SSブログ

Bf. Meissenにて [欧州鉄道]

img171a.jpg

ドイツの西側の端でフランスとも近いカールスルーエに住んでいた私は、やはり東側に興味があったが中々行くチャンスがなかった。90年10月の再統一を果たした日から3日後にはベルリンからバウハウス校舎のあるデッサウ迄クルマで旅行をしたが、中々鉄道の写真を撮影出来る機会には恵まれなかった。

それから1年経たない1991年の7月初め、再び東ドイツへクルマで旅行することになった。今度は、陶磁器で有名なMeissenと宗教改革者ルターで有名なWittenbergが目的地である。当時Meissenは、世界的にも知られている土地ではあるが、ホテルは1軒しかなく、現地のツーリストインフォメーションで宿を探すと、案内された場所は一般の住宅であった。当時は一般住宅も観光客のための宿として提供されていたのである。カールスルーエナンバーのクルマが珍しがられたのを憶えている。
画像は、Meissen駅で撮影したものである。

img173a.jpg
img172a.jpg

当時は、まだDBとの統合前なので、駅や車両は全てDRである。東独にも車両デザインの世界はあったのだが、少なくとも画像に出てくる車両にはそれらは全く感じない無骨な造形である。更に車体の掃除も行き届いているとはお世辞にも言えず、DBとは印象が大きく異なっていたのである。

img175a.jpg
img174a.jpg

更に強烈だったのは、上画像の2階建て客車である。一応座席もあるし、走りもするが、車内外とも西側とは比べ物にならない酷さであった。
ただ、地方都市らしいのんびりとした光景は西側の地方駅同様である。1つだけ、この駅で素晴らしかったのは、駅の構内食堂の照明器具がマイセン磁器で出来た大きなシャンデリアであった。

今では、きっと印象が全く異なるマイセンであろうが、マイセンに限らず20年ぐらい前の東側ドイツはまだまだ昔の素朴さが残った美しい田舎町が沢山あったのだ。
タグ:Dr Ep.IV
nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 2

klaviermusik-koba

素朴でこれもいいですね。東側は当時どの国もだいたいこんなかんじでした。でもこの時期もうZパンタは東にも普及し始めたと見えるのが面白いです。
by klaviermusik-koba (2013-07-15 11:47) 

Akira

こんにちは、kobaさん。

壁が崩壊した89年から既に1年半が経ち、街の雰囲気も随分変わって来たとは思いますが、鉄道はまだ取り残されている感じがしました。それでも変わりつつはあったのだと思います。それが東側の隅々まで届くようになったのは、もう暫く掛かったとは思います。マイセンも今やホテルが沢山ある観光地の1つになっていることでしょう。
by Akira (2013-07-15 13:28) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0