SSブログ
前の10件 | -

FD 1980/1981 Königssee 1988 Sommer [欧州鉄道]

1981_Königssee1988b.jpg
▲ 1989年に作成した編成図です。クリックすると少しだけ大きくなります。当時、メルクリンインサイダー会員専用フォーラムで質疑しながら作成したものです。

メルクリンH0で今年の新製品として告知されたFD 1980 "Köenigssee"客車セットを見て、ぜひこの列車の編成表を作成したいと考え、調べてみると、どうしても旧塗装の同列車の資料が見つからず、更に調べを進めてゆくと、メルクリンからアナウンスされた旧塗装の仕様のモデル群はダイヤ改正直後のかなり限られた期間のみ運用されていたのではないか...と思うようになりました。

・・・・・

私がドイツ留学で渡独したのは1988年8月。初めて降り立ったブレーメン空港は、当時地方空港として相応しい規模の小さな空港で、タラップから階段を降りると夏なのに15度という気温でとても寒かったことを覚えています。
この時まで(西)ドイツに足を踏み入れた経験は2度ほど。初めての時は大学生時代の独自企画のツアーで、そして卒業後、就職して2年目の冬休みに友人と二人で旅行をした時の2回。既に東京のドイツ語学校で1年間勉強したとは言え、実用のドイツ語もまだほとんどできない中、ドイツの語学学校で選んだ場所がブレーメンだったことによります。

1988年と言えば、1985年にドイツの鉄道が開業150周年を祝い、Neumeister DesignによってデザインされたICE-Vが登場し、ドイツ連邦鉄道(DB)として最後のCI/PIを発表した年から3年が経ち、当時発表されたInterRegioが高速新線を経由して走りはじめた年でもありました。
当時DBでは、伝統的なD-Zugを地域間急行として新しい種別のInterRegio(IR)に置き換えようとモダンなデザインに改造したUIC-X客車を使って、2時間おき定時発車のタクト運用を始めました。まだ1路線でしたが、車両が単なるリニューアルとは異なり、台車と台枠、車体以外は全て新しくしたほぼ新車のような車両だったことや、IC/ECとは異なり特別料金を取らない地域に根差した列車だったこともあり、利用者には概ね好意的に受け入れられ路線ネットワークは次第に拡大してゆきます。

一方、ICEが登場する前ですから、IC/EC列車はDBの最高種別として主にビジネス利用が多く、長距離利用者が1時間ヘッドで西ドイツを網羅する全国ネットワークが築かれていました。(日本のL特急はInterCityによく似たコンセプトでした)
更に、主に観光利用を狙った長距離列車もDBでは少ないながらも走っていて、北ドイツのハンブルクやルール地方からの利用者をアルプス山脈が連なる南ドイツ・オーバーバイエルンの観光地へと結んでいました。それはICではなくFD(Fern D-Zug)という種別で、IR同様IC/EC料金を必要としない長距離列車でした。車両自体は、ほぼIC/ECと同じ1等区分室車、1等開放室車が62系列(Avmz 111/Apmz121)、あるいはEurofima客車(Avmz 207)、また2等区分室車はUIC-X(Bm 235)、2等開放室車はUIC-Z(Bpmz 291)を使用していて、供食車両は当初はQuickPickやCafeteria車両、後には半室食堂車(ARmz211/217)や全室食堂車(WRmh132やWRmz135)などが組成されていたようです。*形式は他にもあります。
そして列車名も観光向け列車らしく「Tegernsee」や「Alpenland」など南ドイツの観光地の地名や名称が付けられていて、名前を聞くとFD列車であるとイメージしやすくなっていました。

fd1980knigsseeigs3b.jpg
▲ 1988年夏ダイヤの"FD 1980 Königssee"編成表の資料。クリックすると少し大きくなります。

さて、今年のメルクリンH0の新製品にはDB時代のInterRegio客車が28.2cmモデルとして告知された他、"FD 1980 Köenigssee"客車セットが発表されました。
この"FD Köenigssee"は、他のFDとは異なり、唯一当時の高速新線を経由してハンブルクからブレーメン経由でハノーファー、そしてミュンヘンへと結ぶ観光特急という位置づけで、車両も最高制限速度200Km/hを施した車両のみを使っていました。更にはその車両はトンネルの多い高速新線を経由することから、気密仕様に改造された新塗装の最新客車が用意され、IC/EC列車でさえまだ高速新線経由以外の路線では、通常仕様の車両と混成されたり、旧塗装と気密仕様ではない新塗装車両が混成する運用が多かったりしたものです。*ブレーメン中央駅は、ハンブルクとルール地方経由で南下するIC列車の停車駅でした。

しかし、メルクリンから発表された1988年仕様とされたH0客車セット(43767/43768/43769)は、全て気密仕様ではない旧塗装でした。私がブレーメン中央駅で撮影したり、この列車を使って遊びに出かけたりした時は、既に全車両が最新仕様の客車で組成されていましたが、ダイヤ改正当初の5月あたりの写真を見ると、旧塗装の客車が混成されていたりしてのを確認しています。更に1988年の夏ダイヤ改正では、列車番号がFD 780/781からFD 1980/1981に変更されていて、この改正が走る路線、車両変更の大きな変更点だったとまだ未確認ながら感じています。(未確認としたのは、1987/88冬ダイヤの列車番号の確認が取れていないためです)

そうなると、今回のメルクリンH0新製品で発表された客車セットのモデルは、もし1988年夏ダイヤ改正後すぐの過渡期の編成を想定したものとするならば、これだけでは両数的にもちろん足らず、もしかしたら来年度以降、これの増結セットや単品モデルとして、気密仕様の新塗装がアナウンスされるかもしれないと、期待してしまいます。
ただ、そう仮定するとアナウンスされた1等/食堂合造車ARmz 211(43767)は組成されていたのか?という疑問が湧いてきますが、このモデル自体は新設計のため、歓迎したいモデルでもあるわけです。

一方で、なぜメルクリンは特徴的なIRブルー仕様の客車セットに(でき)しなかったのか?という疑問は湧いてきます。食堂車のWRmz 137 "Bord Restaurant"はTouristik塗装としてインテリアは異なるもの同形製品を既にリリースしています。1等区分室や2等開放室の座席車両も既にあり、無いのは唯一の新製2等区分室客車 Bvmz 185ぐらいでしょうか。

最後になりますが、冒頭に記している編成表は、全てIRブルーに塗装(Bord Restaurant食堂車のみOrientrotのIC塗装)かつ気密仕様の車両のみで組成された編成表のため、今回のモデルセットの編成表ではありませんが、1988年夏ダイヤのものであれば、形式が異なるものの参考にはなるかと思います。

このテーマについて、何かご存知のことがあればコメントいただければありがたいです。謎の"FD 1980 Köenigssee" 1988 夏ダイヤです。
nice!(0)  コメント(3) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

Lotus Biscoff Sandwich milk chocolate flavour [グルメ]

IMG_8662b.jpg

少し前に同じベルギーのLotusのサンドビスケットの紹介記事を記しましたが、それは早々に食べ終わって近くの売っているお店に行くと、3つのクリームのうちチョコフレーバーのみ売り切れていて、最近の輸入品価格の高騰もあって手にしづらくなっていました。それでも何軒かのお店のうち最も安価で売られているお店で久しぶりに入荷があって、昨日その一番人気らしいチョコ味のクリームを買い求め、早速いただきました。

前に食べたビスコフクリームについては、スプレッドとほぼ同じシナモンキャラメル味なので想像がつきましたが、これはLotusでは初めて食べるチョコです。フレーバークリームなので、チョコレートではないにせよ、高級チョコレートが軒を連ねる食通の国ベルギーなのだから、美味しいだろうと思い試して結果は....カラメルビスケットが強い個性を出しているこのサンドなので、クリームはそれに負けない強さを出しているのかと思いきや、案外敢えて馴染ませているのではと思うほど、チョコクリームには個性が感じられず、違和感なく食べられました。
キャラメルクリームの方がかえってその風味が強調されて個性が際立つほど..ではないかと思いました。

逆説的に捉えれば、このサンドビスケットはあくまでLotusのアイデンティティを貫いている1つである..と言えなくもないでしょう。一つ言えることは、このサンドビスケットも苦味の効いたコーヒーには良く合う。そこが最大の魅力ではないかと思います。

アマゾンサイトに在庫はあるようですね。
ロータス ビスコフサンドミルクチョコレート 150g
タグ:Biscoff lotus
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

DBP Post mr-a/26 / Ep.IV [Maerklin-Reisezugwagen]

T23150b.jpg
▲ DBP Post mr-a/26 | TRIX T23150 Quelle TRIX

今年のメルクリンH0、TRIX H0から新製品として告知された郵便車が、28,2cmモデルとして初めての新設計モデルになります。久しぶりの郵便車両モデルの登場にやや興奮している私ですが、今まで27cmモデルの郵便車としてリリースされていたPost mrzとは少し異なる丸屋根の新しいモデルについて少し調べてみたくなり、手元にある資料を開いてみました。

IMG_8657b.jpg
▲ Post mr-a/26(後期タイプ)の図面 Quelle: WAGEN Das Archiv der deuteschen Reisezug und Guterwagen / GeraMond

上画像は資料にあったPost mr-a/26の図面です。この図面や実車画像を見ると、一番の特徴だと思っていた丸屋根ではなく、Post-mrz同様の切妻屋根のスタイルでした。
つまり、この形式は丸屋根と切妻屋根の2つの屋根形状があり、1954年製造の初期タイプは丸屋根、1967年以降製造の後期タイプは切妻屋根の仕様のようです。

さて、この丸屋根仕様のPost mr-a/26について調べたことを記したいと思います。日本同様、既に鉄道郵便自体が廃止となっているドイツでは、全車現役から外れほとんどは廃車解体され、一部は売却、また民間の鉄道車両保存団体で保存されている車両もあるようです。そのうちの丸屋根の初期タイプの1両がウルムに本拠地のあるUlmer Eisenbahnfreundeで、そこのサイトには、この車両についての詳細が以下記されています。また、Wikipediaのドイツ語版にも、この車両についての記述があります。

Post mr-a/26は、1957年(Ep.III)に、Crede & Co、Maschinenfabrik Esslingen、Westwaggon AG Mainz-Mombach、Orenstein & Koppel、Rathgeber 及び Talbotにて合計72両が(UIC番号以前の形式である)Post 4mg-bl/26として製造されました。(ドイツ語版Wikiでは1954年からLHB社にて製造とあり、両記述の真偽については未確認)
さらに手元にある客車貨車資料集には1967年以降の切妻屋根仕様の後期タイプのみの記述しかなく、求めているモデルの初期タイプの情報を見つけることができませんでした。(この資料集はリフィルタイプのため、今は既に存在している可能性もあります)

さて、メルクリンやTRIXのページにはPost mr-aのみで「/26」がありませんが、この数字は全長を表すもので、UIC-Xに属しているこの郵便車は全長26.4m車両になります。そのため、28.2cmモデルのH0郵便車両として初めてのスケールになります。
室内は、おそらく1967年以降の後期タイプと同様であると思われるので、「Briefraum」(手紙仕分け室)、「Aussackraum」(郵袋取出し室)、「Packraum」(梱包室)の3つに分かれているレイアウトは変わらないと思われます。
また、車体側面外側には郵便ポスト投函口が設備されているため、おそらくこの列車の運用と時刻を理解していれば、駅から最も早い郵送が可能だったと思われます。

ちなみにまだリリース前のため、未確認ではありますが、メルクリン/TRIX両モデルの説明文には同じ記述があるため、運用などは同じ仕様としているようです。(以下はTRIXモデルから転記)

Bahnpostwagen Bauart Post mr-a der Deutschen Bundespost (DBP), eingestellt bei der Deutschen Bundesbahn (DB). Ausführung als Allespostwagen mit Abzugshaube für Kohleofen, seitlichen Luftansauglamellen und Luft-Umschalteinrichtung. Wagenlauf: Ulm – Friedrichshafen/Ravensburg. Chromoxidgrüne Farbgebung. Betriebszustand um 1978.

[日本語訳]
ドイツ連邦鉄道(DB)に所属するドイツ連邦郵便(DBP)のPost mr-a形郵便車両。石炭焚きストーブ用の排気フード、側面吸気ガラリ、空気切り替え装置を備えた多目的郵便車両として設計されています。列車運用: ウルム – フリードリヒスハーフェン/ラベンスブルク。クロムオキシドグリーンの塗装色。 1978年頃の仕様。

またメルクリンモデル(半室荷物車とのセット)の記述では以下記されています。

Post- und Gepäckbeförderung bei der Eisenbahn – das war einst gelebter Alltag und seit der Frühzeit des Schienenverkehrs eine naheliegende Selbstverständlichkeit. Als ab den 1950er Jahren die neuen, komfortablen 26,4 m-Schnellzugwagen die bundesdeutschen Schienen eroberten, beschaffte die Bundespost im Laufe der Jahre 685 dazu passende neue Bahnpostwagen. Der alten Tradition folgend gab es nicht nur einen Einwurfschlitz für Briefe, es wurde in diesen Fahrzeugen auch während der Fahrt an der Postverteilung gearbeitet. Und das nicht nur in Schnellzügen. Bis in die späte Bundesbahnzeit gab es feste Postwagenumläufe auch abseits der großen Magistralen, wie zum Beispiel in Eilzügen auf der württembergischen Südbahn Ulm – Friedrichshafen, in denen meist auch Reisegepäck befördert wurde. In jener Zeit reichte dafür aber in der Regel ein sogenannter Halbgepäckwagen. Diese Variante der 26,4 m-Schnellzugwagen (BDüms) war ab 1958 in 138 Exemplaren gebaut worden. All das ist längst Geschichte. Die über 150 Jahre währende Erfolgsstory der Post- und Gepäckbeförderung hatte in den Augen der modernen Bahnmanager Anfang der 1990er Jahre keine Zukunft mehr. Der letzte Gepäckschalter schloss 1995, Postwagen liefen noch bis 1997 – zuletzt aber fast nur noch in schnellen Post-IC-Zügen.

[日本語訳]
鉄道で郵便物や荷物を運ぶことは、かつては日常生活の一部であり、鉄道輸送の初期から当たり前のことでした。 1950 年代に新しく快適な 26.4 m の急行列車車両がドイツの鉄道に登場した際、連邦郵便局は長年にわたってそれらに合う新しい郵便車両を 685 台調達しました。古い伝統に従って、手紙の投入口があるだけでなく、移動中にこれらの車両で郵便物を配布する作業も行われました。旅客列車だけではなく、連邦鉄道時代後期までは、ヴュルテンベルク南部鉄道ウルム - フリードリヒスハーフェン間の急行列車など、主要路線から離れた路線でも定期郵便車の運用があり、通常は荷物が運ばれていました。当時は、いわゆる半室荷物車で十分でした。 26.4 m のD-Zug用車両 (BDüms) のこのバリエーション例は 1958 年以降 138 台製造されました。それは今やすべて歴史になっています。現代の鉄道管理者の目には、郵便と手荷物輸送の 150 年にわたる成功物語は、1990 年代初頭にはもはや未来はありませんでした。最後の手荷物カウンターは 1995 年に閉鎖され、郵便車両は 1997 年まで運行されましたが、最終的にはほぼPost-IC-Zugと呼ばれた高速列車のみ運用されました。

この新しいモデルを少し調べてみると興味深い事実が見えてきて、特に1967年以降の後期タイプもこのモデルをベースに容易に製品化が可能と感じました。こうしたバリエーションは、62系列客車のように丸屋根と切妻屋根の2種が既に実現しているモデルもありますので、こうしたちょっとした違いをバリエーションとしてリリースするのも期待してしまいます。
いずれPost mrzも28.2cmで用意して200Km/hで走るPost-InterCityの実現もできれば更に興味深いEp.IV時代の郵便列車世界が広がることでしょう。

参考サイト:
Bahnpostwagen 4mg-bl/26 / Ulmer Eisenbahnfreunde
Post mr-a/26 / Wikipedia(ドイツ語版)」

参考文献:
"WAGEN" Das Archiv der deuteschen Reisezug und Guterwagen / GeraMond München

[EDIT] 2024-04-22
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

CIWL Pullmanwagen [欧州鉄道]

CIWL-Pullman_00b.jpg
▲ クリックすると拡大画像で見ることができます。

昨年のメルクリンH0新製品でCIWL鋼製車輌モデル(42470)が登場して以来、...その先の展開が気になるのは私だけでは無いでしょう。今回はプルマン車輌(2タイプ、計4種)と荷物車両のモデルが登場しましたが、先日のブログ記事でも記したように26種類ものCIWLプルマン列車が存在していたようで、これらプルマン列車がどのような車両で運用されていたのかがとても気になります。

CIWL客車は、全ての車両(寝台車、食堂車、プルマン車、荷物車など)が4桁の通し番号であるために、番号での分類が極めて難しく、理解するには上図のようなリスト化が必要になります。CIWLではドイツのような制式としている形式が曖昧で、車体に表記されていないタイプとして表現されています。1960年代末のUIC化で、一応統一的な車両の理解は得られるものの形式分類的には難しいというのが私の印象です。

そこで手元の資料(CIWL客車リスト)からプルマン車両のみを抽出して上画像の一覧表を作成してみました。こうして整理してみると色々なことが見えてきます。
例えば、プルマン車両は、1925年〜30年までの5年間のみ製造されていたことや、そのような短期間でも数種類の異なるタイプのプルマン車両が登場していたこと。3等級制(ALは4等級制)の中で1・2等のプルマン客車があったこと。その2等車はフレッシュ・ドールとエトワール・デュノールの2タイプ(エトワール・デュノールは2等のみ)あり、両車とも厨房のあるなし含めて30両(フレッシュ・ドール)、40両(エトワール・デュノール)にもなるので話題にもなっていなかったでしょうが、1等と2等の両等級車両で組成されるであろうプルマン・エクスプレスであるので、むしろどの列車も編成は同じかも知れないと感じたのですが、実際は1等1両+2等2両+荷物車というような編成もあり、運用される路線の状況で様々なパターンがあるようです。

戦前の列車組成表は、なかなか見つからないため、正確かどうかは....疑わしい...かも知れませんが、今後メルクリンからCIWL客車が登場する度に車両と運用の資料調査をすることがライフワークの1つになりそうな予感がしていますw

さて、再び上図のリストですが、手元にある資料のみで作成しているため、「?」など不備な点があり、このリストの誤記はもちろん、追記すべき点なども含めてご覧の皆様のご知見をいただければ嬉しいです。

[参考文献] L'INDÉPENDANT DU RAIL 64 / FÉVRIER 1969
タグ:Ep.II CIWL Pullman
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

Ostende-Köln-Pullman-Express ? [Maerklin-Allgemein]

昨日だったかFacebookのメルクリンアカウントから興味深い画像が掲出された。それは以下のコメント付き画像。
Grüße aus #Göppingen.

想像の域を出ない話ではありますが、この画像はドイツファンに向けて美しいCIWLプルマン客車をDRGの蒸気機関車BR03に牽引させた編成で、実際にこうした列車が走ったという実証など、特に深い考えはなく掲出したと思うのですが、戦前DRG時代の03形機関車に牽引される美しいCIWL客車編成の良く似合う姿に、もしかしたら実際にあったのではないか...と、ちょっと調べてみました。

CIWLは、当時から欧州を中心に寝台や食堂車の車両とサービスを担っていましたが、もう1つ供食機能を持つサロンカーでもあるプルマン列車の車両とサービスもCIWLの華として欧州各地で走っていました。その1つがメルクリンからリリースされた"EDELWEIS-PULLMAN-EXPRESS"で欧州のオランダ - スイスを結ぶ昼行列車でした。CIWLは、オリエント急行やル・トラン・ブルーなど寝台列車の夜行列車、そして昼行のプルマン列車は、航空旅客機が黎明期だった当時、これらCIWL車両だけで組成された列車は、ブルジョア階級以上の御用達でもありました。

さて、画像の話に戻りますが、戦前ドイツはDRG(ドイツ鉄道公社)傘下のMITROPAがCIWL同様、寝台と食堂車の車両とサービスを行っていて、ドイツ国内(と言っても戦前はソ連国境までドイツ領だったりします)は、MITROPAの営業エリアだったことは容易に想像ができます。
とは言え、CIWL車両は一切ドイツ領に入線しなかった訳ではなく、主に夜行の国際列車では戦争勃発まで多くの列車がドイツと連絡していました。

ただ、昼行のプルマン列車が03形に牽引されてドイツで走っていたか?ということに対しては、今まで全く調べていなかったこともあり、この画像を観た瞬間から興味を持ってしまいました。ワーグナーデフの03形は矍鑠とした美しさと重厚さを持つ機関車で、ヴィッテデフの03形とは印象が全く違います。

Ostend-Cologne-Pullman,_1931,_Southern-n.jpeg

▲ "Ostende-Köln-Pullman-Express"の時刻表つきチラシ Quelle: Wikipedia

そこで、CIWLのプルマン列車がどれほどの路線で運用されていたか調べてみると、列車名を持つ26列車が存在していたことがわかりました。有名どころでは、"EDELWEISS-PULLMAN-EXPRESS"のほか、(London-) Calais-Parisを結ぶ"Flèche d’Or"やカッサンドルのポスターで有名な"Étoile du Nord"がありますが、これら列車は、フランス、ベルギー、スイス、イタリア、ルーマニア、エジプトなど主にラテン系諸国が欧州CIWLの昼行列車の勢力範囲であったことがわかります。

そのようなエリア中心の中でドイツを発着するCIWLプルマン列車が1つ見つかりました。それがOstende – Brüssel – Liege – Kölnを結ぶ"Ostende-Köln-Pullman-Express"を見つけました。この列車名から見つけたのが画像の時刻表付きOstende-Köln-Pullman-Expressチラシです。

これを見ると、ベルギーとドイツの国境であるAachen(フランス語でAix-la-Chapelle)からKölnまでドイツですから、牽引機関車はDRG所属です。この区間を03形が運用されていて実際牽引していたようでドイツの重厚な機関車に牽引されるCIWLプルマン客車列車も魅力的です。

- - -
「比較的軽い列車は、SNCBのベルギーで最も重い機関車によって牽引された。 ベルギー国鉄は、1910 年に購入した NMBS/SNCB シリーズ 10 パシフィックをオーステンデとアーヘン間で使用しています。 アーヘンからケルンまでの短い区間で、ドイツ帝国鉄道は機関車の配置を数回変更しました。 当初は旧プロイセン製の17.0-1系および39.0-2系の機関車が使用され、1936年以降は新規格のDR系03系機関車が使用された。」
Wikipedia/ドイツ版(Ostende-Köln-Pullman-Express)から引用
- - -

この時刻表を見るとロンドン(ヴィクトリア駅)を10:30に出発しドーバー海峡駅に12:11に到着。ここでフェリーに乗り換えて12:30には出発。(乗換時間が短いので乗客は大変だったろうと想像できます)15:30にオーステンデ港に到着するので、乗船時間は3時間。現在は海底トンネルをEurostarが走るので大きな違いです。おそらく船内でランチをゆったりと食べていると食後のコーヒーを飲み終える頃には到着するダイヤになっているのでしょう。オーステンデ港でいよいよ、CIWLのプルマン列車がフェリーからの乗換え客を待っていて、発車まで時間は55分とゆったりとしているため、国境検査などはここで行われるのでしょう。16:25にオーステンデ港を発車したプルマン列車は、ブリュッセル(北駅)に向かい、ドイツ国境のアーヘンには20:55に到着。機関車をSNCB(Reihe10)からDRG(BR 03)に交換して発車するのが、21:03です。ドイツ国内はラストスパートでケルンに向かい、到着は21:58と夜10時近いです。
プルマン列車の運用としては6時間半程度。プルマン車内では、カフェタイムに始まり、ディナーの供食(フルコースでしょう)があり、この列車のプルマンとしての機能は十分に果たしています。
また、この時刻表によれば、ケルンからは、ハンブルク、ベルリン、ライプツィヒへ夜行列車が接続しています。これはMITROPAなのかCIWLなのかは不明ですが、ロンドンからの乗客はケルンまで丸1日、ベルリンまでは1泊する旅程となり、当時の旅行は如何に時間を要したかが理解できます。私も幼少の頃から時刻表を読むのが大好きで、脳内旅行を楽しんでいましたが、欧州の場合は国境を越えスケールも違うので、更に楽しい妄想旅行ができますね。

さてその編成ですが、資料(Wikipediaドイツ語版)にある文章を記します。
- - -
1925 年から導入された他の CIWL プルマン列車と同様、オステンド - ケルン プルマンはプルマン車と荷物車で構成されていました。 原則として「エトワール・デュ・ノール」タイプのプルマン車両のみが使用され、荷物車はSNCBから提供された。 導入当時、列車は 2 両のいわゆる「連結車」で構成されており、1 両はキッチン付きのプルマン車両、もう 1 両はキッチンなしのプルマン車両でした。 車両のうちの 1 台は 1 等で、残りの 3 台は 2 等でした。 世界経済危機による需要低迷のため、1930年代初頭から編成は厨房のない1等車と厨房のある2等車からなる連結器に縮小された。 乗客数が多い場合には、3 台目のプルマン車が追加されることもあり、そのときは「トリプラージュ」と呼ばれていました。 1929 年から 1933 年まで、この列車はオーステンデからベルリン、リガ、ワルシャワまでのオステンドとブリュッセル間のノルド急行の直通車両も運行しました。(Google翻訳による原文ママ)
- - -

上記を整理すると、1930年年代の編成では、メルクリンモデルでも製品化されているCIWLプルマン客車(エトワール・デュ・ノール)厨房付きとなしの2両1ユニット(厨房なし1等プルマン"WP"+厨房つき2等プルマン"WPC")と荷物車(F)の3両編成で運用されていたようです。多客期はこれにもう1両の(厨房なし2等プルマン?)が増結され4両編成で運用されていたようです。ベルギーのOstende - Brüssel間は夜行寝台列車"NORD-EXPRESS"のKurswagenも連結されていたそうです。
*この記述では「CIWLプルマン客車(エトワール・デュ・ノール)で列車は組成されている」..とありますが、CIWLプルマン客車(エトワール・デュ・ノール)は2等のみなので、1等は「フレッシュ・ドールプルマン」、或いは「コート・ダジュール」プルマンになるはずです。(おそらくフレッシュ・ドールプルマンと想像します)

さて、冒頭にリンクしたメルクリンの配信した03形牽引のCIWL Pullman列車ですが、まだ製品化されていないSNCB Rheihe10とワーグナーデフ付きDRG BR03、CIWL Pullman Typ. "Étoile du Nord"、SNCBの荷物車による客車セットがリリースされることをちょっと期待します。更にはNORD-EXPRESSのOstende-Köln-Pullman-Expressに連結されるKurswagen(CIWL寝台車)が増結セットでリリースなどということになれば、更に嬉しいですし、”Ostende-Köln-Pullman-Express”ではなくても、1930年代大動脈の1つParis – Brüssel – Amsterdamに運用していた特徴的なサボがついた(茶/クリームの?)"Étoile du Nord"が製品化されるのも良いでしょうね。

ドイツのメルクリンファンはもとより、ドイツの蒸気機関車に牽引させたいCIWLプルマン客車は、この記事で少しその夢を果たせるのであれば嬉しいです。

参考文献:
Ostende-Köln-Pullman-Express/Wikipedia ドイツ

[EDIT] 2024-04-14
nice!(0)  コメント(3) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

EDELWEISS-PULLMAN-EXPRESSとRHEINGOLD EXPRESS [欧州鉄道]

IMG_8617b.jpg
▲ Quelle: DER RHEINGOLD EXPRESS / Motorbuch Verlag

メルクリンH0の昨年の新製品CIWL "EDELWEISS-PULLMAN-EXPRESS"セット(42470)が日本でも市場に出回り、オランダとスイスを結ぶ2つの列車について以前当ブログでも記しました。
そこで今回は、この2つの列車の具体的な競争と協調関係について記してみたいと思います。

上画像(上)は1929年のBasel SBB駅で並ぶRHEINGOLD-EXPRESS(左)とEDELWEISS-PULLMAN-EXPRESSです。
一方上画像(下)は、1930年から1938年までBasel SBBからZürich HBまで、更に夏ダイヤでは、一部Kurswagenとして保養地Luzernまで、この2つのライバル列車が混結する形でSBBの電気機関車に牽引されて一路Zürichに向かう様子のショットです。

IMG_8618b.jpg
▲ "EDELWEISS" 1935年夏ダイヤ 何故かこの時刻表にはRheingoldと異なり、食堂サロン付きとは記されていません。Baselまでは一般座席車両も連結されていたのかも?|Quelle: DER RHEINGOLD EXPRESS / Motorbuch Verlag

この時刻表は、EDELWEISS-PULLMAN-EXPRESSのものです。早朝8:00すぎにAmsterdam CSを出発した列車は、ベルギーのBrüssel、ルクセンブルク、Strassbourgを経由し、Basel SBBに18:00丁度に到着するダイヤです。その後、Zürich HBには20:03、Luzern HBには20:24と、アムステルダムからバーゼルまで所要時間は10時間、チューリヒやルツェルンまで12時間以上と今では気の遠くなるような長時間旅行ですが、その長い時間車内では退屈させないサロンカーとして寛ぎと供食の体制が整っていたはずです。おそらく朝食、ランチ、午後のティータイム、Baselから先は夕食まで提供されていたと想像できます。

IMG_8619b.jpg
▲ "RHEINGOLD" 1935年夏ダイヤ |Quelle: DER RHEINGOLD EXPRESS / Motorbuch Verlag

一方のドイツの看板列車RHEINGOLD-EXPRESSは、同じオランダでも出発駅がアムステルダムではなく前日夜出発のロンドンからの列車(Continental Express)でHarwich港まで、そこでフェリー(L.N.E.RのSS Amsterdamなど)に乗換え船内で1泊、翌朝接続する港町のHoek von Hollandが発着駅で6:58に出発。(UtrechtでHoek von Holland発着と連結するAmsterdam CS発着もあり)ロッテルダムでEDELWEISSのルートと離れ、ユトレヒト、Düsseldorf、Köln、Mainz、Karlsruheを経由しながらライン川に沿って南下、EDELWEISS-PULLMAN-EXPRESSがBasel SBBに到着する同時刻にBasel Reichesbahn(現在のBasel Bad)到着。そしてBasel SBBには18:19に到着するダイヤになっています。始発駅からBasel SBBまでの所要時間はEDELWEISSよりもさらに1時間ほど長く掛かったようですが、両列車が停車するロッテルダムからバーセルまでの距離を比較すると、29KmほどEDELWEISSの方が短いです。
Basel SBBではこの2つの列車を連結し、2列車を1両の当時最新型のAe4/7形電気機関車で牽引しRHEINGOLD-EXPRESSとしてLuzern HB、また夏ダイヤではLuzern HBへも結んでいました。

この時刻表は1935年夏ダイヤで、ドイツではナチが政権を掌握した2年後で、少々キナ臭い社会の雰囲気が感じられる中、ブルジョア階級御用達のこの2つの列車は、ビジネスやバカンスの足として毎日走り続けたのでしょう。

CIWLは、オリエント急行で有名ですが、ベルギーに本拠地を置き、西欧から中・東欧、北アフリカ、中東、ソビエト、中国、満洲国にまで自社車両で運行するサービスネットワークを持つ国際寝台会社でした。一方MITROPAは、ベルリンに本社があり別会社ながらDRGの子会社として寝台や食堂車のサービスを行っていた会社でした。看板列車のRHEINGOLD-EXPRESSはMITROPA唯一のプルマン車両で運用されていて、CIWLがPULLMAN-EXPRESSを多方面に運用していたのとは対照的です。ただ、CIWLのプルマンも総車両数はそれほど多いわけではなく、限られた特別な列車であったことは間違いないようです。

メルクリンH0では、この2つの列車で使われた客車は模型化されているので、スイス国内での編成も可能と思います。Ae4/7形機関車モデルはメルクリンH0では製品化されていないですが、折角2列車とも客車が揃っているので、美しい山岳レイアウトの上を走る模型の世界でも楽しめるスイス形ファンのためにも製品化の検討をして欲しい機関車です。

[EDIT] 2024-04-08
nice!(0)  コメント(6) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

Lotus Biscoff Sandwich Biscoff Cream [グルメ]

IMG_8513b.jpg

以前このブログでもベルギーに本拠を置くLotusというのシナモンが入ったビスケットブランドのスプレッドについて2回ほど記事にしていますが、今回はそのLotusから発売された3種のビスコフサンドというロータスビスケットにクリームが挟まれたサンドビスケットを試してみたので紹介します。

初めてLotusビスケットを知ったのは、ドイツのカフェでした。そこでコーヒーを頼んだ時、一緒についてきたのが個包装のビスケットで、シナモンが口いっぱいに拡がる個性的なビスケットの味とコーヒーとの相性の良さで、このビスケットにすぐに虜になってしまいました。

日本に帰国後は、しばらく日本で売られていることを知らずにいましたが、ショッピングモールの輸入食品店で久しぶりに見つけて嬉しかったのを覚えています。その後、同じLotusブランドでパンに塗るスプレッドも発売され、ビスケット同様シナモンが効いたトーストしたパンや丸パンにも勿論合うのでこのブログでも紹介しました。

さて、今回は近所のお菓子店舗で3種類のサンドビスケットを見つけて思わず1つ購入しました。3種の違いはビスケットに挟まれたクリームで、1つは画像にあるビスコフクリーム。あとはチョコクリーム、バニラクリームになります。

最初から味の方向性がわかっていただけに安心して購入しましたが、思った通りの味と風味でした。ただ、ビスケットもクリームも甘いので、ダブルの甘さがちょっと気になりました。ビスケットの成分は変えられないでしょうからクリームで少し甘さの調整をした方が良かったかなとも思います。一方で、エスプレッソなど濃いコーヒーと合わせると、甘さと苦味が重なってちょうど良いかも知れません。これがマリアージュなのかもです。
暖かな春の気候になってきましたが、午後のひとときをメルクリンと共にビスコフサンドを共にしたカフェも悪く無いかもです。

さて、最近になってこのLotus Biscoffもバリエーションを増やしてきているようです。本家ベルギーの同社サイトには、他にもチョコレート(と言ってもBiscoffビスケットがクランチ状態で入っています)など、ちょっと試してみたいアイテムが数種類掲載されていて、これらも順次日本でも販売して欲しいと期待してしまいます。

3回連続の輸入菓子の話題になりましたが、今回が一区切りとした最後になります。


アマゾンの通販サイトで見つけたのは3つセットでした。以下にリンクします。
ロータスビスコフサンド ビスコフクリーム
タグ:Biscoff lotus
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

Milka Choko Moo [グルメ]

IMG_8456b.jpg

前回に引き続き、輸入菓子の話題です。nutellaのディスプレイが置かれていた近所の店舗に、その少し前見つけたのがMilkaのムーと呼ばれるミルカのキャラクターでもある牛をかたどったビスケットにミルカチョコが合わさったビスケットが少量パックで売られてたのを見つけました。それまで見たことがない商品だったので思わず購入し、家で頂いた時に撮影したのが上画像です。

Milkaはスイスの老舗チョコメーカーのブランドですが、現在は吸収合併を繰り返しグローバル企業の中に組み込まれていると思われます。歴史あるメーカーで独自のリラ(薄紫)色と牛のキャラクターがシンボルですので、欧州西側では知らぬ人がいないほど浸透したブランドです。このプロダクトはポーランド製のようですが、ドイツやスイス製のMilkaと変わりないおいしさでした。

メルクリンからは、いくつか貨車モデルがリリースされていますが、当ブログでも紹介しています。

さてお味ですが、予想通りというか、ミルカチョコは、どのプロダクトでも同じチョコを使用しているので想像がつきやすいですが、たまにその組み合わせで個人的に大当たりな味に巡り合ったりするのが面白いのです。
私がドイツにいた頃は、ビスケットとクリームがチョコでコーティングされた板チョコがあり、それが大好物でした。今回のはビスケットだけなので想像通りの美味しいチョコビスケットでした。

以下リンクはAmazonで検索したところ、これ1つしか同じプロダクトを見つけることが出来ませんでした。
ミルカ チョコ ムー ビスケット 200g×4個セット
タグ:Milka Choco Moo
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

nutella biscuits [グルメ]

先日近所のファッションビルにある輸入菓子を売る店先に懐かしいnutellaのディスプレイを見かけました。日本でもスーパーや輸入食品店などで見かけるチョコレートスプレッドのnutellaですが、サイズが小さい割に高額の値札が張られていて、中々手に入れることが出来ないのが辛いところです。

IMG_8506b.jpg

そのディスプレイには、定番のnutellaの他、スティックタイプのビスケットとnutellaが1つのパッケージになった持ち歩いて楽しめる「nutella & GO!」、モナカにnutellaが挟まれている「nutella b-ready」があり、今まで地味に売られていた日本のnutellaも、ようやく販売促進に力を入れ始めたのだなぁ..と嬉しく思ったのですが、そのディスプレイには、ちょっと見たことのないパッケージを見つけました。

IMG_8508b.jpg

それを手に取ると、「nutella biscuits」という名称のnutellaのスプレッドがビスケットに挟まれたお菓子でした。3つ入りパッケージで手頃な価格でもあったので、もちろんその場で購入。そそくさと家に帰って早速試食しました。

IMG_8509b.jpg

この「nutella biscuits」.....一口でファンになってしまいました。構造的には、nutellaのスプレッドが2枚のビスケットにサンドされているのではありますが、2枚のビスケットの形状が異なり、下側のビスケットは皿状の形でnutellaが満たした上から一回り小さなビスケットが蓋の役割をしています。ビスケットとnutella(チョコスプレッド)の割合が良く考えられていて、バランスが良く素直に美味しいです。

nutellaは、ヘーゼルナッツが多く入っているのが売りで、この味が全粒粉の入ったビスケットと相性が良いです。ドイツでは全粒粉入りのパンが好まれていますし、単なるチョコビスケットとは一線を画したnutellaの個性が引き出されている印象でした。


以下は、Amazonで購入できる大量版パッケージのリンクです。

Nutella Biscuits
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

55688 Schwere Güterzuglokomotive Ce 6/8 III [Maerklin-Lok]

ゲッピンゲンのメルクリネウムからのアナウンスで1番ゲージの白いクロコダイルのレプリカが告知されました。

Schwere Güterzuglokomotive Ce 6/8 III

このモデルは、かつてメルクリンが北米でのメッセで出展した際に、ニューヨークの販売店からのオファーでNew York Central Lineの名称で0ゲージの白塗装のクロコダイルモデルが市場に出たそうですが、そのモデルのレプリカが1番ゲージでメルクリニウムモデルとしてゲッピンゲンの博物館モデルとしてリリースされるとのことです。(日本の販売店で購入可能かは未確認)

このモデルは、時々話題になるクロコダイルで、当時はごく少数市場にリリースされたと思われます。今回その伝説的なモデルのレプリカが1番ゲージでリリースされるのは興味深いです。
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー
前の10件 | -