では第2次大戦前までは、極めて個性的で興味深い造形があったのですが、その後はどうも野暮ったいというか頑丈だけが取り柄のような愚鈍な造形という印象です。
スポーク動輪は足元の繊細さを強調する役目もあるので私は好きなのですが、01形自体がスポーク動輪で設計製造されたので全体としてのバランスもスポーク動輪の方が似合いますね。
模型の世界ではROCOやPIKOから結構な数の01.5形がリリースされていますね。実車が35両もあり、動態保存も結構あるようなのでこれからの蒸気機関車なのかも知れません。Ep.、動輪、石炭/重油焚きの違いなどバリエーションも多いので今後のリリースも楽しみですが、そうなると、DRのD-Zug用標準客車のリリースが必要になってきそうですね。以下は、リリースされている同形モデルリストです。

http://www.modellbau-wiki.de/wiki/BR_01.5

さて、東西を結ぶInterzonenzugですが、ハンブルクは特別なのですね。Altonaに大きな機関区(Bw)があったことも要因かもしれませんね。西側では問題なくこの機関車を撮影できるのでファンも多かったのかも?
by Akira (2015-09-14 12:44) 

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