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三岸アトリエ [建築]

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バウハウス100周年で既にいくつかの催し物などを当ブログでも紹介していますが、今回山脇巌が日本で行なった建築の代表作の1つである東京中野区上鷲宮にある三岸アトリエの見学ができると聞き、見学に行ってきました。上画像は三岸アトリエの玄関です。(この部分は1960年代に増築した部分で山脇の作品ではないです)


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外観は、原型を留めていない部分が多いため、面影を感じることすら難しいです。画像は外から特徴的なガラスのファサードを見たところです。

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比較のために、竣工時の同じ場所を撮影した画像を載せておきます。竣工時は家の前の大木もなくハッキリとWalter Gropiusから大きな影響を受けている建物が見て取れます。竣工時は珍しい白くて四角い建物だったので「お豆腐の家」と呼ばれていたようです。

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正面玄関の入口ドアです。ここは現在使われておりません。塗装は記憶を頼りにオリジナルに近い赤色に塗りなおしたとのことです。バウハウスデッサウ校舎も私が訪れた1993年には入り口が白色でしたが、今はオリジナル?の赤色になっています。

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興味深いディテールは門灯です。この門灯は玄関とエクステリア照明に同じ光源が使われています。この建物を作る際予算の制限が厳しく設計者の山脇氏は苦労したそうですが、この照明もそうした理由からかも知れません。玄関の壁に丸穴を開け門灯と共通化させるアイデアは、光源を少なくする合理性はありますが、一方で夜間点灯していなければならないので玄関の照明も点けっぱなしということと、冬場は隙間から空気が入り込むので寒かっただろうと思います。しかし、玄関はドアで室内とは仕切られ閉じられた空間になっています。西面にも大きな窓がありましたが、小型化されています。

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玄関からドアを開けて入室するとそこは吹き抜けの大空間です。これはコルビジェの1925年パリ万博で展示したエスプリ・ヌーボー館の室内のようです。一気に1930年代にタイムスリップしたかのような感覚です。南面の大きな窓はサッシに変えられ当時の美しいスクエアの連続窓はないですが、螺旋階段もオリジナルの姿が残っています。(室内にいる方々は見学者ではなくここのスペースを借りてギムナスティック教室を行っていました)

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ディテールです。ドアノブは、機能を果たしていませんが、1930年代の日本でバータイプ取手のドアノブを使うなど山脇氏のプロダクトへのこだわりを感じます。下の写真は照明?のスイッチです。丸型のタイプでこれもこだわりかも知れません。ドアノブは当時日本では作られていなかったでしょうから、輸入モノかも知れません。Walter Gropiusはドア取手のデザインもしていますが、これは彼のデザインのものとは異なります。

[追記] ドアノブは山脇氏自らデザインされたものということがわかりました。貴重な逸品です。

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施主である三岸画伯は絵の収納場所を2階部分に設けました。上下同じ形状のドアを設け1階はトイレ、2階は絵画収納スペースです。竣工時の写真ではドアの横にハシゴがありましたが、現在はドアだけです。今ここにアクセスするには脚立が必要でしょう。

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螺旋階段を上ると、全体が見渡せます。通常絵画のアトリエは光と影の影響を少なくするために北面に窓を開けるのが通常ですが、このアトリエは南面に開口しています。

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竣工時の写真です。室内北面にすりガラスの壁面が見えます。現状は、窓部分から北側に増築しているのでディテールは変更されています。窓が天井に回り込んではいませんが、竣工時のままでは雨漏りが酷かったそうで屋根を付け替えたと聞きました。その時点でこの部分も無くなってしまったのではないかと思われます。

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そのすりガラスの現状です。窓部分をドアに変更して増築部分にアクセスする開口となっています。ここを抜けて増築された部分は、トイレ、階段、階段下を風呂場になっています。やはり螺旋階段だけで2階へのアクセスさせるのは、実用を考えれば難しいのでしょう。

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2階には畳の部屋があり、ここでご夫人とご家族が寝起きをされていたそうです。

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1960年代に増築しているのでこの部屋の連続ガラス窓が変更されています。バウハウスのデッサウ校舎によく似たデザインの部分だった連続窓が無くなってしまったのは残念ですが、住むには中々難しかったのかも知れません。

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比較のため、竣工時の写真を載せます。増築部分なないときは、このように南面からの連続窓が東面にも続いていました。


この建物は1934年竣工なので山脇巌氏がドイツから帰国した直後に行った仕事です。そのため、彼がバウハウスで学びリスペクトした姿が建築物として遺されているものとも言えます。一方で予算の制限が厳しかったことをこの建物を維持管理している施主のお孫さんから直接お聞きしました。
また施主の三岸画伯は、竣工直前に亡くなってしまったこともこの建物の運命が変わってしまった要因の1つかとも思います。竣工後は奥様とご家族で住まわれていたそうですが、肝心のアトリエとしての機能を活かせなかったことは悔やまれます。

実は、この建物はRC構造ではなく、木造で経年劣化により傷みも激しいです。登録有形文化財にも指定されているのですが、維持管理のための財政援助は一切なく、現在は画像にあるようなスペースを貸し出すことなどで細々と維持を続けざるを得ない状況のようです。東日本大震災時も大きな被害は免れ先日の台風19号の時も雨漏りはしなかったとのことです。できることなら竣工時の状態に復原して文化財として相応しい活用が期待されるところですが、現状は難しいとのことです。

日本では欧州やイスラエルのテルアビブに比べてバウハウス建築が少ないので非常に貴重な存在といえるこの三岸アトリエですが、できることなら竣工時の状態で復原の上、バウハウス関連のミュージアムとしての機能を果たしてもらえればと思います。今も細々とではありますが、カフェも併設されていますので、ミュージアムショップやカフェと合わせて開かれたモダニズム建築住宅遺産としての再起を願っています。

是非今後良い方向にこの建物が維持されてゆくことを期待しています。

参考サイト:
三岸アトリエ
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