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Zugbildung IC Rheinpfeil 1972 (3つのTEE/IC列車から) [Zugbildung]

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▲ クリックすると画像が大きくなります。

昨日の更新から始めた1972年のTEE Rheingoldと、それに絡む列車の編成表シリーズ第2弾がこのIC Rheinpfeilである。

元々、RheingoldとRheinpfeilは、62系列客車を使って運行が始まった青/クリーム色F-Zug時代から、姉妹列車のような形でオランダ2都市及びドイツルール地方とスイス/ミュンヘンを相互に結ぶ列車として運用されてきた。よって、DBの看板列車であるRheingoldと同様、風光明媚なライン左岸線を走り、西ドイツ経済の中心地Frankfurt/Mを経由してMuenchenに至るルートのRheinpfeilもドームカーと食堂車を持つ列車でもあった。
これは、TEEになってからも同様で、国際列車ではないRheipfeilもTEEの名を冠していたのは、おそらくオランダからの客車数両が途中DuisburgでRheinpfeil編成に組み込まれるからとも解釈ができよう。

しかしながら、1971年の冬ダイヤ改正からTEE Rheinpfeilは、Intercityになった。おそらくDBでは、国内優等列車をTEEではなく、新しいカテゴリのIntercityとすることで種別の周知(宣伝?)の意図もあったのかなとも考えられる。(当時のIntercityは、全車1等車で組成され、2等が組み込まれるようになってからはInterCityと「C」が大文字になった)

さて、1972年でもRheinpfeilはIC701としてTEE Rheingoldを補完する列車としてHannoverからDortmundを経由し、そこで更に後方に6両の客車を増結した上で、なんと2両のドームカーを従えてDuisburg迄14両編成で運行されている。(しかも全1等車である)
この14両もの編成で特筆すべきは、Dortmundで増結される1両のドームカーにはペアを組む食堂車がないため、Dortmund - Duisburgでドームカーでのバー営業がされていたのか疑問の残るところである。飲み物だけならドームカーでも提供が可能であろうが、食事を出すのは難しいかも知れない。

そして、ハイライトとなるDuisburg駅でのTEE Rheingoldとの開放と連結の作業は以下のようになろう。

- 9:49にIC Rheinpfeilが到着。
- 前方7両の座席客車を開放。
- 後方2両を開放。
- 9:52にTEE Rheingoldが到着。
- TEE Rheingoldの前方3両を開放。
- TEE Rheingoldの後方2両を開放
- TEE Rheingoldの前方に先程開放されたIC Rheinpfeilの7両を連結。
- IC Rheinpfeilの後方に先程開放されたTEE Rheingoldの2両を連結。
- TEE Rheingold後方に先程開放されたIC Rheinpfeilの2両を連結。
- 11両編成のTEE Rheingoldは組成完了。
- 10:04にTEE RheingoldはBaselへ向けて先行出発。
- IC Rheinpfeilは、TEE Rheingoldから開放された2両の客車を後方に連結し、10両編成となって、組成完了。
- 10:11にIC Rheinpfeilは、Muenchenへと向かけて出発。

つまり、TEE Rheingoldは中程に組成された2両の客車のみ留まり、前後の客車は全て変わるのである。

文章で記すと非常にややこしい開放と連結作業であるので考えられる順番で組成作業工程を記したが、これを毎日20分程度の時間内に全て行うのである。もしモデルでこれら一連の開放/連結作業を行えれば、中々楽しいかも知れないが、結構なスペースも必要であろう。

また、Duisburg HbfをTEE Rheingoldから数分遅れて発車したIC Rheinpfeilは、ちょうど昼食時間帯にライン左岸線をKoblenzまで走り、そこからFrankfurt/M Hbfへと向かう。Frankfurt/MからWuerzburg Hbf、Nuernberg Hbfを経由して最終目的地のMuenchen Hbfへと運行されるが、途中Frankfurt/MとNuernberg Hbfでは方向が変わるため、2回機関車交換の作業がある。今では、NBSがあるため、方向変換されるのはFrankfurt/M Hbfだけで、プッシュプル列車やICEとなった今では機関車交換も不要である。

さて、メルクリンでは、TEE Rheinpfeilセットが112形機関車と共にリリースされたが、ここでのドームカーは狭窓で、当時既に広窓狭窓共通の運用であったと思われるものの、Rheinpfeilの写真を見ると大抵は広窓のため、今度は広窓のドームカーのリリースが待たれる。また食堂車も1972年から順次瘤付き131形から平屋の132形に変わっているので、次のリリースがあるとすれば広窓仕様のドームカーと平屋の食堂車の組み合わせとなれば嬉しい。(すでに両モデルともベースはあるのでドーム部分の変更や印刷の変更で難しくはないであろう)

今回も編成表を作成したものの、特に機関車については資料が足りず未確認のまま全て103.1形としたが、もしこのあたりの事情をご存知(特にHannover Hbf - Duisburg Hbf)の場合は、ご教示頂ければ大変に有り難い。

*なお、編成表のモデル製品番号は、レイアウトの制限で機関車と282mm客車の製品番号のみ記すことにした。

Special Thanks: Kashyさん

参考文献:
Die Geschichte des TRANS EUROP EXPRESS / Alba Verlag
La legende des TRANS-EUROP-EXPRESS / LR PRESS

[EDIT] 2021-1-6
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コメント 2

深山苧環

こんばんは
スイス縛りなどと言いながら… TEEに釣られてまたお邪魔いたします.

ドルトムント~デュースブルク間は作成された図によると15輌編成にも見えるのですが,14輌編成でしょうか?
いずれにしても30m近い車輌が14輌も15輌も連結されて走る姿は壮観でしょうね.しかも展望ドーム車が2輌.
悪いことに我が家には鉄板の展望ドーム車が2輌在籍しています.もし鉄板客車でドルトムント~デュースブルク編成を再現できたら(もっとも鉄板には平屋の食堂車しかありませんが…)などと妄想が膨らみます.きっとうるさいでしょうね.
スイス縛りを忘れて,Lhein方面に走り出してしまいそうです.

しかし,これだけ複雑な分割・併合運転をして長大編成を組成しながら,食堂車が1輌だけというのは確かに物足りないです.
模型ならそれもアンバランスで面白いかな.
キハ時代の白鳥は青森編成にも上野編成にも食堂車が連結されていたのにな~
by 深山苧環 (2009-07-01 23:12) 

Akira

こんばんは。

これは14両編成です。ちょうど切れている上と下は計算に入れないでください。
鉄板客車の1両の平屋食堂車1両とドームカー2両があれば、ちょうど1972年の編成ができますね。瘤付き食堂車は72年に平屋に交代しました。

一昨年家族でドイツ/オーストリア旅行に出掛けた時、途中立ち寄った知人のE氏の会社で作成中のライン左岸線レイアウトは圧巻でまさに当時のTEEを走らせたい光景でした。

まぁ、実際にこの時間帯でこの長編成に乗車している人は多くはないのかも知れません。Duisburgで分割併合後にだんだんと乗客が増えてゆくような気がしています。(Duesseldorf、Koeln、Bonnあたりで乗車が増える?)
by Akira (2009-07-02 00:09) 

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